2025年12月13日土曜日

手作りのプレゼント

  先日61歳になりました。私は38歳でがんに罹患し、40代は病気と闘い、徐々に体調が回復した50代に社会復帰をし、60代になってからはさらにパワーアップしています。私の少し前を行く諸先輩たちの話を伺いますと、60代は元気に活動できる世代らしいので、少し欲張りなぐらいにやりたいことをやろう!と張り切っています。

 61歳のお祝いに、子どもたちから手作りのプレゼントをもらいました。娘からは毛糸で編んだミッフィーとサヤエンドウの「編みぐるみ」。編みぐるみは、鍵ばりで毛糸を編んで作る、ぬいぐるみのような作品で、海外では「amigurumi」として大人気だそうです。

 ミッフィーは天国にいる、娘の双子の弟のキャラクター。息子の遺骨を包む布袋はミッフィー柄で私が縫ったもので、夜寝るときはミッフィーのぬいぐるみを側に置いて寝ていますので、それの”お友達”として作ってくれたそう。サヤエンドウもとっても可愛い。

 息子からは「まま♥」と刺繍をほどこしたハンカチをもらいました。息子は家庭科が得意でこれまでも布袋など作ってくれました。今回の刺繍も息子の心がこもっていて嬉しかった。

  夫からは深紅のバラの花とオードトワレ・ハンドクリームとシャンパン、母からはワインをもらいました。61歳を無事迎えられ、家族皆元気でこうしてお祝いしてもらい、ありがたいなぁと幸せをかみしめた一日でした。

夫からのプレゼント。バラの花は毎年くれます
夫が作ってくれたチーズケーキ、娘はレモンケーキ、息子が作ってくれたのはクレームド・ブリュレ

  

2025年12月10日水曜日

年齢の壁

  これまで何件か研究者の仕事に応募しましたが、いずれも返信が来ないか、「残念ながら」の文面の返信でした。指導教員にも研究室での採用を聞いてみましたが、「あなたは年だから、難しい」との答え。で、思い切って、大学院生が登録する「アカリク」という就職サイトに登録することにしました。

 名前、住所、電話番号と基本事項を入れて、年齢の欄に。ここには西暦が書いてあり、選ぶことになっています。で、ずっと遡っていると「1970」で止まり、それ以上は進めません。えっ、55歳以上は登録できないの?と仰天しました。私は就職サイトすら登録できない年齢なのです。

 思い出すのはがん治療前に凍結した受精卵を、毎年凍結継続し、45歳のときに突然クリニックから「こちらで治療できるのは45歳までです」と言われたときのこと。自分の受精卵すら、自分の子宮に戻せないほど私は年なんだーと愕然としました。

 そのときは、院長先生に懇願して受精卵を移植し、今の息子が生まれました。どの場面でも立ちはだかる年齢の壁。世間ではよく、「年齢は関係ない」と言われます。確かに挑戦するのには年齢は関係ありませんが、その挑戦を受け入れる側にとって、年齢は大きな要素であることは明らか。

 でも、私は諦めない人間です。博士論文を提出したら始めようと温めてきた本の企画を進めながら、研究者としての道も探り続けます。それにしても、人生はなかなか厳しいです。

 

 

2025年12月8日月曜日

  1週間ぶりの投稿です。12月3日と5日に博士論文の審査会の予演会があり、スライド作りと発表の準備、そして、予演会でいただいたコメントをスライドに反映させたりと慌ただしい日々を送っていました。

 予演会は東大大学院で博士号を取得した同じ研究室内の研究者4人と指導教員の5人。発表したのは指導教員の下、このたび博士論文を大学に提出した3人です。20代の女性研究者と、40代ぐらいの男性医師と、私。いやぁ、二人とも立派でした、スライドも発表も。

 彼らに比べると、私のスライドは全く洗練されておらず、あちこちに粗が見えて、恥ずかしかった。指導教員からは「インド人の発表みたい」と言われてしまいました。インド人のスライドは文章が長く、発表はスライドの棒読みなのだそうです。

 指導教員はさらに、私の発表のときは、コクリコクリと眠りに落ちそうになっていました。スライドに対する指摘はいくつももらいましたが、予演会の後の雑談では、全く私と目を合わせず、ほかの2人とだけ目を合わせて話していました。

 こういうのって、辛いんですよね。私、本当に指導教員には迷惑をかけないようにしていますし、そもそも、話をするのは年数回です。こういう久しぶりの機会なのですから、目を合わせて、話してほしいなぁと悲しい気持ちになります。

 このように悲しい気持ちになりながら、よく頑張ってここまで来たーと自分で自分をねぎらっています。審査会はなんと1月末。女性研究者は12月末、男性医師は1月中旬だそうで、私が一番遅い。審査会で様々な助言や指摘を受けて、修正して最終版の提出は2月中旬。提出前の英文校正に4,5日かかりますし、製本も数日かかります。このスケジュールで本当に修了できるか自信ありませんし、審査委員は教授4人と助教授1人。あーあ、どれほど厳しい質問が来るんだろう…。でも、もう腹をくくるしかありません。

 今はスライドを修正しながら、想定問答集を作っています。審査員に何を質問されても、きちんと答えられるように。でも、スライドを見ての発表ですら、つっかえつっかえですから、自分が準備していない質問をされたら頭が真っ白になりそうです。

 61歳(先日誕生日でした)にして、博論の審査会への挑戦。こういう状況に自ら追い込んでしまう自分に本当に疲れますし、「この選択は間違っていたのではないだろうか」と自問自答の日々です。

 が、今日たまたまフェイスブックで、79歳でショップ店員に応募し現在も元気に働いている女性のリールを読み、励まされました。頑張るぞ!

2025年12月2日火曜日

 私が尊敬するがんのママFさんが先日、一人息子さんの高校生活最後のお弁当の写真をフェイスブックにアップしました。たくさんの人から「お疲れ様!」のコメントがあり、それを見ながらつくづく思ったのは、私がその立場だったら、寂しいだろうなぁということ。

 私にとって、毎日のお弁当づくりと夕食づくりは一番幸せな時間。実際の家族との食事の時間より幸せなので、その時間を私がとても楽しんでいることは皆さんに分かっていただけると思います。

 寂しがるFさんに他のがんママからのコメントがありました。「大丈夫、大学弁当すぐに始まるから」。そのママさんによると、カフェテリアや食堂の食事も飽きて、お弁当を作ってと頼まれるとか。そっかぁ、それなら楽しい期間が少し延長しますね。

 ということで、娘が帰国してから1人分お弁当が増えました。私はいつになく、張り切っています。

一番早く家を出る息子のお弁当。カボチャの春巻き、豆腐ハンバーグ、卵焼き

次に娘、夫、私のお弁当

娘のリクエストの鶏そぼろ弁当。夫には好物のゴボウのささがきも入れて