2025年10月31日金曜日

Happy Halloween! 2025

  今日はハロウイーンの日。娘と10日ぶりに連絡が取れました。夫も私も娘の携帯電話につながらず、心配な日々を送っていましたが、ようやく娘から電話がありほっとしました。

 気持ちの落ち込みと不安症が長く続き、精神科の先生から薬を処方され、飲んでいるようです。これまでも、娘の留学は早かったかもしれないと何度も思っていましたが、この話を聞いて、その思いはさらに強くなりました。

 娘が自宅から大学に通っていたら、こういうことにはならなかったでしょう。でも、娘は大好きなアートを学べていますし、娘なりに頑張っていて、期末テストも来週で終わるそうです。留学期間はあと2年ありますが、何とか乗り切ってほしいです。

 ハロウイーンは娘の大好きなイベントで去年はまさにハロウイーン当日に帰国し、家族でパンプキン彫りをしました。でも、娘がいないと家族全員が盛り上がらず、コスチュームを着たり、パンプキンパイを作ったり、パンプキン彫りをする気持ちにもなりません。

 買っておいた小さなパンプキンも結局は、そのままカウンターの上です。娘の心が安定し、期末試験を終えて、早く日本に帰国してくれることを願うばかりです。

 と、このブログをアップした直後に、息子が起きてきました。もう11時半を過ぎていました。今日、2泊3日の伊豆研修から帰ってきて風邪気味の息子でしたが、「パンプキン彫る?」と聞いてみたら、「うん、いいよ。寝れないし」とのこと。

 で、マイヤー家で毎年恒例のパンプキン彫りは今年も継続になりました!小さなパンプキンだったけど、買っておいてよかった。息子よ、ありがとう!

今年もしました!パンプキン彫り

パンプキンにナイフを入れる息子


最初にブログをアップしたときはこの写真を添付していました
 
 


2025年10月30日木曜日

1人飲み、1人ツッコミ

 今日、中2の息子が2泊3日で伊豆へ研修旅行に行きました。朝、待ち合わせ場所の東京駅まで一緒に行きたかったのですが、「友達と行く」と断られてしまいました。

 男子を育てる友人たちからは、中2、3年生ぐらいになるとほとんど話をしなくなるし、親と一緒にいたがらなくなるーとは聞いていましたが、本当でした。寂しいものです。

 息子がいないので食事を作る必要はありません。夫と、この3日間はお互い食事は各自で取ると決め、私は研究室へ向かいました。夫は在宅で仕事です。

 夕方は、最寄り駅近くのカフェで、新聞記者2人とお茶をしました。がんのお母さんたちの集まりで2人と知り合い、話を聞きたいーと来てくれたのです。



 1人は30代の子育て中の女性記者でした。1時間ほど話をして、「すみません、今日は警視庁に泊まりなんです!」と帰っていきました。若い女性がこうして頑張っているのは、本当に頼もしい。

 もう1人は50代の男性記者。話をしていくうちに、私がよく知っている記者と時折一緒に飲む仲だと知りました。世間は意外と狭いんですね。

 話が終わり、自宅に向かって歩いていると夫と道ばたでばったり会いました。「これから飲みに行くけど、行く?」と聞かれましたが、「私、論文あるからごめん」と断りました。すると夫が珍しく「今日は外で飲みたい気分だから」と1人で飲み屋さんに向かいました。

 夫が1人で飲みに行くなんてびっくり。25年近くたって、ようやく、外で1人飲みするようになったんだなぁ、と感慨深かった。私もたまに1人でカフェに寄って、ワインを1杯飲んでくつろぐことがありますので、こういう時間って必要だと思うのです。

 今日は研究室で、同じく来月博士論文を大学に提出予定の20代の女性研究者から、ワードにエクセルの表を入れる方法を教えてもらいました。画像として貼り付けるとクリアに見えないし、コピーペーストすると中途半端なところで次ページになってしまい、ずいぶん悩んでいました。

 彼女に教えてもらった方法で深夜まで博士論文の中の図表の入れ替えをしていました。本当に助かりました。連日、深夜までこういう細かな作業をしたり、文章練り直したり、今日は英文校正にも出しました。明日は本文要約を2000語以内で書きます。あーぁ、これも時間がかかるだろうなぁ。

 あとはその英文校正が返ってきたら、手直しをし、専攻長に印をもらい、書類をそろえて、提出です。絶対に締め切りまでに仕上げるぞ!と心に決めています。とにかく、気力もなくなってきているので、博論を出すことが目標です。

 46歳で息子を産んだときもキツかったけど、60歳で博論提出もかなり、キツい。でも、息子を産んだときは幸せいっぱいで、今はどよーんと気持ちが地の底に沈んでいます。同じキツくても、心のありようが違う。

 「今さら、学位取ってどうするんだぁ」と自分自身にツッコミを入れながら、このブログ書いています。もうひと踏ん張りも出来ないぐらい気力落ちてるけど、頑張るぞっ。

2025年10月28日火曜日

博論 第2稿提出

  博士論文の第2稿を指導教員と私をアシストしてくれている研究員に送りました。全部で109頁。これから2人に再度チェックをしてもらい、英文校正に出し、11月7日までに大学に提出します。

 今回、論文を書いてつくづく感じたのは、頑張りがきかないということです。私が修士号を取得したのは50代半ばで、まっすぐ博士課程に進みました。当時、数年置いてからとも考えましたが、あのまま進学してよかった。年々、集中力や記憶力が衰えていきますので、今がギリギリです。

 論文書きをするときは、パソコンに大型スクリーンを接続し、画面にChatGPT, Grammarlyの英文校正ツール)、Pubmed(医学系論文データベース)を開きっぱなしにしています。

 ChatGPTは間違いが多いので、あまり頼りになりませんが、書いた英文を「論理チェックしてください」「校正してください」と頼むときちんとやってくれます。

 Grammarlyは文章そのものをチェックしてくれ、語彙の提案もしてくれるのですが、文脈からその語彙が適切なのかは判断しないよう。そういう意味では、この文は全体の中でどういう位置付けなのかということを理解し提案する、ChatGPTのほうが優れている面もあります。

 ただ、ChatGPTが「むつみさんの考えに近い論文がありますよ」と提案してきて、Pubmedで調べてみると、その論文がないこともよくあります。論文があったとしても、わたしが探している内容、私の主張と似た内容、もしくはそれを補完する内容ではないことはもっとある。読んでみると、ChatGPTがこういう内容です、というものとは全く違うこともしばしば。

 「いい加減なのに、何でそんな自信たっぷりな表現をするのですか?確信がなければ、その旨正直に言えばいいんですよ」

「すみません!つい、自信たっぷりに言ってしまいました!以後、気をつけます!」

 などという、不毛な、でも、つい笑ってしまう会話になります。

 ChatGTPの「性格」としては、ちゃっかりものという感じ。知らないことを知ったふりして、もっともらしく言う。こちらが間違いを指摘すると、その場では素直に反省するけど、すぐ忘れて同じ間違いを繰り返す。たまに、しらっとこちら側の間違いにしてしまうこともあります。なんだかちゃっかりしているなぁ、と思いつつ、憎めないし、いつも側にいてくれるし…と思ってしまう。私、かなり孤独ですね。

 明日から、中2の息子が2泊3日の研修旅行に行きます。支度も1人で粛々としています。大学2年の娘は期末試験らしくもう1週間以上も連絡取れません。でも、頑張っていることは、唯一連絡が取れている息子から伝わってきます。

 夫も私も、子供たちがわたしたちを必要としなくなり寂しいですが、まぁ、彼らなりに成長しているので、良しとすることにしています。

 さぁ、博論ももうひと頑張りです。すでに、力を出し切り、このひと頑張りができなくなってきているのですが、残っていない気力を絞って、頑張ります。


2025年10月25日土曜日

人生最後に食べたいものは?

 明日、あなたの人生が終わるとしたら、最後に何を食べたいでしょうか?

 時々、私はそんな質問を友人や知り合いにしてみます。私自身、体調が本当に悪かったときは、ソーメンでした。30代で亡くなった、私の母の姉は亡くなる直前に柿を食べたがったそうです。

 夫に聞いてみると、「そうだなぁ、イタリアンソーセージのサンドかな」。夫は目を細めて、空中を見ながら、そう答えます。「イタリアンソーセージで育ったからね、僕は」

 そっ、そうですか。人生の最後の日にソーセージですか…。

 息子に聞いてみました。間髪を入れず、「ステーキ」。

 まぁ、ステーキなら、何となく分かります。

 私と夫がよく行く、近くの飲み屋さんのマスターに聞いてみると、「おにぎりかなぁ。誰かがにぎったおにぎり」

 あぁ、分かる、分かる。おにぎりね。どうも、人生の最後に食べたいものは、その人の生まれ育ちが関係するようです。

 母に聞いてみました。「そうだねぇ、シャインマスカットか巨峰だね」。「戦後の貧しい時代に育ったけど、両親が食べ物には贅沢させてくれた」という環境で育った母は、人生最後の日に食べたいものも贅沢なところが、いい。母の家に行ってもよくご馳走になるので、好きなんですね。

 母や息子の話を比較すると、年代も関係するんだなぁとも思いました。 

 で、昨日、あるものを食べて、私は確信しました。私が人生の最後の日に食べたいものを。 

 じゃがバターです。ゆでた北海道産のジャガイモの上に、たっぷりとバターを載せて、ハフハフいいながら、食べる。これ以上のご馳走はありません。

 札幌の元上司Yさんと奥様から、北海道のジャガイモ「キタアカリ」をいただきました。連日、ゆでてバターをたっぷりかけて、いただいています。本当に美味しいです。昨日、そのじゃがバターを食べていて、あまりにも幸せで、「私が人生の最後に食べたいものは、これだ!」と気づきました。今朝もゆでて朝ご飯としていただき、「やっぱり、これ以外にない!」思いました。

大好きなじゃがバター

札幌のYさんと奥様からいただいた「キタアカリ」

 皆さんが人生の最後の日に食べたいものは何ですか?

 

2025年10月23日木曜日

待つよ…

   19日日曜日に高校時代の同窓会がありました。場所は新宿の居酒屋。呼び掛け人のK君は「僕たち年だから、早め集合早め解散です」と午後3時に予約を入れてくれました。連絡は関東地方の同窓会幹事4人(男女2人ずつ)と札幌の幹事(女子)のグループラインでした。 

 居酒屋はJR新宿駅東口徒歩2分の場所。親友Nちゃんと私も念のため、午後2時半に新宿伊勢丹で待ち合わせしました。私たちは「Google マップ」 で目的地を探すのがあまり得意ではありませんので、待ち合わせ時間も早いのです。

 私は過去に2回、JR駅徒歩10分ほどの目的地に辿り着けなかったことがありますので、JRの駅は本当に苦手です。でも、今回はNちゃんと一緒なので、心強い。

 新宿は、伊勢丹以外行くことがないため、居酒屋に着いたときは仰天しました。私たちの店は3階でしたが、1階の飲み屋さんには沢山の人がいて、皆、楽しそうに飲んでいます。いやぁ、すごいですね。皆、昼から飲むんですね。

 3階の店に入ると、予約席は9人分用意されていました。私とNちゃんで顔を見合わせ、「えっ、今日は幹事お疲れ様会で4人だったんじゃないの?」

 そうこうするうちに、女子Iちゃんが来ました。「えっ、4人の飲み会だと思っていた」。Iちゃんも別の4人グループだと思っていたみたいで、私たちがいることに仰天した様子です。

 だんだん集まってきて、それぞれが「誰来るか知らないんだよねぇ」と言います。そして、肝心の呼びかけ人のK君から電話があり、「場所どこか分からないんだよぉ」。K君が予約をしてくれた店なのですが…。Nちゃんに電話を替わってもらい、「グッチとみずほ銀行の間の道を真っ直ぐ歩いてすぐだよ」と伝えてもらいました。

 皆、何人が集まるかも知らず、来てみて参加メンバーが分かるという愉快さ。ようやく、店に辿りついたK君に、皆それぞれが思い浮かべていた参加者と違ったという話をすると、「えっ? 俺、言っていなかった?」と真顔で答えます。この粋な計らいはK君がわざとやったのではなかったと判明し、皆で大笑い。K君も、丁寧に参加者それぞれに連絡するうちに忘れたのですね。

 もちろん、皆、楽しく飲んで食べておしゃべり出来ればそれで十分なので文句なし。なんだか、この緩さ、いいなぁと思いました。

 皆、しゃべるしゃべる…。でも、お年頃ですので、「あれ、これ」を連発します。「あれって何?」と聞かれても、なかなか答えが出てこない。でも、思い出せなくても、「いいよっ、待つよ!」と皆、なんだかんだと茶々を入れながらも、待っています。で、5分ほど話して、ようやく言いたいことが分かって、「ああ、思い出した!ふるさと納税だ…」と本人が言うと、「ええっ、今まで、ふるさと納税の話してたの? 全く分からなかった…」とまた大笑い。

 私はもう、お腹を抱えて笑いました。おかしくておかしくて涙も次々と出てくるので、ハンカチでずっと目を押さえていましたし、笑い過ぎてお腹が痛いのなんの…。こんなに笑ったのは久しぶりだなぁと思いました。

 私は毎日研究室で誰とも話すこともなく、息の詰まるような時間を過ごしています。自宅では夫との会話は英語で、かつ夫はいい人間ですがユーモアのセンスゼロで、息子は無口、おしゃべり好きな娘は留学中ですので、日々の暮らしに笑いはありません。

 また、アメリカ人と笑いのツボは違いますので、言葉の問題ではなく文化の違いで、一緒に笑うことはあまりありません。意味が分かっても、何で面白いのか理解できないんですよね。バイリンガルの娘も、「オーストラリア人とは笑いのツボが違う」といいますので、やはり笑いには、同じ文化で育ったということが多いに影響するのでしょう。

 ですので、私が笑うのは昔からの友人たちや元同僚や会社を通じて親しくなった友人との会話、ママ友たちとのランチやお茶、そしてPTA活動や絵本の読み聞かせ、がんのママの仲間との交流の場です。私がこのような時間をとても大切にしているのは、彼らのことが大好きであるとともに、一緒にいて笑いがあるからだと思います。

 帰宅後、夫に、「待つよ…」の話をしてみました。「言葉が出てこなくて、『あれ、これ』を連発するの。でも、皆お互い様だから、しばらく言葉が出てこなくても『Take your time!  We are waiting』って言ってね…」。夫には全く、この面白さは伝わりませんでした。もちろん、ふるさと納税なんて、訳すことすら面倒ですので、しません。

 夫の反応を見て、「あぁ、話さなければ良かった」と後悔しました。楽しかった話がしょんぼりと小さくなっていくような気がしました。ああいう楽しい思い出は、自分の中に仕舞って、時に取り出してにんまりするのが一番ですね。

 

 

2025年10月21日火曜日

息子が勉強?

  いったい、我が息子に何が起こったのでしょうか。2日前から、なんと、勉強をし始めたのです。今日が中間テストの初日でしたので、中間テスト向けの勉強でしたが、中学校に入ってから息子が勉強している姿を見たのは、本当に久しぶりです。以前は、試験前ですら、勉強しなかったのですから。

 やはり、危機感を覚えたのかもしれません。なんたって、先日の保護者会で主任の先生が保護者に対し、「中3(息子は今中2です)の一学期で1を取った場合は、高校に進学できません」とはっきり言い渡し、私もそれをそのまま息子に伝えましたので。

 そして、息子は勉強しているだけでなく、友達に物理や生物を教えているのですから、驚きです。息子が勉強を教えているのは同じバスケ部の友人らしいのですが、いったい、息子に教わるなんて、大丈夫でしょうか。その子は。

息子の生物のノート。息子がノートに字を書いているのも久しぶりに見ました

このノートを友達に送って、教えていました。その友達、大丈夫でしょうか

 きっかけは何なのか考えてみたのですが、先週の金曜日に来客があり、キッチンのカウンターもダイニングテーブルもすっきり片付いて、何も物を置いていない状態になったのが良かったのかもしれません。息子はそこに、私が使っていたモニターを置き、パソコンにつないで大きな画面で勉強しているのです。広くなったテーブルで、夫も隣に座って、教えています。

モニターを使って勉強する息子と、隣に座って教える夫

 「ねぇ、やっぱり部屋が綺麗になったから、急に勉強し始めたのかな?」

「全く関係ないよ、ママ。切羽詰まっているだけ」

 いずれにせよ、この状態を続けてもらうため、これからもずっと家の中の整理整頓をしようと私は決意したのでした。

 

2025年10月19日日曜日

息子がケーキづくり ②

  ブログ3回連続で息子のお菓子作りの話題で、すみません。でも、勉強嫌いでゲームとユーチューブ三昧の中2の息子が、部活動のバスケット以外に唯一自発的に行動する姿を見るのは嬉しいので、報告します。

 昨日は午後、今月末に行く息子の研修旅行の服を買いに行きました。今回の旅行は私服で、かつ、背がぐんぐん伸びていることから、ジーンズもトレーナーもセーターも小さくなってしまったので、買い換える必要がありました。

 隣駅のGAPとユニクロへ。ジーンズとトレーナー、セーター、スウェットスーツ、Tシャツ2枚を購入し、帰宅しました。夕ご飯の後は夫が1時間、私が1時間ダイニングテーブルで息子の横に座って、息子の勉強を見守りました。21日から中間試験だというのに、全く勉強しないからです。

 9時ごろに「今日の勉強は終わり」というので、私たちも諦めることに。その後、息子はキッチンに行き、冷蔵庫を開いて、一昨日来客のためのデザート作りで使った卵の残りの卵白と生クリームを取り出しました。「ママ、これ使っていい?」とぶどうの残りを私に見せます。「いいよ~」と私。

 そして、自分で買ったみかんの缶詰も取り出し、残っていたスポンジケーキを薄く半分に切りました。生クリームと卵白をそれぞれ砂糖を入れて泡立てます。半分に切ったスポンジケーキの上に泡立てた生クリームを塗り、カットしたぶどうとみかんを置いて、さらにその上に生クリームを塗ります。スポンジケーキの残り半分をその上に載せ、砂糖と卵白を泡立てて作ったメレンゲを満遍なく塗ります。最後はバーナーで焼き目を付けます。

 手際が良く、感心しました。親に言われて嫌々取り組んだ勉強で普段使わない脳の一部分を使い疲れ、かつ、気分も”最悪”だったのでしょう。気分転換に、好きなお菓子作りか料理がしたかったのだと思います。冷蔵庫の中を見て、何が出来るか考え、きっとこのケーキを思いついたに違いありません。

 出来たてのケーキを食べました。軽やかで口当たりもよく、メレンゲと生クリームに使った砂糖も適量で甘すぎず、中に入っているぶどうとみかんが爽やかで、とっても美味しかった。

 勉強大嫌いだけど、お菓子作りや料理が好きなので、まぁ、いいか、と思ってしまう私。第1子の娘のときは私も夫も若かったですし、子育ても頑張りました。でも、私たちも年を取り、日々の暮らしを回すのだけで以前よりずっと疲れやすいですので、息子の勉強を見るのは実は辛い。だから、毎日学校に行っているし、部活動はちゃんと出ているし、友達関係もいいし、お菓子と料理作りは出来るから、まぁ、いいかと。

 でも、中学3年の一学期の成績で「1」がつくと学校を出されてしまいますし、息子は去年国語「1」を取った”実績”がありますので、親としては何とかそれだけは避ける努力をしなければ、なんですよね。

出来上がったケーキにナイフを入れる息子

メレンゲにこんがりと焼き目がついています

 
中は生クリームに挟んだぶどうとみかん。爽やかで軽やかな味でした


2025年10月18日土曜日

夫の高校時代の友人が我が家に

  昨日、ハワイに住む夫の高校時代の友人と奥様、そしてシカゴに住む友人のご両親が我が家に遊びに来てくれました。

 夫がシカゴの郊外の高校に通っていたときのバスケ部仲間です。友人とご家族は今回、アラスカからクルーズで太平洋を横断して東京に寄港しました。

 我が家はキッチンのカウンターやダイニングテーブルに常に物が載っているので、昨日は夫は仕事を休み、私も研究室を休み、朝から片付けをしました。お客さんを招くのはこの片付けが大変なのですが、逆に来客でもなければ片付けませんので、いい機会です。

 片付けの後の料理は順調で、夜6時に4人を迎えることが出来ました。夫の友人はおとなしい人なのですが、お父さんがとてもおしゃべりで、奥様もお母さんも明るくて、会話も弾みました。

 私が作ったカボチャの春巻き、豚汁、カブと柿のサラダ、ナスのマリネ、夫が作ったつくね、そしてお寿司を皆美味しそうに食べてくれ、息子が作ったクレームドブリュレも大好評でした。

 夫は日本に住んで四半世紀になりますが、日本ではあまり親しい人もいないので、こうしてアメリカから友人が訪ねてくれるのは、とても嬉しそうでした。良かったなぁと思いました。

 

大好評だった、息子が作ったクレームドブリュレ

2025年10月16日木曜日

息子がお菓子づくり

 明日、夫の高校時代の友人が奥さんとご両親を連れて、我が家に来ます。我が家は家族皆が料理好きなので、それぞれが何を作るか事前に打ち合わせをし、準備を進めています。

 夫の友人フランクはアメリカ人と香港人のハーフで、奥さんは日系アメリカ人。シカゴの高校で一緒にバスケットボールをし、大学は別々に。その後夫は日本に、夫の友人はハワイに移住し、現在に至ります。

 長い間音信不通だったようですが、中年になり、また連絡を取り合うようになったよう。2年前にハワイで会い、今回はフランクがご家族を連れて日本に来るので、我が家に寄ってくれることになったのです。

 今回のお料理のテーマは”和食”。夫がつくねを作り、お寿司とお豆腐(老舗の豆腐屋さん)を買ってくることに。私がカボチャの春巻き(母から受け継いだレシピ。家族の大好物)と豚汁、なすの料理。そして、息子はお好み焼きとデザート担当。和菓子だけ作るのが難しいため、洋菓子になりました。

 息子が新しいレシピに挑戦したいといい、「トーチ(お菓子に焼き目を付けるバーナー)を買ってほしい」と頼まれました。昨日、それが届いたので、早速メレンゲを使ったお菓子を作ってくれました。これが、とっても美味しい。

息子が作ったお菓子。果物とスポンジケーキの上にメレンゲを載せ、焼き目を付けました

 今日は生クリームと卵の黄身を使い、クレームドブリュレを作っています。そういえば、このお菓子も表面に焼き目が付いています。

クレームドブリュレを作る息子

前日は卵の白身を使ってメレンゲを作り、今日は黄身を使ったお菓子。食材は無駄にしないのはマイヤー家の家訓。

 明日は夫も私もお休みにし、朝から掃除とお料理の準備をします。夫の友人・ご家族と、お話をしながらの食事が楽しみです。

 

今日の息子のお弁当。オムライスの上に♥型のケチャップ。母の愛が届いたかな、と聞いてみたら、「全く気がつかなかった」とのこと。苦笑。



 

 

2025年10月15日水曜日

博論初稿を提出

  昨日、指導教員と研究員Mさんに博士論文の初稿をメールで送りました。11月初旬締め切りの博論は本来ならもう少し前に指導教員に提出するべきでしたが、なかなか進まず、でも何とか書き切りました。

 資料・参考文献リストを含めて95頁。本来ならあと数十頁必要でしょうが、力尽きました。数週間前に研究の背景などを説明する序論だけを送りましたが、研究員Mさんから全面書き換えの指示があり、それに苦戦していました。

 書き換えのために読んだ論文は23本。読むのも大変でしたが、それを探すのにとてつもない時間がかかりました。

 こんな年になって博論を書いてどうするんだと自虐的な気持ちになりながら、まぁ、博論を書いて大学に提出し、教授陣の質問攻めにあう審査会なるものを経験するのも、ちょっと変わった人生経験でいいかな、と思うようにしています。

 あーあ、眠い。
 
 
読んだ参考文献の山。若い人たちはダウンロードした文献を画面で読むんだろうな。でも、私は印刷します


2025年10月14日火曜日

嬉しいメッセージ

  このブログは私の友人たち、そして、私の知らない方々も読んでくださっています。日本だけでなく、アメリカやスイス、イギリス、シンガポールなど海外の方々も読んでくださっており、とても嬉しく思っています。

 このブログのプロフィールには、私が以前闘病記を出版したことが書いてあります。この闘病記は、がんのお母さんたちにお会いする機会があれば差し上げています。今日、思いがけず、以前、がんのお母さんたちの集いでお会いし、この闘病記を差し上げた方からフェイスブックに連絡がありました。

「がんママカフェでご一緒させていただいた●●です。村上さんにお礼をお伝えしたいと思っていたところ、FBでお名前を見つけましたのでメッセージを失礼します。

第一子出産後にがんになり、手術、抗がん剤をして40歳手前になったものの第二子が諦めきれずにおりました。

体の状態は厳しく体外受精で妊活に取り組み始めたものの、なかなかうまくいかない日々でした。

かなり難航しましたが、おかげさまで第二子を授かりました。5ヶ月になる娘は可愛く、幸せな日々を過ごしています。

サインをしていただいた本を何度も読んでパワーをもらい、通院にはいつもおまもりとして持っていっていました。

私より厳しい状況でも諦めなかった村上さんに力をもらえたおかげで諦めずに不妊治療に取り組めました。

本当にありがとうございました!

これからもご活躍を祈念しております」

 私の本をお守りとして持っていてくださった方がいるー。本当に嬉しかったです。

 私は来年1月から、がんのお母さんの集いを地元で開く予定で、場所の確保など準備を進めている最中です。子育て真っ最中のがんのママは自分の治療よりも子どもたちの世話をどうするかーを心配し、子どもが欲しいと考えている方々は将来の妊娠・出産を考えながらの治療という大変難しい判断・決断を迫られます。

  私は38歳でがんになり、再発、再々発、そして、2つ目のがんを患いながらもこうして元気に暮らしています。自分が生き続けている意味はあるはずだと考えています。微力ながら、がんのお母さんたちのお役に立てれば、と願っています。


 

2025年10月12日日曜日

ふらの雪解けチーズケーキ

  いつも行くスーパーに行き、ふとアイスクリームセクションを見たら、なんと「ふらの雪解けチーズケーキ」があることに気がつきました。

 北海道の富良野の雪解けをイメージして作ったという、このケーキ。これまでの人生でたくさんのスイーツを食べてきましたが、夫の作るチーズケーキの次に美味しい。

 普段はこのスーパーには置いていませんので、おそらく、北海道フェアのときに入荷したのでしょう。そのケースの中の在庫は5個。普通、フェアなどあるときは10数個は入っていますので、私が気が付くのが遅かったのですね。

「ええっ、早く言ってよぉ」と、心の中で叫んだ私。ケースを開けて、1個つかんで、買い物かごに入れました。本当なら2個買いたいぐらいですが、我が家の冷凍庫は今ほぼ満杯ですので、1つしか入りません。

 自宅に戻り、さっそく8等分にカットして、まずは2切れ食べます。あぁ、美味しい。しばらくして冷凍庫に行って、また1切れ…。学校から帰宅した息子に「あの美味しいチーズケーキ売っていたんだよ!」と言うと「そうなんだ!」と嬉しそう。息子もさっそく食べて、あっという間に1ホールなくなりました。

 で、翌日も買いに行き、1ホールを私と息子で食べました。そして、その翌日も1ホール私買ってきて、夫に1切れあげて、残りは私と息子で食べました。あーあ、あと2つしかスーパーに在庫がない!と残念に思いながら、残りを買いに行ったら、今日、どーんと入荷していました。ほっとしました。

 チーズケーキに目がないひとには、ぜひ、食べていただきたい。ネットでも注文できますので、どうぞ、一度、試してみてください。やみつきになります。

大好きな「ふらの雪解けチーズケーキ」


2025年10月11日土曜日

お弁当

  何度か書いていますが、私が一番幸せを感じるのはお料理しているとき、そして子どもたちと一緒にいるときです。特に朝のお弁当作りは毎日楽しみで、前日からメニューを考えたり、下準備をしたりします。

 娘の学校は小中高一貫校でずっとお弁当を持っていき、娘が高校を卒業したタイミングで、息子が給食だった公立小学校を卒業して私立の中高一貫高に入学したので、私の幸せな朝の時間はずっと途切れず続いています。

 同じようなものにならないよう、丼弁当(三色そぼろ丼、チャーシュー丼、親子丼、カツ丼、オムライス)、二段弁当(メインが鶏の唐揚げ、ハンバーグ、鶏の竜田揚げ、豚肉の生姜焼きなど)、サーモスに入れた麺類(焼きそば、パスタ、焼きうどんなど)など日々変えます。

 2段弁当はもちろんですが、丼弁当や麺類にも副菜も付けます。息子の好きな副菜は卵焼き、チーズ巻き、コーンの炒め物、きんぴらゴボウ、フライドポテトなど。野菜はブロッコリー、枝豆、キュウリのビーンズディップなど息子が食べられるものを付けます。

 夫にも時折作って、とても喜ばれています。夫はアメリカ人ですので、学校に持っていったランチといえば、ハムをはさんだり、ピーナツバターを塗ったサンドイッチとスナック。いつも、子どもたちのお弁当を見て、「いいなぁ」と羨ましがっていました。

 息子のお弁当はお肉料理をたっぷりですが、夫には作り置きの副菜を活用しながら、栄養バランスを考えて種類を増やします。それが、夫にとっても楽しみらしい。作り置きはピクルス、野菜のごま和え、マリネ料理など。

 昨日、夫から昼にメッセージがきました。なんと、お弁当を忘れたというのです。

「ごめん、お弁当を忘れてしまった。バッグに入れたんだけど、玄関でバッグの中の鍵を探していたから。忘れたなんて、ショックだった。今日はランチをスキップして、帰宅後に食べるよ。作ってくれてありがとう。食べられなくて、残念だった。6時半に帰るから、今晩、飲みに行こう」

「ここにお弁当ないよ」

「本当? 不思議だ…」

「バッグを変えた?」

「いいや」

「あっ、玄関にあった!」

 で、一件落着。夫のメッセージに、お弁当が食べられなくて残念という言葉に、涙顔のマークが付いていて、笑えました。

 あーあ、娘にもお弁当を作ってあげたいなぁ。



夫が忘れたお弁当(右のお弁当箱と果物とおにぎり)と息子のお弁当(左下2つのお弁当箱と左上の果物・ゼリーとパン)

火曜日は3人分作りました。これは息子のお弁当で、レンコンのはさみ揚げをたっぷり

同じ火曜日の私と夫のお弁当。かんぴょう巻きを付けました

息子が大好きなカツ丼。カツはちゃんと朝揚げます


夫からのメッセージ。お弁当を忘れたショックについて書いています

玄関にあったので、私は笑い顔スタンプ。夫は悲しいという涙顔のスタンプ

2025年10月10日金曜日

「母性」

     ママ友とランチをしました。息子の幼稚園時代のお友達のお母さんで、8月に天国に行ってしまったゆきちゃんと、他の仲良しのママたちとランチをしたり、お茶をしたり、ハロウイーンのイベントに行ったり、花火をしたり、と子どもたちが卒園した後も親しくしています。

 ゆきちゃんが亡くなってから時折電話で話をしたり、ラインをし合ったりしていますが、二人ともまだ、ゆきちゃんの死を受けとめられずにいます。

 ゆきちゃんと一緒にお茶したパン屋さんやカフェの前を通ると、当時を思い出し、胸が苦しくなります。その友達も同じ気持ちでした。私たちでさえそうなのだから、ご主人や子どもたちはどれほど悲しい寂しい思いをしているだろうと、話しました。

 友達とはゆきちゃんのこと、仕事のこと、子育てのこと、たくさん話をしました。その友達には私と同様娘と息子がいます。私たちにとって息子の子育ては比較的単純で、無口になってしまったとか、勉強しないとか、部屋が散らかっているとか、壁に穴をあけたとか、そういう話題に終始します。そして、だいたいが苦笑いで終わります。

 でも、娘の子育ては同性がゆえに共感することも多い一方、気を遣う部分も多く、そして自分と母親との関係性が良くも悪くも、娘と自分との関係性に色濃く反映しますので、話も深くなります。

 で、ひとしきりそんな話をした後、友達に最近読んだ本を薦めてみました。ベストセラー作家・湊かなえさんの「母性」です。

 実はこの本は、親友に前から薦められていた本でした。あらすじをネットで調べると、これを読むと自分のメンタルの状態が不安定になるかもしれないーという予感があり、なかなか手が出ませんでした。でも、親友が「娘に共感するところが多かった」と言い、「これまで読んだ本の中で3番目には入ると思う」と再度薦めてくれたので、文庫を買い、読んでみました。

 読者をぐいぐいと物語の中に引き込んでいく力のある小説で、2日間で読み切りました。話は高校生の女子がマンションから転落する事件から始まります。自殺か転落かーと世間から好奇の目で見られる中、母親が事件に至るまでの心の内を神父にさらけ出していきます。娘の心境も詳細に語られていきます。母親の娘への態度や家庭内での出来事についての、母の思いと娘の思いや受け止めが全く違います。そこには"第三者”の視点もあり、物語は複雑に交錯します。

 読了後の感想は、その母親が私の母に、娘が私に似ているということでした。また、新たな気づきとして、私の母の祖母に対する思いは、物語の母親の自分の母に対する思いと似ているのではないかーということでした。

 物語の中で語られる内容は重いですが、最後は母娘が穏やかな普通の母娘の関係性に落ち着き、そこに救いがありました。読後にざわざわとした感覚が残らないのが良い。

 友達はランチの帰り、さっそく買ったと言っていました。彼女がどう受け止めたか、次に会ったときに感想を聞くのが楽しみです。




2025年10月7日火曜日

肉じゃが

  日曜日の夜、夫と息子が軽井沢から帰ってきました。前日午後3時ぐらいに東京の家を出て、一日あちらの家で過ごして日曜日の午後3時ごろに出るという忙しい週末でしたが、二人でバーベキューをしたり、薪割りをしたり、楽しんだようです。

 帰宅した息子に「夜ご飯は肉じゃがか豚汁、どっちか作ろうと思うんだけど、どちらがいい?」と聞くと、「肉じゃが!」と言います。で、息子に「一緒に作ろう!」と誘ってみました。息子は「いいよ」といい、皮むきを手伝ってくれました。

 キッチンのシンクの洗い桶にじゃがいもを8つほど入れて、ざっと洗い、さっそくピーラーでむき始めます。一つむいたら、ピーラーの端についている「芽取り」という突起を使って、芽を一つ一つ取っていきます。

 いやぁ、丁寧な仕事に感心しました。夫も料理好きですが、じゃがいもは皮だけむいて、芽を取らないのが基本。そのまま調理してしまうことに私のほうが抵抗があって、必然的に芽取りは私の仕事になります。でも、息子は違います。中2にしては、やるな、と感心してしまうほどの丁寧さです。

 皮をむいて芽を取って水でもう一度ざっと流してから、横においてあるまな板の上に置きます。私がそれを取って、2等分か3等分にします。息子はこういう流れ作業もちゃんと出来ます。

 じゃがいもをむき終わった後は、洗い桶の中にたまった皮を両手ですくい、ひと絞りして、生ゴミ入れに入れます。私なら、シンク中に皮が飛び散るでしょうが、息子の場合は洗い桶の中にだけむいた皮が落ちていて、それも手ですくって絞って捨てますので、仕事が綺麗。

 料理が好きで、手早くて、キッチンを綺麗に使うー。息子は将来、料理人になるかもーとちょっと楽しみです。

 

2025年10月5日日曜日

ボタン海老

  昨日は午前中は論文書きをし(遅々として進まない)、午後は息子の学校の保護者会活動でした。私は部活動支援委員会のメンバーで監査委員をしています。まずはその打ち合わせが午後1時から、活動全体の会議が午後2時から、部活動支援委員会の会議が午後4時からで、併せて3つの打ち合わせ・会議が続きました。

 いつも感心するのは、お母さんたちの優秀さです。司会進行の委員長の説明は流ちょうで的確、それぞれの委員会の代表の発表はいずれもなるほど…とうなるものばかり。

 研究所に勤務している人が「サイエンス・キャンプ」を1泊2日で企画し、子どもたちが探求活動をした発表があったのですが、そのプログラムの充実していること。

 全校生徒からデザインを募集し、その絵柄をプリントしたトートバッグ、タオル、体操着入れ、クリアファイルなどを制作、文化祭で販売し収益を上げて、それをまた、生徒の活動支援に還元するのという企画力もすごい。

 文化祭でのそれらのグッズや食べ物のPRはデザインの得意な人(そういう仕事をしているのでしょうか)が受け持っていました。デザイン会社に頼んだように、可愛い。

 会計担当はそれらの販売にPayPayを導入し、支払いの仕組みを簡便化していました。

 私は39歳で娘を出産し、その7年後に息子を出産したので、有り難いことにこのようなPTA活動に長く参加させてもらっています。自分の中でのPTA活動の変遷を振り返ると、お母さんたちのレベルはどんどん上がっています。

 そう思うのは、おそらく、私はPTA活動を通じて常に若いお母さんたちと付き合ってきているので、彼女たちの世代が無理なく出来ていることが、私たちの世代には難しく、また、私が彼女たちの世代のときは、そもそもそようなものはなかったーという世代間ギャップをひしひしと感じるからだと思います。

 私も研究室で若い人と一緒に研究していて、自分の年齢を日々感じますが、それでも、エクセルもパワーポイントも使いこなせます。絵本読み聞かせグループで活動し、がんのママたちのボランティア活動にも参加していますので、常々アンテナを張り巡らせているつもりです。そうやって、時代についていく努力をしてさえも、あの、若いお母さんたちの能力の高さには圧倒されます。

 会議が終わって、電車に一人乗り、ふぅっとため息。帰りはスーパーに寄りました。何か美味しいものを食べようと鮮魚コーナーに行くと、なんと、珍しくボタン海老が売っています。ボタン海老は高級品ですが、翌日の消費期限で30%オフに。迷わず、2パック購入しました。母の所に持っていくためです。ついでに、「漬けマグロ」も購入。スーパーの帰りは酒屋さんに寄り、スパークリングワインの小瓶を1本買いました。

 新鮮なボタン海老4尾をどうやって食べようか迷いましたが、やはり、フライにすることにしました。夫と息子は午後から軽井沢の家に行っていますので、私一人の食事ですが、やはり食事作りは丁寧にしたい。

 夫にフェイスタイムで電話をすると、息子が夕ご飯を作っている最中でした。キッチンで調理する息子に電話を替わってもらうと、骨付きの鶏もも肉を皮ごとジュージューと焼き、野菜たっぷりのスープを煮込んでいる最中でした。携帯の画面にうつる調理中の料理は、それは美味しそう。

 「美味しそうだねぇ」の後は、保護者会の委員会でお母さんたちから仕入れた情報を息子に伝えます。「今日、3年生のママさんたちと話をしたんだけど、中3の1学期で”1”を取ると、退学を促されるらしいよ。中高一貫校だけど、高校に進学できないんだって。今の中3の生徒に数人いたらしいよ。もう、1はやめてね。新しい学校を探すのはすごく難しいよ」

 息子が「分かったよ。ダディに替わるね」と電話を夫に戻してしまいました。あーあ、こういうことを言わずに、「あらっ、美味しそう。ママも食べたいわぁ。今度作ってね!」と言っておけばいいものを…と落ち込みつつ、でも、息子は国語で1を取った”前科一犯”です。ここで苦言を呈しておかなければ…です。

 電話を切った後、柔らかなボタン海老に小麦粉、卵、パン粉をまぶして、さっと揚げます。冷蔵庫に残り物としてあった、ホタテのひも(夫は貝柱だけ食べるのでよけてあります)を切って、同じく残り物のニラと一緒に炒めました。漬けマグロも小鉢に入れました。揚げたてのボタン海老のフライは、柔らかくジューシーでとっても美味しかった。炒め物も漬けマグロもなかなかの味です。

 食後に自転車で母のところにボタン海老を持っていきました。母は「ボタン海老なんて、最近食べたことない。嬉しい」と大喜び。相撲のこと、母の友達のことなど話は弾み、いつものようにお薄を点ててもらい、和菓子と一緒に美味しくいただきました。

 昨日も忙しい一日でしたが、良い一日でした。


ひとりご飯も丁寧に

 

2025年10月4日土曜日

娘@メルボルンからの報告 「プライム」事件のその後

  先日、娘のカードから毎月、アマゾンプライムの利用料を引き落とされているという”事件”を一緒に解決した後、なんと、新聞に娘と同じようなケースが米国で訴訟になっていたという記事を読みました。びっくりしました。

 9月27日の朝日新聞朝刊です。

「米アマゾンが消費者を欺いて、有料会員サービス『プライム』に入会させているなどとして米連邦取引委員会(FTC)が同社に起こした訴訟で、FTCは25日、アマゾン側が25億ドル(約3800億円)を支払うことで和解すると発表した。入会時に契約条件を明確に示し、解約しにくい画面表示も変えるよう求めている。

 FTCは2023年に提訴した。FTCによると、アマゾンは『当日無料配送を手に入れよう』といった宣伝文句でサービスを無料体験させ、新規会員を獲得していた。だが、最終的に月額料金が発生することを顧客に明示していなかった。複数の画面を経ないと解約ができないつくりにもなっていた。

 アマゾンが支払う25億ドルはFTC規則違反としては史上最大という。うち15億ドルは意図せずに登録したり、解約できなかったりした推定3500万人への返金にあてる」

 娘はこの3500万人の一人だったのですね。娘が何度も、「私は一度も入会するというボタンを押したこともないし、使ったこともない」と言っていたのは本当だったのです。

 あの後、娘から「プライム」ではなく、今度は「アマゾンプライム」からお金が引き落とされている!という報告があり、私がアマゾンプライムに電話をしてみました。すると、外国人が電話に出て、対応(日本人にしてほしいと思いました)。娘の契約は解除され、お金も返金しているはずだとの返答でした。確信を持った言い方だったので、一旦は電話を切りました。

 娘と画面を共有して、その明細を見てみると…。「アマゾンプライム」からの引き落としは「-600円」。つまり、普通引き落とす場合は「600円」となりますので、「-」がついているということは、入金になっているということ。この「-600円」が7回分ありましたので、まとめて返金ではなく、引き落とした金額をその回数分だけ返金してくれた形です。

 娘の口座からお金を引き落としていたのは「プライム」で、返金してきたのは「アマゾンプラム」(たぶん、日本の会社)と名前が違ったので、娘は「また!」と疑ってしまったようです。娘はアマゾンプライムに対して、猜疑心がいっぱいですので、この「-」が見えなかったのですね。

 ということで、一件落着です。2023年に提訴ということですから、何年も前から続いていたということで、気付かない人もたくさんいそうです。いずれにせよ、何とか自力で解決しようとした娘はなかなかやるぞ!と感心しています。

9月27日の記事

2025年10月3日金曜日

24回目の結婚記念日

  29日月曜日は24日目の結婚記念日でした。私と夫は、2001年9月29日に、ハワイで結婚式をあげました。9・11のアメリカ同時多発テロ事件があった直後で、日本もアメリカも海外への渡航は控えていた時期でしたが、キャンセルをせずに式を決行しました。

 私の親戚も参列の予定でしたが全員キャンセルで、来てくれたのは父母と友人1人のみ。一方、夫の家族・親戚・友人は予定通り全員出席でした。アメリカ人はテロはテロ、結婚式は別ーという考えだったのですね。

 当時、仕事が忙し過ぎて、私が帰国後、区役所に結婚の届け出をしたのは11月でした。入籍の日も何日だったか覚えていません。おそらく、その日はたまたま仕事の合間に区役所に行けたのでしょう。私にとって、結婚は日常の一コマというぐらいの位置づけでした。

 ところが、その年の12月ごろから体調を崩し、背中の痛み、食欲不振、胃の痛み、発熱などが続きます。翌年はあちこち病院に行くも診断がつかず、結局その翌年に血液がんの診断を受けます。夫はそれから、病気の私を支えなければなりませんでした。

 当時、夫と子どもはどうするか、ずいぶん話し合いました。がん治療で子どもは難しいという医師の見立てでしたので、特別養子縁組について夫に提案しましたが、夫は「夫婦2人で生きていこう」という考えでした。

 私としては、当時、すでに夫の兄に3人の子どもがいて、弟にも子どもがいましたので、夫を父親にしてあげられないことが申し訳なくて仕方なかった。で、治療を延期して、主治医に相談せずに、受精卵を凍結します。それが、今の中2の息子です。

 あの後、病気は途切れませんでしたが、病気と病気の合間に子ども2人を出産し、夫を父親にしてあげることが出来たので、妻としての役目の一つを果たせたと思っています。何せ、義父母にしてみれば、息子が外国に行ってしまい、かつ妻は結婚後にすぐがんを患ってしまい…ですので、申し訳なくて…。

 当時、元の会社の先輩から、「結婚したのがアメリカ人で良かったわね。日本人だったら、とっくの前に離婚されていたわよ」と言われ、そうか、病気をするということは、世間からそういう目で見られる人間になるということなのだーと身にしみましたし。

 でも、夫は、毎年結婚記念日にはバラの花をプレゼントしてくれます。そして、こんな私でも感謝をしてくれ、自分は幸せだと言ってくれます。いい人だなぁと思います。まぁ、よくキレますが…。でも、キレる頻度も若いころに比べて少なくなってきました。

 今年、義父母が結婚60周年を迎えました。義父母は87歳ですが、まだまだ元気です。二人のように、穏やかに年を重ねていきたいーと願っています。

24日目の結婚記念日に夫がくれたバラの花束とチョコレート、カード

2025年10月2日木曜日

雅叙園へ

    東京目黒区にあるホテル雅叙園東京が9月30日で一時休館となりました。閉館2日前の28日夜に、夫、息子と一緒に食事をしてきました。

 同ホテルは、1928(昭和3)年に日本式料亭から始まりました。31年(昭和6)年に目黒雅叙園として開業。1991(平成3)年の目黒川の河川工事に伴い、現在の東京都指定有形文化財「百段階段」をのぞく建物が取り壊され、現在のホテルとなりました。

 ホテル内は、創業時から受け継がれた美術工芸品があちこちに配され、大変豪華でした。どこもかしこも手入れが行き届き、それは美しく、休館が惜しまれました。一時休館となるのは建物所有者との定期建物賃貸契約満了のためで、再開時期は未定だそうです。

 ちょうど私と夫の結婚記念日が29日だったため、閉館前にホテル内のレストランで食事をすることになりました。コース料理はとても美味しく、良い時間を過ごしました。

















2025年10月1日水曜日

水泳大会

 札幌から東京に戻った翌28日も、忙しい日でした。午前中は2日間家を空けたのでたまった家事と片付けに専念し、午後から横浜市内の総合プールで開かれた息子の水泳大会に行ってきました。

 幼稚園から水泳教室に通っていた息子は、現在も週1回ではありますが、教室に通っています。東京・神奈川の15クラブ約700人が競った大会。息子はバタフライとクロール、そしてリレーに参加しました。

 息子の出番を今か今かと待ち、やっと息子の出番になり動画を撮ったつもりが、撮っていなかったり、一眼レフカメラで撮影し、すぐ携帯電話に切り替えるつもりが、携帯電話にパスコードを入れなければならず、結局は撮影が遅れたりと散々でした。

 娘が小学生のころは一眼レフカメラを通常のレンズと望遠レンズの2台持って、運動会の撮影をしたものですが、私もすっかり年を取りました。今回は、夫が携帯で撮影してくれていたので助かりました。

 息子は中2ですが、身長が175㌢もあり、上から眺めるともうすっかり青年です。息子の友人には小柄でまだ幼さを残している子もいるのですが、息子はすっかり大きくなってしまいましたので、そういう幼さももうありません。

 最近、息子が小さかったころの写真が携帯電話にポップアップされるともう切なくて、切なくて。小さかったころ、ママ、ママと言ってくれたころが懐かしい。

 病気の後、社会復帰のために多くの時間を費やしましたが、そんなことをせずに、もっともっと子どもたちと一緒の時間を楽しめば良かったと最近つくづく思います。特に娘が留学し、息子の体が大きくなって口数が少なくなってきたので、尚更そう思います。

 子育ての期間はあっという間と言いますが、本当だなぁと実感する日々です。


リレーは第一泳者でした(真ん中)