2018年3月1日木曜日

母との約束

 2月の札幌帰省は、「さっぽろ雪まつり」巡りという楽しいイベントになりました。母の調子も良く、ひと安心しました。

 私が着いた翌日から、数日間は止んでいたという雪がまた降り始めました。雪かきをしながら、同じく雪をかきに外に出ていたご近所の方々に「いつも母にお声掛けいただき、ありがとうございます」とご挨拶をしました。久しぶりにお会いした、母と同様40年以上もその地域に住んでいる男性が言いました。

 「●●さんと●●さんは亡くなってしまったし、●●さんは施設に入ってしまったし、●●さんは息子さんご夫婦と同居するために引っ越ししてしまったし。あと10年もすれば、私ももうこの世にいませんよ。どうぞ、お母さんの顔を見に来てあげてね」

 女性は男性より長生きするというのは本当で、母の住む地域でも夫を亡くした一人暮らしのおばあちゃんが多かった。でも、ここ数年で一人欠け、二人欠け…しています。男性の話はすべて、母から聞いていました。

 その事実は当然、母を心細くさせていました。その上、きょうだいや友人・知人の訃報が数か月に1度と頻繁になってきており、気持ちの落ち込みは続いています。体もあちこちが傷む。かといって、頼りにしたい娘は近くにいない。

 何度か「お母さん、東京に来ない?」と聞きましたが、「私はここがいい」と言います。自分が母の立場だったらと想像しても、知り合いがいなく住居も狭い東京よりも、顔見知りが多くて一軒家で伸び伸びと暮らせる札幌の方が断然良いと思います。だから、料理好きの母が自分で料理を作って食べ、身の回りのことを自分で出来るうちは一人暮らしをする。それが出来なくなったら、東京に来てもらうということで納得してもらっています。

 で、今回の帰省で思い切って、今まで自信がなくて言えなかったことを言いました。おそらく、母が一番望んでいることです。

 「お母さんのお葬式は私が出してあげるから、心配しないで」と。

 子供として当たり前のことですが、母はそれを聞いて、大粒の涙をこぼしました。

 30代で大きく体調を崩した娘を献身的に支えてきた母は、幾度となく、「娘は死ぬかもしれない」と覚悟をした瞬間がありました。半身が不自由な父の世話をしていたときは気も張っていました。が、その父も他界した後、一人娘が自分より先に死んだら、自分に何かあったときは他人を頼りにしなければならないーという現実に直面し、その場面を幾度となく想像し、気に病んでいたに違いありません。

 以前、私は「出来ない約束はするべきではない」と考えていました。が、父が亡くなって、初めて気付いたのです。「結果的に約束が果たせなくても良い。父を安心させてあげれば良かった」と。恐らく親は、子供の口約束に安堵し、また、希望を見出し、生きられるのではないでしょうか。

 親の前で、お葬式の話を持ち出すのは、ある意味勇気がいます。が、私の言葉を聞き、母は安堵の涙を流し続け、こう言いました。

 「それを聞いて、安心した。私の友達やきょうだいは皆、子供たちが近くに住んでいて頼りにしている。でも、あんたは東京だし、私は自分ひとりでしっかりとここで生きていこうと決意はしているし、そのための努力もしている。でも、葬式だけは、あんたに出してほしかった」と。
 
 さて、この話は夕ご飯を食べているときにしました。2人でワインを飲み、母の心づくしの料理を食べながら、話をしているときです。息子は早々に食事を終え、テレビを見るために食卓を離れていました。

 私も言うべきことを言えて安心し、2杯目のワインをグラスに注ごうとしました。その瞬間、母が言いました。

 「私の葬式出してくれるんでしょ。そのために体にはくれぐれも気を付けてちょうだい。ワインは1杯で十分。肝臓に悪いからね」

 母の目から涙は消え、あっという間にいつもの母に戻ったのでした。
 

0 件のコメント: