2021年6月22日火曜日

波乱の研究計画

 ブログを書く間隔がまた空いてしまいました。この間、大波乱がありました。先週の水曜日、大学院の指導教官が研究計画の変更を提案してきたのです。つまり、研究計画書を丸ごと書き換えるということ。この2カ月間、私が費やしてきた時間と努力が無になるということです。

 米国カリフォルニア州生まれのこの指導教官にはこれまでも何度も振り回されましたが、もう耐え切れず、喧嘩腰の抗議のメールを出してしまいました。もちろん、私のメールに憤慨した教官からは、”逆ギレ”のメールの返信が送られてきました。

 そもそも、50代の私にとって、大学院に通う意味は学位取得ではありません。もちろん、行ったからには卒業を目指しますが、学ぶことと研究したいテーマを追求することに意味があります。が、40代の若い指導教官にとって、やはり主眼は期間内により簡単に確実に終わらせられるテーマを学生に選ばせることにあります。とっとと学位を取得して、それを生かしたキャリアを目指す若い学生にとってはそうでしょうが、老後も視野に入っている学生にとって、それは意味がないのです。が、私の気持ちは指導教官には分からないでしょう。

 今春、この指導教官の下、学位取得論文を書いて卒業した女性Nさんにラインで愚痴を聞いてもらいました。Nさんは若くして化学で博士号を取得し、さらに公衆衛生学で修士号を取得した強者。「研究なんて、そんなものですよ~」と爽やか。このようなドタバタを楽しむぐらいの気持ちでいたほうが良いとアドバイスをくれました。

 そして、私に教えてくれた驚愕の事実。これで、私の気持ちが一気に軽くなりました。「私の場合、先生は年末にデータを丸ごと変えるように指示してきましたよ。解析を全部やり直しました」

 修士論文の発表は翌月の1月、論文提出は2月。Nさんだからこそ、解析のし直しが出来たのでしょうが、私なら気が狂います。まずはストレスで髪が抜けるでしょう(以前、強度のストレスで頭髪が全部抜けたことがあります)。

 Nさんに比べれば、6月にひっくり返された私の場合は、まだ良しとしなければならないでしょう。でも、これからもひと波乱もふた波乱もありそうです。このブログでしか言えませんが、涼しい風に吹かれて育ったカリフォルニアボーイの思い付きと”超”が付くほどの楽観性に対応するのも、本当に疲れます。まぁ、向こうも「更年期の日本人女性を指導するのは、本当に面倒だ」と思っているかもしれませんが。

 さて、夫には「指導教官と喧嘩する院生の話なんて聞いたことがない」と呆れられましたが、私の気持ちはスッキリ。この年ですから、当然、人に抗議をするときはその後の展開がどうなろうと覚悟はしています。

 とういうことで、気持ちは相変わらず重いですが、頑張ります。前回のブログでも最後は「頑張ります」で締めていましたが、もう、頑張るしかありません。

春、息子と一緒に植えたアサガオが咲きました。気持ちが癒されます

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