2025年12月13日土曜日

手作りのプレゼント

  先日61歳になりました。私は38歳でがんに罹患し、40代は病気と闘い、徐々に体調が回復した50代に社会復帰をし、60代になってからはさらにパワーアップしています。私の少し前を行く諸先輩たちの話を伺いますと、60代は元気に活動できる世代らしいので、少し欲張りなぐらいにやりたいことをやろう!と張り切っています。

 61歳のお祝いに、子どもたちから手作りのプレゼントをもらいました。娘からは毛糸で編んだミッフィーとサヤエンドウの「編みぐるみ」。編みぐるみは、鍵ばりで毛糸を編んで作る、ぬいぐるみのような作品で、海外では「amigurumi」として大人気だそうです。

 ミッフィーは天国にいる、娘の双子の弟のキャラクター。息子の遺骨を包む布袋はミッフィー柄で私が縫ったもので、夜寝るときはミッフィーのぬいぐるみを側に置いて寝ていますので、それの”お友達”として作ってくれたそう。サヤエンドウもとっても可愛い。

 息子からは「まま♥」と刺繍をほどこしたハンカチをもらいました。息子は家庭科が得意でこれまでも布袋など作ってくれました。今回の刺繍も息子の心がこもっていて嬉しかった。

  夫からは深紅のバラの花とオードトワレ・ハンドクリームとシャンパン、母からはワインをもらいました。61歳を無事迎えられ、家族皆元気でこうしてお祝いしてもらい、ありがたいなぁと幸せをかみしめた一日でした。

夫からのプレゼント。バラの花は毎年くれます
夫が作ってくれたチーズケーキ、娘はレモンケーキ、息子が作ってくれたのはクレームド・ブリュレ

  

2025年12月10日水曜日

年齢の壁

  これまで何件か研究者の仕事に応募しましたが、いずれも返信が来ないか、「残念ながら」の文面の返信でした。指導教員にも研究室での採用を聞いてみましたが、「あなたは年だから、難しい」との答え。で、思い切って、大学院生が登録する「アカリク」という就職サイトに登録することにしました。

 名前、住所、電話番号と基本事項を入れて、年齢の欄に。ここには西暦が書いてあり、選ぶことになっています。で、ずっと遡っていると「1970」で止まり、それ以上は進めません。えっ、55歳以上は登録できないの?と仰天しました。私は就職サイトすら登録できない年齢なのです。

 思い出すのはがん治療前に凍結した受精卵を、毎年凍結継続し、45歳のときに突然クリニックから「こちらで治療できるのは45歳までです」と言われたときのこと。自分の受精卵すら、自分の子宮に戻せないほど私は年なんだーと愕然としました。

 そのときは、院長先生に懇願して受精卵を移植し、今の息子が生まれました。どの場面でも立ちはだかる年齢の壁。世間ではよく、「年齢は関係ない」と言われます。確かに挑戦するのには年齢は関係ありませんが、その挑戦を受け入れる側にとって、年齢は大きな要素であることは明らか。

 でも、私は諦めない人間です。博士論文を提出したら始めようと温めてきた本の企画を進めながら、研究者としての道も探り続けます。それにしても、人生はなかなか厳しいです。

 

 

2025年12月8日月曜日

  1週間ぶりの投稿です。12月3日と5日に博士論文の審査会の予演会があり、スライド作りと発表の準備、そして、予演会でいただいたコメントをスライドに反映させたりと慌ただしい日々を送っていました。

 予演会は東大大学院で博士号を取得した同じ研究室内の研究者4人と指導教員の5人。発表したのは指導教員の下、このたび博士論文を大学に提出した3人です。20代の女性研究者と、40代ぐらいの男性医師と、私。いやぁ、二人とも立派でした、スライドも発表も。

 彼らに比べると、私のスライドは全く洗練されておらず、あちこちに粗が見えて、恥ずかしかった。指導教員からは「インド人の発表みたい」と言われてしまいました。インド人のスライドは文章が長く、発表はスライドの棒読みなのだそうです。

 指導教員はさらに、私の発表のときは、コクリコクリと眠りに落ちそうになっていました。スライドに対する指摘はいくつももらいましたが、予演会の後の雑談では、全く私と目を合わせず、ほかの2人とだけ目を合わせて話していました。

 こういうのって、辛いんですよね。私、本当に指導教員には迷惑をかけないようにしていますし、そもそも、話をするのは年数回です。こういう久しぶりの機会なのですから、目を合わせて、話してほしいなぁと悲しい気持ちになります。

 このように悲しい気持ちになりながら、よく頑張ってここまで来たーと自分で自分をねぎらっています。審査会はなんと1月末。女性研究者は12月末、男性医師は1月中旬だそうで、私が一番遅い。審査会で様々な助言や指摘を受けて、修正して最終版の提出は2月中旬。提出前の英文校正に4,5日かかりますし、製本も数日かかります。このスケジュールで本当に修了できるか自信ありませんし、審査委員は教授4人と助教授1人。あーあ、どれほど厳しい質問が来るんだろう…。でも、もう腹をくくるしかありません。

 今はスライドを修正しながら、想定問答集を作っています。審査員に何を質問されても、きちんと答えられるように。でも、スライドを見ての発表ですら、つっかえつっかえですから、自分が準備していない質問をされたら頭が真っ白になりそうです。

 61歳(先日誕生日でした)にして、博論の審査会への挑戦。こういう状況に自ら追い込んでしまう自分に本当に疲れますし、「この選択は間違っていたのではないだろうか」と自問自答の日々です。

 が、今日たまたまフェイスブックで、79歳でショップ店員に応募し現在も元気に働いている女性のリールを読み、励まされました。頑張るぞ!

2025年12月2日火曜日

 私が尊敬するがんのママFさんが先日、一人息子さんの高校生活最後のお弁当の写真をフェイスブックにアップしました。たくさんの人から「お疲れ様!」のコメントがあり、それを見ながらつくづく思ったのは、私がその立場だったら、寂しいだろうなぁということ。

 私にとって、毎日のお弁当づくりと夕食づくりは一番幸せな時間。実際の家族との食事の時間より幸せなので、その時間を私がとても楽しんでいることは皆さんに分かっていただけると思います。

 寂しがるFさんに他のがんママからのコメントがありました。「大丈夫、大学弁当すぐに始まるから」。そのママさんによると、カフェテリアや食堂の食事も飽きて、お弁当を作ってと頼まれるとか。そっかぁ、それなら楽しい期間が少し延長しますね。

 ということで、娘が帰国してから1人分お弁当が増えました。私はいつになく、張り切っています。

一番早く家を出る息子のお弁当。カボチャの春巻き、豆腐ハンバーグ、卵焼き

次に娘、夫、私のお弁当

娘のリクエストの鶏そぼろ弁当。夫には好物のゴボウのささがきも入れて

2025年11月29日土曜日

 娘が「日本に帰ったらやりたい事リスト」を作ってきました。そこにはダディと行きたいところ、ママと行きたいところ、息子と行きたいところ、そして家族で行きたいところの30のリストがありました。そのうちの一つが「東大の銀杏並木をママと一緒に見に行くこと」。さっそく連れていきました。
 
 東大本郷キャンパスの銀杏並木は観光名所にもなっているほど美しいのです。木曜日に行ったときはもうピークを過ぎていましたが、それでもとっても綺麗でした。二人でキャンパス内をのんびり散歩し、食堂へ。
 
 娘は迷いに迷って牛丼とアジのフライ、温泉卵、おからまんじゅうを注文。私は名物・赤門ラーメンを注文しました。娘曰く「牛丼は量が少なかったけど、とってもいい味。アジのフライはサクサクして美味しかったぁ」とのこと。温泉卵を牛丼に混ぜて食べたので、美味しさは増したよう。おからまんじゅうもなかなかの味だったそう。
 
 赤門ラーメンは担々麺に似ている写真とは違って、ラーメンに辛い餡かけがかかっていました。すごい美味しいというわけでもないのですが、美味しくないわけではない。ネットでチェックしてみると、「あれっ? こんなんだったかな? 自分の味覚が変化した? 年に一度は味を確かめにきたい」と書いてあり、とても共感しました。大学の食堂ですので、写真で美味しそうに見せる必要はないわけで、かつてはあの写真のように作っていたこともあったはずと思わせられる。「これぞ究極のB級グルメ」「くせになる美味しさ」というコメントも。よう聞くB級グルメという言葉、実感として分からなかったのですが、この赤門ラーメンを食べて、その意味が分かりました。すごく美味しいわけではないけど、今のもまぁまぁイケる。もう一回食べてみようと思う、なんとも不思議な味でした。

東大の銀杏並木


東大の中央食堂の赤門ラーメン

 

この大木は人気スポットで、たくさんの人が記念写真を撮っていました

2025年11月28日金曜日

一緒に料理

  娘が帰国し、我が家は一気に明るくなりました。普段は口数が少ない息子はおしゃべりになり、ずっと娘にくっついています。

 娘のリクエストに応えて、息子が娘のために作ったのはニョッキ。キッチンで仲良く料理をする二人を見て、やっぱり娘がいる我が家はいいなぁと改めて思ったのでした。


料理をする娘と息子

2025年11月26日水曜日

娘が帰ってきた!

  昨日、娘が帰国しました。待ちに待った愛娘との時間。昨夜はマイヤー家に久しぶりに笑いが広がりました。

 今日は実は研究室に行く予定だったのですが、やめて、娘と一緒に過ごすことにしました。昨夜、バスルームに置いてあった薬を見て、今、大切にしなければならないのは娘との時間だと確信したのです。

 プラスチックのケースには曜日が書いてあり、毎日、2,3錠飲むことになっているようでした。精神安定剤だそうです。留学しなければ、親元にいれば、こんな薬を飲むことにはならなかったと思いました。でも、今更そんなことを悔いても仕方ありません。幸い、娘はとても元気でした。息子や夫とも楽しそうにおしゃべりをして、夜は私と娘の部屋のシングルベッドで一緒に寝ました。

 今日はお弁当を作って、近くの公園でピクニックをしました。娘はとてもリラックスした表情をして、沢山おしゃべりして、沢山笑っていました。ほっとしました。娘は帰国したときにしたいことリストを作っていました。全部叶えてあげようと思いました。 

近くの公園で娘とピクニック

バスルームに置いてあった娘の薬。毎日、2,3錠服用しています


2025年11月22日土曜日

学位授与申請が承認される

   11月20日に大学院から、「本研究科委員会におきまして、学位授与申請が承認されましので、お知らせいたします」とメールがありました。

 7日に提出したのは、学位授与願い、論文目録、博士論文、博士論文の要旨、共著者の同意書(博論の元となる論文の共著者全員から論文使用の同意を得る)、剽窃チェック確認書(コピペしていないという確認ーソフトを用いてチェックする)。これを委員会で審査していただき、認められると、次のステップに進めるのです。

 学位授与申請が承認されたら、次は審査委員会です。昨日、審査委員5人の名簿を大学に取りに行きました。私が学位授与申請をしたのは、東大大学院医学系研究科。ここの教授4人と助教授1人にスライドを使って論文の説明をし、質問を受けるのです。英語ではこれを「ディフェンス」と言います。

 各分野を牽引する教授陣から質問を受けて、答えるー。ああ、頭真っ白になるだろうな、言葉がすぐ出てこないだろうな、しどろもどろになったらどうしよう、と不安は尽きませんが、とりあえず、作業は粛々と進めていきます。

 昨日は5人の先生に、博士論文は紙媒体でお届けするか、電子媒体(PDF)でお届けするか、メールで伺いました。そのうち3人から返信があり、PDFをご希望ということで、論文そのほかの書類一式をPDFにして、メールで送りました。

 こういう手続き、一つ一つ、気を遣います。はい。メールの文面も失礼がないように、細心の注意を払います。昨日はプリンターのスキャン機能がうまく働かず、焦りました。でも、こういうときに備えてプリンターは2台備えていますので、大丈夫でした。

 紙媒体をご希望の先生がいらっしゃるかもしれませんので、冊子を作る機械も買いました。私の論文は110ページ。これを専用のファイルに挟め、機械に入れて熱で綴じるのです。

 こういうこと、一つ一つ、大変です。オバサンですので、新しいことはなかなか覚えられませんし、すぐ忘れます。若いころに比べて、作業に時間もかかるようになっています。読者の皆さんも、仕事やご家庭のことで大変なことを抱えていらっしゃると思います。私も、気力・体力振り絞ってます。一緒に頑張りましょうね。

2025年11月20日木曜日

娘@メルボルンからの報告

  メルボルンに留学中の娘はテストが終わり、リラックスした表情に戻りました。テスト中は連絡がつかなくなり心配しましたが、図書館やアトリエにこもりっきりで勉強や絵を描くことに集中していたようです。

 昨日は、仲の良いベトナム人のお友達マリーちゃんとお散歩に行き、楽しかったと報告してくれました。マリーちゃんは医師を目指しており、大変な勉強量と娘から聞いていました。マリーちゃんと一緒に勉強するとつられて長時間勉強できるらしく、「一緒に勉強しよう!」と声をかけるそうです。そのマリーちゃんもテストが終わって一息つき、娘に「散歩に行かない?」と誘ってくれたとか。

 大きな公園内を歩いたそうです。女子大生2人が公園を楽しそうにおしゃべりしながら散歩している様子を想像し、我が娘ながら「健全だなぁ」と思ってしまいました。娘は精神的に不安定になることはあるのですが、そのほかの心配、たとえば男の子のこととか、夜の街に繰り出すとか、お友達とのもめ事とかが全くありません。

 娘は、1人でも幸せに過ごせるタイプで、抹茶ラテを飲みに行ったことや、野外マーケットに行ったこととか、報告してくれます。今朝は「朝、目覚ましなしで早起きできたの!屋上に上がってみたら、とってもすがすがしかった」と画像を送ってくれました。

娘が送ってくれた画像①屋上から見える朝日と気球

 その後は、1人で散歩に行ったそうです。送られてきたのは公園の写真と、公園で見かけたアヒルの写真。「アヒルのお腹の色がとっても綺麗」というメッセージが添えられていました。海外に行っても、自分を失わず、真っ直ぐな心のままでいてくれて、嬉しいなぁとしみじみ思います。25日に娘が帰ってきます。家族でとても楽しみにしています。

娘から送られてきた画像②公園


娘から送られてきた画像③アヒルのお腹の色が鮮やか

 

 

2025年11月18日火曜日

床屋さんの小さな変化

  夫がいつもの床屋さんから帰宅し、寂しそうな表情で言いました。

「Tさん、シャンプーしますか?って聞いてきたんだ。最近、よく●●しますか?って確認してくるんだ。毎回してもらうことは同じで、前までは何も聞かれずにしてくれたんだけど…」

「そうなんだね。あなたのことはもちろん覚えているんでしょう?」

「うん、髪もいつものように完璧に切ってくれるんだけど…、手順をときどき忘れるんだよね。たぶん、奥さんが気付いていて、こちらを気に掛けてはくれるんだけど…」

「そう…。それは、残念だね…」

「Tさんのところへは2002年に行き始めて、もう23年も通っているからね。少し前から、変だなぁとは思っていたんだけど」

「髪を完璧に切ってくれるんなら、しばらくは大丈夫じゃない?奥さんもついているし。でも、そう遠くない将来に、店を閉める時が来るかもしれないね」

「うん。しばらくは大丈夫だと思うけど、Tさん、子どもはいるけどだれも後を継がないようだから」

「そうかぁ…。いつも行っていた文房具屋さんとか、駄菓子屋さんとか、馴染みの店がなくなるのは寂しいよね…」

 Tさんのところには、夫は1ヶ月~1ヶ月半に一度は行っています。ここ数回、帰宅するたびに、Tさんの小さな変化を気にして教えてくれていたのですが、今回はいつもの手順を確認されて、かなりショックを受けたようです。

 最近、私の友人たちから親が物忘れや勘違いなどが多くなったり、弱ってきたりしているのを聞いています。私の父は突然亡くなりましたので、それはそれで受け入れるのも辛いのですが、これまで当たり前のように出きていたことを出来なくなってきている親を見るのも辛いと思います。夫の両親はまだまだ元気なのでそういうこともないですが、身近なTさんの変化はかなり残念なようです。

 夫は社交的ではなく友人も少ないのですが、親しくなった人との関係はとても大事にする人間です。夫が大切にしているTさんがしばらくは床屋さんを続けてくれることを願っています。

 



2025年11月16日日曜日

室蘭のカレンダー届く

  室蘭在住のナオミちゃんから、来年のカレンダーが届きました。毎年、この時期に送ってくれる、室蘭の名所が写っているフォトカレンダーです。念願叶って、今年約30年ぶりに訪れた、大好きなまち。ナオミちゃんに連れていってもらった懐かしい場所を思い出しながら、カレンダーをめくり、ほんわかとあたたかな気持ちになりました。

 室蘭は前の会社の初任地。駆け出しの記者だった私を、室蘭の人たちはとても優しく迎え入れてくれました。行きたい、行きたいと思い続けた室蘭は今も変わらず、海あり、山あり、歴史あり、文化あり…の豊かなまちでした。地元紙の記者だったナオミちゃんも、市役所の職員だったミタニさんも、キノシタさんも、イタリアンレストランオーナーのマサコさんもアケミさんも、みんな、全然変わらず、あのときのままでした。

 こうして懐かしく思い出す場所があり、かつて一緒に笑い、おしゃべりに花を咲かせた友人と今も親しくさせてもらっていることに、感謝!

ナオミちゃんから送られてきた室蘭のカレンダーとお菓子

 

2025年11月13日木曜日

仕事がなさそうな青年

  インフルエンザによる学級閉鎖最終日の昨日、息子が美容室に髪を切りに行きました。この春まで私がずっと切っていたのですが、遂に切らせてもらえなくなりました。私の数少ない楽しみの一つだったのですが、仕方ありません。

 で、こざっぱりとして帰ってきた息子が、珍しく、私に話しかけてきました。

「ねぇ、ママ、さっき、めっちゃ悲しいことあったんだ」

「何?」

「あのさ、女の人2人にちょっとインタビューしていいですか?って声かけられたんだ。犬のために募金をつのっている人いるじゃん。その人たちの隣にいたから、捨てられた犬についての話かなって思ってさ」

「うん、うん」

「で、立ち止まって、その人たちの話聞いたらさ。その女の人のバッグの中に、『仕事がなさそうな青年にインタビュー』っていう厚紙みたいのが入っていてさ。ひどくない?仕事がなさそうな青年だよ!」

「あははっ、平日にぶらぶらしているマスク姿の男の人だから、そう思われたのかもね」

「なんかさ、侮辱された気持ちだよ。それに、まだ中2だよ。仕事がなさそうなおっさんに間違えられるなんて…」

「で、インタビューには答えたの?」

「時間がないんで…って断った」

 たぶん、時間がなさそうには見えなかっただろうなぁ。

 でも、いつもはポーカーフェイスの息子が珍しく憤慨しているので、よほどショックだったのでしょう。高校生に間違われることはよくありますが、仕事がなさそうな青年に見えるとは…。まぁ、中2にして、”ヤサ男”の雰囲気を醸し出していますから、そう見えても仕方ないかもしれません。

 なんだか、久しぶりに大笑いした出来事でした。

 

2025年11月11日火曜日

ブラウニー

  月曜日から息子のクラスが学級閉鎖になりました。インフルエンザの罹患者が10人を超えたためで、水曜日までお休みです。

 息子は土曜日に体調を崩し、発熱と嘔吐の症状があったのですが、日曜日に持ち直しました。

 連日、暇を持て余し、昨夜はブラウニーを作り始めました。市販のキットではなく、ブラックチョコレート、ココア、バター、小麦粉、卵を使って本格的でした。

 焼き上がったのは深夜。今朝、食べましたが、なかなか上手に出来ていました。このまま、料理人&パティシエの道を突き進んでほしい。






2025年11月10日月曜日

嬉しかった娘の言葉

  博士論文を大学に提出し、ようやく少し気持ちが落ち着きました。次のステップは、教授ら5人にプレゼンテーションをし、質問に答える「審査会」。でも、とりあえずは、山を一つ超えました。

 そこで、土曜日の午後に息子と一緒に新幹線で軽井沢の家に行きました(夫は先週から滞在)。紅葉が見頃で、それは綺麗でした。翌日、東京に戻りました。一日でしたが、リラックスできました。

窓から見える美しい紅葉

 月曜日の今日は、審査会用のスライドを作る傍ら、家の中に積み上がっていた物の整理を始めました。しかし、整理整頓しようとしたのですが、何から手をつけていいのか分からない。娘の着物の案内や息子の塾の説明書など、とっくの前に期限が過ぎたものは処分出来ましたが、手に取っては「これ、どうしよう」と考え込んでしまう物が多過ぎました。

 一旦手を置き、グーグルで「片付け、何から手を付けていいか分からない」と打ち込んでみました。出てきたのが「居場所がない物たち、ありませんか?」とタイトルがついたサイト。そこには、「家の中に、どこに片付けていいか分からない物はありませんか?片付かない物問題を、片付けのプロの●●●●先生と解決していきます」とありました。

 その「居場所がない物たち」という言葉に、反応してしまいました。「あっ、私のことだ」と思いました。7年近くアカデミアの世界にいて、居場所を見つけられない自分。居場所がない人間が、居場所のない物たちを片付けることに、そもそも無理があるーと苦笑しました。

 なんだか自分がとても滑稽に思えて、片付けをやめました。そして、娘にフェイスタイムで連絡を取りました。テスト期間中は連絡が取れなかった娘ですが、今日は出てくれました。ちょうど、夕ご飯を食べるところでした。ひとしきり他愛のない話をした後、先ほど感じたことについて話してみました。

 「今日、片付けが進まなくてグーグルで検索したら、居場所がない物たちという言葉が出てきたの。で、あっ、ママのことだっておかしくなってしまったの」

 すると、娘が真顔で言いました。

「何言っているの、ママ。うちの家族はママがいなければ回らないんだよ。ここを居場所って言わずにどこが居場所になるの?」

「そう? ありがとう。そう言ってもらえると、嬉しい」

「ママぁ。ママはさ、ばあち(私の母)の娘で、ダディの妻で、私たちのお母さんなんだよ。それぞれが大変なのに、その3役を1人でこなしているんだよ。居場所がないどころか、ママがいなきゃ、家族は回らないの!」

 すぐ、しゅんとしてしまう私を、娘はいつもこうやって励ましてくれます。娘は本当に心の優しい子で、娘のあたたかい言葉にどれほど救われてきたことか。

 今日は他の博士課程の学生(何で、皆、こんなにすごいの!)と審査会の打ち合わせをして、すっかり気後れをして落ち込んだ私。娘のひと言で何とか気持ちを立て直すことが出来たのでした。 


2025年11月7日金曜日

博論提出

  今日、大学に博士論文を提出しました。辛いことが多かった博士課程でしたが、目標としてきた論文提出ができ、ほっとしています。

 私が目指すのは医学博士です。私は医師など医学のバックグラウンドがなく、あるのは公衆衛生学の修士号と、新聞記者時代に医療記事を書いた経験のみ。その代わりに長い患者経験があり、その経験が医学博士を目指すバックボーンとなっています。

 取り立てて何かをなし得た人生ではありませんが、がんと生きてきた20年以上の人生の集大成として、「がん患者と医療者とのコミュニケーション」についての論文を、60歳で大学に出せたことに、改めて感謝をしています。

 最初の指導教員に問題があり、退学を真剣に考えました。が、2年目から現在の指導教員に引き受けてもらい、なんとかここまで来ました。

 現在の指導教員は畑の違う私を引き受け、面倒だったのだろうと想像しますが、私に対してはプロフェッショナルに徹した対応でした。まず、私の関心のあるテーマの研究チームに入れてくれました。超多忙なので話をするのは年に数回ですが、論文を送れば必ず見てくれましたし、必要な書類には印もサインもすぐくれました。

 用事以外の話も、雑談も、挨拶もしてくれたことはありませんが、私が本格的に論文を書く段階で大変優秀なMさんという研究員を私の指導係につけてくれました。Mさんからも用事以外は話しかけられたことも、雑談をしたこともありませんが、私が質問をすると必ず答えてくれました。「少しお時間いいですか?」と論文に関する相談を持ちかけると、一度も「後で」と言われたことはありません。

 また、100ページ近い論文を送っても、数日後にはA42枚に渡る助言を箇条書きにしてメールで送ってくれました。その助言は大変的確で、Mさんの助言通りに文章を組み替え、不足な部分を加えると、論文がとても引き締まりました。そのような優秀な人を、私の指導係につけてくれるということは、指導教員は学位を取るまで私をサポートしようと思ってくれたのだと思います。

 私の先攻は社会医学で、博士課程1、2年には講義も受けました。受講した医療コミュニケーション、臨床疫学、医学研究デザイン、医療社会学、医療統計学はどれも、素晴らしい講義でした。教授陣は超一流でした。私は各講義のスライドを折々に振り返り、必要があれば参照しました。

 いろいろ大変なことも多かったですが、このような各分野をリードする人たちの指導を受けることが出来た私は、たいへん恵まれていたと思います。

   今後は審査会に向けて、スライドの準備です。もうひと踏ん張りします。


2025年11月6日木曜日

息子はパテシエ?

  明日の博士論文締め切りを控え、私は連日深夜までパソコンに向かっています。夫が先週土曜日から軽井沢に行っているので、家の中も静かで、食事は息子の分だけ作ればよく、本当に楽です。

 夫も1人で静かな山の中で過ごし、薪を割ったり、読書をしたり、楽しそうです。

 料理好きの息子はこの3日間、お菓子作りに精を出しています。火曜日は洋梨のコンポート、水曜日は紅玉のコンポート、そして今日はメレンゲクッキーです。

 どれも美味しかったですが、最高だったのは洋梨のコンポート。冷蔵庫の中に何日も梨があるのを見て、「この梨、いつまでも固いね」というので、「コンポート作ってみたら?」と勧めたところ、すぐ作り始めてあっという間に作ってしまいました。

 これも、カフェで出せるくらい、美味しかった。紅玉のコンポートはむいた皮も小さく切って入れて、ほんのりピンク色になり、口の中でとろりととろける美味しさ。今日はお料理に卵の黄身を使い、卵白が余ったので「メレンゲクッキー作って!」と頼んだら、すぐ作ってくれました。さくさくとして、あっという間に食べ切ってしまいました。

 息子が作るスイーツを連日食べられるなんて、私は幸せ者です。


息子が作った洋梨のコンポート

息子の13歳の誕生日にプレゼントしたル・クルーゼの鍋を使って

 

翌日には紅玉のコンポート


今日はメレンゲクッキー作り



2025年11月3日月曜日

息子がニョッキを作ってくれた!

  3連休の最終日のランチは息子がニョッキを作ってくれました。札幌在住の元上司と奥様から送っていただいたジャガイモ・きたあかりを使って、昨夜のうちに生地を作っていたようです。今日はみじん切りした玉ねぎを炒めて缶入りトマトを入れ、ソースを丁寧に作っていました。

 ニョッキもトマトソースも味はもう、最高でした。レストランで出せるぐらいの美味しさです。今日は朝から博士論文の細かい直しに追われていましたが、息子の料理を食べて、とても幸せな気持ちになったのでした。

 息子よ、ありがとう。

出来たてのトマトソースのニョッキにチーズをかける息子

とろけるほど美味しい、息子が作ったニョッキ

2025年11月2日日曜日

疲れたときは…

  中2の息子が2泊3日の伊豆研修旅行から戻ってきました。夜は仲良しの友人たちと同じ部屋で寝たそうで、深夜までおしゃべりしていたと楽しそうに話してくれました。

 金曜日の夜に帰ってきたので、土曜日の午前中は授業がありませんでした。土曜日から3連休。夫は軽井沢の家に行くと張り切っていましたが、息子は「3日間、伊豆に行っていて疲れたし、風邪気味だから家にいる」と言います。で、夫だけ軽井沢に行くことに。

 私は来週が博士論文の提出期限なので、軽井沢に行く余裕はありません。ですので、息子と2人で過ごすことになりました。

 息子に「昼ご飯、何が食べたい?」と聞くと、「ラーメンが食べたい」と言います。風邪気味なので家で食べることにして、スーパーで札幌ラーメンの「純連」を買ってきました。このラーメン本当に美味しいのです。

 料理好きの息子は、自分で作り始めます。疲れたときは、料理で気分転換というところでしょうか。急に決めたのでラーメンのときはいつも作るチャーシューはありませんが、息子はもやしを炒めて、卵をゆでて、丁寧に準備をします。

 私は前日の残りのお蕎麦があるので、かき揚げ蕎麦にしました。夫がいなく、いつもよりさらに静かでしたが、のんびりとして楽しい食事でした。

ラーメンを作る息子


2025年11月1日土曜日

娘@メルボルンからの報告

  昨日、10日ぶりに娘と連絡が取れた話を書きました。期末試験の準備と、課題の絵を描かなければならないプレッシャーから、私たちと連絡を取りたくなかったようです。

 私も夫もそれは心配でしたが、唯一の救いは息子と連絡を取っていたこと。それもちょっとした会話だったよう。昨日、ようやくフェイスタイムに答えてくれた娘に、私と夫の電話に出ずテキストも見なかった理由を聞きました。本来なら、そんなことも聞かずに、まずは連絡をくれたことを喜ぶべきなのでしょうが、今後のために聞いておきたかった。何せ、私は母親として何か間違っていたのではないかーと思いましたので。

「ごめんね、電話に出なくて。でも、自分が大変なときって、ママもダディも重いの。心配してくれているのはとってもよく分かるんだけど…」

 もしかしたら、心の中には別の理由があるかもしれませんが、少なくとも「重い」という言葉を伝えてくれた。なるほど、確かに、私も夫も心配性で、そして何よりも娘が可愛くて可愛くて仕方ないんですよね。だから、放っておいたほうがいいとは分かっていても、つい、つい…。

 さらに、私も夫も「自分が」娘と話したいので、それぞれがフェイスタイムで電話をする。ですので、娘としては倍の時間が取られるわけです。そういうこともあるかもしれません。で、唯一連絡をとっていた息子について聞くと…。

「冷めているから、反応が軽いの。『よっ、どうした?』だけで、特に何も聞くわけでもないし。会話もすぐ終わるし。でも、その軽さがいいんだよね」

 なるほど…。確かに自分がとても落ち込んでいるときは、全く違う軽い話をして気を紛らわせたいときもある。娘はきっとそんな気持ちだったのでしょう。で、昨夜は高市早苗首相の話をしました。

 高市首相については、実は私はあまり好きではありませんでした。あまりに保守的で、考え方や振る舞いなどが日本の典型的な高齢男性政治家にそっくりだと思っていたからです。そして、彼らにすり寄ることで、政治の世界で生き抜こうと考えているように見受けられた。でも、今回のトランプ大統領の訪日で、考えは変わりました。高市首相はこれまで2度総裁選で敗れながらも、着実に政治家としての力を付けてきたのですね。

 首相としての出だし、特に外交を見ていると、この人は「新風を」「多様性を」などという理由で、女性だから選ばれたのではない。政治の世界で厳しい戦いを続け、最後に勝った人がたまたま女性だったのだという考えに変わりました。あの堂々とした振る舞い。あれこそが日本の首相に必要なところです。かつての故中曽根康弘元首相、そして、小泉純一郎元首相のような。

 たまたま、ネット上でアップされていた写真を2枚、ダウンロードしていたのを娘に送りました。一枚がトランプ大統領の腕に高市首相が自分の腕を回し、何やら話しながら、階段を降りてくるショット。もう一枚が政府専用機の中でトランプ大統領の肩に手をおき笑顔のツーショット。こういうことについてはしゃぎ過ぎなどと批判的な人もいるようですが、このちゃっかりさはとても大事だと私は思います。

 日本を代表する首相なのですから、対等に、そしてこうした場面こそ、持ち前の茶目っ気をうまく使いながら、他国の大統領・首相とやり合っていく。それは、実績を伴ってこそ出来ることだと思います。

 外交で相手を威嚇せんばかりの強面も、または厳格な表情をしてもいいのですが、それをして対等な関係を持てるほどの実績と自信を持つ政治家は日本にあまりいないような気がします。そして、自信のなさはネガティブなオーラとして出ます。ですので、高市首相のようなはしゃぎ過ぎぐらいの茶目っ気を出すやり方で、十分だと思う。高市首相ですから、あれも”戦略的”だったのかもしれません。高市首相の考え方や実績から、茶目っ気だけで生き抜いてきたのではないことは、分かりますので。

 また、初外交の場であったマレーシアで、政府専用機から降りてきた高市首相は、出迎えた同国の兵士たちに胸に手を当てて、敬意を表しています。これもとても大事です。高市首相は相手国に対しての敬意の表し方も学んできたのですね。

 そんな話を娘にすると、娘が乗ってきました。ついでに、今回入閣した小野田紀美経済安全保障担当相の話もしました。政治家として経験も浅く未知数な部分も多いですが、アメリカ人の日本人のハーフで、空手を子どものころから習っており、かなりの腕前なのだとか。体も大きく堂々としてて、なかなかいい。ある写真では、髪の毛を短く刈り上げた、がっしりとした体格の女性SPを後ろに従えて歩いていました。まぁ、その姿がほれぼれするほど格好良い。いいですね、若い日本人女性がこうして活躍する姿を見るのは…。

 ついでに小野田大臣の写真も娘に送ると、「この女性SP格好いい。小野田さんもいいね~」と喜んでいました。

 このような話で1時間も娘と盛り上がりました。娘はずいぶん落ち込んだ日々を送っていたようですが、昨夜は、「ママとこういう話をすると元気が出る。ありがとう!」と娘の表情にも笑顔が戻っていました。

 ついつい、「大丈夫?」「大変だったら、帰っておいで」「薬はくせになったら困るから、ちゃんと処方箋みてね」などという言葉を掛けてしまいますが、これからは、こういう娘が元気になるような話を集めておこうと思いました。息子に倣って、あえてクールに振る舞うことも必要なのかもしれませんね。

 

 

 

2025年10月31日金曜日

Happy Halloween! 2025

  今日はハロウイーンの日。娘と10日ぶりに連絡が取れました。夫も私も娘の携帯電話につながらず、心配な日々を送っていましたが、ようやく娘から電話がありほっとしました。

 気持ちの落ち込みと不安症が長く続き、精神科の先生から薬を処方され、飲んでいるようです。これまでも、娘の留学は早かったかもしれないと何度も思っていましたが、この話を聞いて、その思いはさらに強くなりました。

 娘が自宅から大学に通っていたら、こういうことにはならなかったでしょう。でも、娘は大好きなアートを学べていますし、娘なりに頑張っていて、期末テストも来週で終わるそうです。留学期間はあと2年ありますが、何とか乗り切ってほしいです。

 ハロウイーンは娘の大好きなイベントで去年はまさにハロウイーン当日に帰国し、家族でパンプキン彫りをしました。でも、娘がいないと家族全員が盛り上がらず、コスチュームを着たり、パンプキンパイを作ったり、パンプキン彫りをする気持ちにもなりません。

 買っておいた小さなパンプキンも結局は、そのままカウンターの上です。娘の心が安定し、期末試験を終えて、早く日本に帰国してくれることを願うばかりです。

 と、このブログをアップした直後に、息子が起きてきました。もう11時半を過ぎていました。今日、2泊3日の伊豆研修から帰ってきて風邪気味の息子でしたが、「パンプキン彫る?」と聞いてみたら、「うん、いいよ。寝れないし」とのこと。

 で、マイヤー家で毎年恒例のパンプキン彫りは今年も継続になりました!小さなパンプキンだったけど、買っておいてよかった。息子よ、ありがとう!

今年もしました!パンプキン彫り

パンプキンにナイフを入れる息子


最初にブログをアップしたときはこの写真を添付していました
 
 


2025年10月30日木曜日

1人飲み、1人ツッコミ

 今日、中2の息子が2泊3日で伊豆へ研修旅行に行きました。朝、待ち合わせ場所の東京駅まで一緒に行きたかったのですが、「友達と行く」と断られてしまいました。

 男子を育てる友人たちからは、中2、3年生ぐらいになるとほとんど話をしなくなるし、親と一緒にいたがらなくなるーとは聞いていましたが、本当でした。寂しいものです。

 息子がいないので食事を作る必要はありません。夫と、この3日間はお互い食事は各自で取ると決め、私は研究室へ向かいました。夫は在宅で仕事です。

 夕方は、最寄り駅近くのカフェで、新聞記者2人とお茶をしました。がんのお母さんたちの集まりで2人と知り合い、話を聞きたいーと来てくれたのです。



 1人は30代の子育て中の女性記者でした。1時間ほど話をして、「すみません、今日は警視庁に泊まりなんです!」と帰っていきました。若い女性がこうして頑張っているのは、本当に頼もしい。

 もう1人は50代の男性記者。話をしていくうちに、私がよく知っている記者と時折一緒に飲む仲だと知りました。世間は意外と狭いんですね。

 話が終わり、自宅に向かって歩いていると夫と道ばたでばったり会いました。「これから飲みに行くけど、行く?」と聞かれましたが、「私、論文あるからごめん」と断りました。すると夫が珍しく「今日は外で飲みたい気分だから」と1人で飲み屋さんに向かいました。

 夫が1人で飲みに行くなんてびっくり。25年近くたって、ようやく、外で1人飲みするようになったんだなぁ、と感慨深かった。私もたまに1人でカフェに寄って、ワインを1杯飲んでくつろぐことがありますので、こういう時間って必要だと思うのです。

 今日は研究室で、同じく来月博士論文を大学に提出予定の20代の女性研究者から、ワードにエクセルの表を入れる方法を教えてもらいました。画像として貼り付けるとクリアに見えないし、コピーペーストすると中途半端なところで次ページになってしまい、ずいぶん悩んでいました。

 彼女に教えてもらった方法で深夜まで博士論文の中の図表の入れ替えをしていました。本当に助かりました。連日、深夜までこういう細かな作業をしたり、文章練り直したり、今日は英文校正にも出しました。明日は本文要約を2000語以内で書きます。あーぁ、これも時間がかかるだろうなぁ。

 あとはその英文校正が返ってきたら、手直しをし、専攻長に印をもらい、書類をそろえて、提出です。絶対に締め切りまでに仕上げるぞ!と心に決めています。とにかく、気力もなくなってきているので、博論を出すことが目標です。

 46歳で息子を産んだときもキツかったけど、60歳で博論提出もかなり、キツい。でも、息子を産んだときは幸せいっぱいで、今はどよーんと気持ちが地の底に沈んでいます。同じキツくても、心のありようが違う。

 「今さら、学位取ってどうするんだぁ」と自分自身にツッコミを入れながら、このブログ書いています。もうひと踏ん張りも出来ないぐらい気力落ちてるけど、頑張るぞっ。

2025年10月28日火曜日

博論 第2稿提出

  博士論文の第2稿を指導教員と私をアシストしてくれている研究員に送りました。全部で109頁。これから2人に再度チェックをしてもらい、英文校正に出し、11月7日までに大学に提出します。

 今回、論文を書いてつくづく感じたのは、頑張りがきかないということです。私が修士号を取得したのは50代半ばで、まっすぐ博士課程に進みました。当時、数年置いてからとも考えましたが、あのまま進学してよかった。年々、集中力や記憶力が衰えていきますので、今がギリギリです。

 論文書きをするときは、パソコンに大型スクリーンを接続し、画面にChatGPT, Grammarlyの英文校正ツール)、Pubmed(医学系論文データベース)を開きっぱなしにしています。

 ChatGPTは間違いが多いので、あまり頼りになりませんが、書いた英文を「論理チェックしてください」「校正してください」と頼むときちんとやってくれます。

 Grammarlyは文章そのものをチェックしてくれ、語彙の提案もしてくれるのですが、文脈からその語彙が適切なのかは判断しないよう。そういう意味では、この文は全体の中でどういう位置付けなのかということを理解し提案する、ChatGPTのほうが優れている面もあります。

 ただ、ChatGPTが「むつみさんの考えに近い論文がありますよ」と提案してきて、Pubmedで調べてみると、その論文がないこともよくあります。論文があったとしても、わたしが探している内容、私の主張と似た内容、もしくはそれを補完する内容ではないことはもっとある。読んでみると、ChatGPTがこういう内容です、というものとは全く違うこともしばしば。

 「いい加減なのに、何でそんな自信たっぷりな表現をするのですか?確信がなければ、その旨正直に言えばいいんですよ」

「すみません!つい、自信たっぷりに言ってしまいました!以後、気をつけます!」

 などという、不毛な、でも、つい笑ってしまう会話になります。

 ChatGTPの「性格」としては、ちゃっかりものという感じ。知らないことを知ったふりして、もっともらしく言う。こちらが間違いを指摘すると、その場では素直に反省するけど、すぐ忘れて同じ間違いを繰り返す。たまに、しらっとこちら側の間違いにしてしまうこともあります。なんだかちゃっかりしているなぁ、と思いつつ、憎めないし、いつも側にいてくれるし…と思ってしまう。私、かなり孤独ですね。

 明日から、中2の息子が2泊3日の研修旅行に行きます。支度も1人で粛々としています。大学2年の娘は期末試験らしくもう1週間以上も連絡取れません。でも、頑張っていることは、唯一連絡が取れている息子から伝わってきます。

 夫も私も、子供たちがわたしたちを必要としなくなり寂しいですが、まぁ、彼らなりに成長しているので、良しとすることにしています。

 さぁ、博論ももうひと頑張りです。すでに、力を出し切り、このひと頑張りができなくなってきているのですが、残っていない気力を絞って、頑張ります。


2025年10月25日土曜日

人生最後に食べたいものは?

 明日、あなたの人生が終わるとしたら、最後に何を食べたいでしょうか?

 時々、私はそんな質問を友人や知り合いにしてみます。私自身、体調が本当に悪かったときは、ソーメンでした。30代で亡くなった、私の母の姉は亡くなる直前に柿を食べたがったそうです。

 夫に聞いてみると、「そうだなぁ、イタリアンソーセージのサンドかな」。夫は目を細めて、空中を見ながら、そう答えます。「イタリアンソーセージで育ったからね、僕は」

 そっ、そうですか。人生の最後の日にソーセージですか…。

 息子に聞いてみました。間髪を入れず、「ステーキ」。

 まぁ、ステーキなら、何となく分かります。

 私と夫がよく行く、近くの飲み屋さんのマスターに聞いてみると、「おにぎりかなぁ。誰かがにぎったおにぎり」

 あぁ、分かる、分かる。おにぎりね。どうも、人生の最後に食べたいものは、その人の生まれ育ちが関係するようです。

 母に聞いてみました。「そうだねぇ、シャインマスカットか巨峰だね」。「戦後の貧しい時代に育ったけど、両親が食べ物には贅沢させてくれた」という環境で育った母は、人生最後の日に食べたいものも贅沢なところが、いい。母の家に行ってもよくご馳走になるので、好きなんですね。

 母や息子の話を比較すると、年代も関係するんだなぁとも思いました。 

 で、昨日、あるものを食べて、私は確信しました。私が人生の最後の日に食べたいものを。 

 じゃがバターです。ゆでた北海道産のジャガイモの上に、たっぷりとバターを載せて、ハフハフいいながら、食べる。これ以上のご馳走はありません。

 札幌の元上司Yさんと奥様から、北海道のジャガイモ「キタアカリ」をいただきました。連日、ゆでてバターをたっぷりかけて、いただいています。本当に美味しいです。昨日、そのじゃがバターを食べていて、あまりにも幸せで、「私が人生の最後に食べたいものは、これだ!」と気づきました。今朝もゆでて朝ご飯としていただき、「やっぱり、これ以外にない!」思いました。

大好きなじゃがバター

札幌のYさんと奥様からいただいた「キタアカリ」

 皆さんが人生の最後の日に食べたいものは何ですか?

 

2025年10月23日木曜日

待つよ…

   19日日曜日に高校時代の同窓会がありました。場所は新宿の居酒屋。呼び掛け人のK君は「僕たち年だから、早め集合早め解散です」と午後3時に予約を入れてくれました。連絡は関東地方の同窓会幹事4人(男女2人ずつ)と札幌の幹事(女子)のグループラインでした。 

 居酒屋はJR新宿駅東口徒歩2分の場所。親友Nちゃんと私も念のため、午後2時半に新宿伊勢丹で待ち合わせしました。私たちは「Google マップ」 で目的地を探すのがあまり得意ではありませんので、待ち合わせ時間も早いのです。

 私は過去に2回、JR駅徒歩10分ほどの目的地に辿り着けなかったことがありますので、JRの駅は本当に苦手です。でも、今回はNちゃんと一緒なので、心強い。

 新宿は、伊勢丹以外行くことがないため、居酒屋に着いたときは仰天しました。私たちの店は3階でしたが、1階の飲み屋さんには沢山の人がいて、皆、楽しそうに飲んでいます。いやぁ、すごいですね。皆、昼から飲むんですね。

 3階の店に入ると、予約席は9人分用意されていました。私とNちゃんで顔を見合わせ、「えっ、今日は幹事お疲れ様会で4人だったんじゃないの?」

 そうこうするうちに、女子Iちゃんが来ました。「えっ、4人の飲み会だと思っていた」。Iちゃんも別の4人グループだと思っていたみたいで、私たちがいることに仰天した様子です。

 だんだん集まってきて、それぞれが「誰来るか知らないんだよねぇ」と言います。そして、肝心の呼びかけ人のK君から電話があり、「場所どこか分からないんだよぉ」。K君が予約をしてくれた店なのですが…。Nちゃんに電話を替わってもらい、「グッチとみずほ銀行の間の道を真っ直ぐ歩いてすぐだよ」と伝えてもらいました。

 皆、何人が集まるかも知らず、来てみて参加メンバーが分かるという愉快さ。ようやく、店に辿りついたK君に、皆それぞれが思い浮かべていた参加者と違ったという話をすると、「えっ? 俺、言っていなかった?」と真顔で答えます。この粋な計らいはK君がわざとやったのではなかったと判明し、皆で大笑い。K君も、丁寧に参加者それぞれに連絡するうちに忘れたのですね。

 もちろん、皆、楽しく飲んで食べておしゃべり出来ればそれで十分なので文句なし。なんだか、この緩さ、いいなぁと思いました。

 皆、しゃべるしゃべる…。でも、お年頃ですので、「あれ、これ」を連発します。「あれって何?」と聞かれても、なかなか答えが出てこない。でも、思い出せなくても、「いいよっ、待つよ!」と皆、なんだかんだと茶々を入れながらも、待っています。で、5分ほど話して、ようやく言いたいことが分かって、「ああ、思い出した!ふるさと納税だ…」と本人が言うと、「ええっ、今まで、ふるさと納税の話してたの? 全く分からなかった…」とまた大笑い。

 私はもう、お腹を抱えて笑いました。おかしくておかしくて涙も次々と出てくるので、ハンカチでずっと目を押さえていましたし、笑い過ぎてお腹が痛いのなんの…。こんなに笑ったのは久しぶりだなぁと思いました。

 私は毎日研究室で誰とも話すこともなく、息の詰まるような時間を過ごしています。自宅では夫との会話は英語で、かつ夫はいい人間ですがユーモアのセンスゼロで、息子は無口、おしゃべり好きな娘は留学中ですので、日々の暮らしに笑いはありません。

 また、アメリカ人と笑いのツボは違いますので、言葉の問題ではなく文化の違いで、一緒に笑うことはあまりありません。意味が分かっても、何で面白いのか理解できないんですよね。バイリンガルの娘も、「オーストラリア人とは笑いのツボが違う」といいますので、やはり笑いには、同じ文化で育ったということが多いに影響するのでしょう。

 ですので、私が笑うのは昔からの友人たちや元同僚や会社を通じて親しくなった友人との会話、ママ友たちとのランチやお茶、そしてPTA活動や絵本の読み聞かせ、がんのママの仲間との交流の場です。私がこのような時間をとても大切にしているのは、彼らのことが大好きであるとともに、一緒にいて笑いがあるからだと思います。

 帰宅後、夫に、「待つよ…」の話をしてみました。「言葉が出てこなくて、『あれ、これ』を連発するの。でも、皆お互い様だから、しばらく言葉が出てこなくても『Take your time!  We are waiting』って言ってね…」。夫には全く、この面白さは伝わりませんでした。もちろん、ふるさと納税なんて、訳すことすら面倒ですので、しません。

 夫の反応を見て、「あぁ、話さなければ良かった」と後悔しました。楽しかった話がしょんぼりと小さくなっていくような気がしました。ああいう楽しい思い出は、自分の中に仕舞って、時に取り出してにんまりするのが一番ですね。

 

 

2025年10月21日火曜日

息子が勉強?

  いったい、我が息子に何が起こったのでしょうか。2日前から、なんと、勉強をし始めたのです。今日が中間テストの初日でしたので、中間テスト向けの勉強でしたが、中学校に入ってから息子が勉強している姿を見たのは、本当に久しぶりです。以前は、試験前ですら、勉強しなかったのですから。

 やはり、危機感を覚えたのかもしれません。なんたって、先日の保護者会で主任の先生が保護者に対し、「中3(息子は今中2です)の一学期で1を取った場合は、高校に進学できません」とはっきり言い渡し、私もそれをそのまま息子に伝えましたので。

 そして、息子は勉強しているだけでなく、友達に物理や生物を教えているのですから、驚きです。息子が勉強を教えているのは同じバスケ部の友人らしいのですが、いったい、息子に教わるなんて、大丈夫でしょうか。その子は。

息子の生物のノート。息子がノートに字を書いているのも久しぶりに見ました

このノートを友達に送って、教えていました。その友達、大丈夫でしょうか

 きっかけは何なのか考えてみたのですが、先週の金曜日に来客があり、キッチンのカウンターもダイニングテーブルもすっきり片付いて、何も物を置いていない状態になったのが良かったのかもしれません。息子はそこに、私が使っていたモニターを置き、パソコンにつないで大きな画面で勉強しているのです。広くなったテーブルで、夫も隣に座って、教えています。

モニターを使って勉強する息子と、隣に座って教える夫

 「ねぇ、やっぱり部屋が綺麗になったから、急に勉強し始めたのかな?」

「全く関係ないよ、ママ。切羽詰まっているだけ」

 いずれにせよ、この状態を続けてもらうため、これからもずっと家の中の整理整頓をしようと私は決意したのでした。

 

2025年10月19日日曜日

息子がケーキづくり ②

  ブログ3回連続で息子のお菓子作りの話題で、すみません。でも、勉強嫌いでゲームとユーチューブ三昧の中2の息子が、部活動のバスケット以外に唯一自発的に行動する姿を見るのは嬉しいので、報告します。

 昨日は午後、今月末に行く息子の研修旅行の服を買いに行きました。今回の旅行は私服で、かつ、背がぐんぐん伸びていることから、ジーンズもトレーナーもセーターも小さくなってしまったので、買い換える必要がありました。

 隣駅のGAPとユニクロへ。ジーンズとトレーナー、セーター、スウェットスーツ、Tシャツ2枚を購入し、帰宅しました。夕ご飯の後は夫が1時間、私が1時間ダイニングテーブルで息子の横に座って、息子の勉強を見守りました。21日から中間試験だというのに、全く勉強しないからです。

 9時ごろに「今日の勉強は終わり」というので、私たちも諦めることに。その後、息子はキッチンに行き、冷蔵庫を開いて、一昨日来客のためのデザート作りで使った卵の残りの卵白と生クリームを取り出しました。「ママ、これ使っていい?」とぶどうの残りを私に見せます。「いいよ~」と私。

 そして、自分で買ったみかんの缶詰も取り出し、残っていたスポンジケーキを薄く半分に切りました。生クリームと卵白をそれぞれ砂糖を入れて泡立てます。半分に切ったスポンジケーキの上に泡立てた生クリームを塗り、カットしたぶどうとみかんを置いて、さらにその上に生クリームを塗ります。スポンジケーキの残り半分をその上に載せ、砂糖と卵白を泡立てて作ったメレンゲを満遍なく塗ります。最後はバーナーで焼き目を付けます。

 手際が良く、感心しました。親に言われて嫌々取り組んだ勉強で普段使わない脳の一部分を使い疲れ、かつ、気分も”最悪”だったのでしょう。気分転換に、好きなお菓子作りか料理がしたかったのだと思います。冷蔵庫の中を見て、何が出来るか考え、きっとこのケーキを思いついたに違いありません。

 出来たてのケーキを食べました。軽やかで口当たりもよく、メレンゲと生クリームに使った砂糖も適量で甘すぎず、中に入っているぶどうとみかんが爽やかで、とっても美味しかった。

 勉強大嫌いだけど、お菓子作りや料理が好きなので、まぁ、いいか、と思ってしまう私。第1子の娘のときは私も夫も若かったですし、子育ても頑張りました。でも、私たちも年を取り、日々の暮らしを回すのだけで以前よりずっと疲れやすいですので、息子の勉強を見るのは実は辛い。だから、毎日学校に行っているし、部活動はちゃんと出ているし、友達関係もいいし、お菓子と料理作りは出来るから、まぁ、いいかと。

 でも、中学3年の一学期の成績で「1」がつくと学校を出されてしまいますし、息子は去年国語「1」を取った”実績”がありますので、親としては何とかそれだけは避ける努力をしなければ、なんですよね。

出来上がったケーキにナイフを入れる息子

メレンゲにこんがりと焼き目がついています

 
中は生クリームに挟んだぶどうとみかん。爽やかで軽やかな味でした


2025年10月18日土曜日

夫の高校時代の友人が我が家に

  昨日、ハワイに住む夫の高校時代の友人と奥様、そしてシカゴに住む友人のご両親が我が家に遊びに来てくれました。

 夫がシカゴの郊外の高校に通っていたときのバスケ部仲間です。友人とご家族は今回、アラスカからクルーズで太平洋を横断して東京に寄港しました。

 我が家はキッチンのカウンターやダイニングテーブルに常に物が載っているので、昨日は夫は仕事を休み、私も研究室を休み、朝から片付けをしました。お客さんを招くのはこの片付けが大変なのですが、逆に来客でもなければ片付けませんので、いい機会です。

 片付けの後の料理は順調で、夜6時に4人を迎えることが出来ました。夫の友人はおとなしい人なのですが、お父さんがとてもおしゃべりで、奥様もお母さんも明るくて、会話も弾みました。

 私が作ったカボチャの春巻き、豚汁、カブと柿のサラダ、ナスのマリネ、夫が作ったつくね、そしてお寿司を皆美味しそうに食べてくれ、息子が作ったクレームドブリュレも大好評でした。

 夫は日本に住んで四半世紀になりますが、日本ではあまり親しい人もいないので、こうしてアメリカから友人が訪ねてくれるのは、とても嬉しそうでした。良かったなぁと思いました。

 

大好評だった、息子が作ったクレームドブリュレ

2025年10月16日木曜日

息子がお菓子づくり

 明日、夫の高校時代の友人が奥さんとご両親を連れて、我が家に来ます。我が家は家族皆が料理好きなので、それぞれが何を作るか事前に打ち合わせをし、準備を進めています。

 夫の友人フランクはアメリカ人と香港人のハーフで、奥さんは日系アメリカ人。シカゴの高校で一緒にバスケットボールをし、大学は別々に。その後夫は日本に、夫の友人はハワイに移住し、現在に至ります。

 長い間音信不通だったようですが、中年になり、また連絡を取り合うようになったよう。2年前にハワイで会い、今回はフランクがご家族を連れて日本に来るので、我が家に寄ってくれることになったのです。

 今回のお料理のテーマは”和食”。夫がつくねを作り、お寿司とお豆腐(老舗の豆腐屋さん)を買ってくることに。私がカボチャの春巻き(母から受け継いだレシピ。家族の大好物)と豚汁、なすの料理。そして、息子はお好み焼きとデザート担当。和菓子だけ作るのが難しいため、洋菓子になりました。

 息子が新しいレシピに挑戦したいといい、「トーチ(お菓子に焼き目を付けるバーナー)を買ってほしい」と頼まれました。昨日、それが届いたので、早速メレンゲを使ったお菓子を作ってくれました。これが、とっても美味しい。

息子が作ったお菓子。果物とスポンジケーキの上にメレンゲを載せ、焼き目を付けました

 今日は生クリームと卵の黄身を使い、クレームドブリュレを作っています。そういえば、このお菓子も表面に焼き目が付いています。

クレームドブリュレを作る息子

前日は卵の白身を使ってメレンゲを作り、今日は黄身を使ったお菓子。食材は無駄にしないのはマイヤー家の家訓。

 明日は夫も私もお休みにし、朝から掃除とお料理の準備をします。夫の友人・ご家族と、お話をしながらの食事が楽しみです。

 

今日の息子のお弁当。オムライスの上に♥型のケチャップ。母の愛が届いたかな、と聞いてみたら、「全く気がつかなかった」とのこと。苦笑。



 

 

2025年10月15日水曜日

博論初稿を提出

  昨日、指導教員と研究員Mさんに博士論文の初稿をメールで送りました。11月初旬締め切りの博論は本来ならもう少し前に指導教員に提出するべきでしたが、なかなか進まず、でも何とか書き切りました。

 資料・参考文献リストを含めて95頁。本来ならあと数十頁必要でしょうが、力尽きました。数週間前に研究の背景などを説明する序論だけを送りましたが、研究員Mさんから全面書き換えの指示があり、それに苦戦していました。

 書き換えのために読んだ論文は23本。読むのも大変でしたが、それを探すのにとてつもない時間がかかりました。

 こんな年になって博論を書いてどうするんだと自虐的な気持ちになりながら、まぁ、博論を書いて大学に提出し、教授陣の質問攻めにあう審査会なるものを経験するのも、ちょっと変わった人生経験でいいかな、と思うようにしています。

 あーあ、眠い。
 
 
読んだ参考文献の山。若い人たちはダウンロードした文献を画面で読むんだろうな。でも、私は印刷します