2021年6月26日土曜日

海岸でバーベキュー

  娘が夏休みに入り、クラスメートと神奈川県茅ヶ崎市の海岸でバーベキューをしました。お母さんたちが企画したもので、私もお手伝いとして参加。久しぶりに子どもたちに会い、わくわくする時間を過ごしました。

 コロナ禍、学校での催しがほとんどキャンセルされ、昨年今年と子どもたちの様子を見る機会がありませんでした。ですので、まず驚いたのが男子の成長です。待ち合わせをしたJR茅ヶ崎駅に、次々とやってくる男子たちの格好良いこと。皆ぐんと背が伸びて、本当に素敵です。かつ礼儀正しく、待ち合わせ時間前に全員が到着。「ちゃんとしているなぁ」と感動しました。

 海岸まで細い道を十数人が一列になって歩きました。娘もお友達とおしゃべりしながら、楽しそう。途中、「誰かはぐれていないかしら?」などと思わず人数を数えたりする自分に苦笑しました。子どもたちが小さなころの癖が抜けないのですね。

 海岸ではお母さん2人がバーベキューの準備をしてくれていました。今はとても便利で、一人四千円を支払うと、業者さんがテントも食材も炭起こしもすべて準備をしてくれるのですね。こういう情報を知っていて企画するお母さんはすごいなぁと感心。

 お肉を焼き、焼きそばを作りながら、子どもたちやお母さんとお話しました。海岸で無邪気に遊ぶ娘たちを眺めました。

 最近は大学院の研究で煮詰まっていたので、改めて母親として過ごす時間の楽しさを実感したのでした。

 






2021年6月22日火曜日

波乱の研究計画

 ブログを書く間隔がまた空いてしまいました。この間、大波乱がありました。先週の水曜日、大学院の指導教官が研究計画の変更を提案してきたのです。つまり、研究計画書を丸ごと書き換えるということ。この2カ月間、私が費やしてきた時間と努力が無になるということです。

 米国カリフォルニア州生まれのこの指導教官にはこれまでも何度も振り回されましたが、もう耐え切れず、喧嘩腰の抗議のメールを出してしまいました。もちろん、私のメールに憤慨した教官からは、”逆ギレ”のメールの返信が送られてきました。

 そもそも、50代の私にとって、大学院に通う意味は学位取得ではありません。もちろん、行ったからには卒業を目指しますが、学ぶことと研究したいテーマを追求することに意味があります。が、40代の若い指導教官にとって、やはり主眼は期間内により簡単に確実に終わらせられるテーマを学生に選ばせることにあります。とっとと学位を取得して、それを生かしたキャリアを目指す若い学生にとってはそうでしょうが、老後も視野に入っている学生にとって、それは意味がないのです。が、私の気持ちは指導教官には分からないでしょう。

 今春、この指導教官の下、学位取得論文を書いて卒業した女性Nさんにラインで愚痴を聞いてもらいました。Nさんは若くして化学で博士号を取得し、さらに公衆衛生学で修士号を取得した強者。「研究なんて、そんなものですよ~」と爽やか。このようなドタバタを楽しむぐらいの気持ちでいたほうが良いとアドバイスをくれました。

 そして、私に教えてくれた驚愕の事実。これで、私の気持ちが一気に軽くなりました。「私の場合、先生は年末にデータを丸ごと変えるように指示してきましたよ。解析を全部やり直しました」

 修士論文の発表は翌月の1月、論文提出は2月。Nさんだからこそ、解析のし直しが出来たのでしょうが、私なら気が狂います。まずはストレスで髪が抜けるでしょう(以前、強度のストレスで頭髪が全部抜けたことがあります)。

 Nさんに比べれば、6月にひっくり返された私の場合は、まだ良しとしなければならないでしょう。でも、これからもひと波乱もふた波乱もありそうです。このブログでしか言えませんが、涼しい風に吹かれて育ったカリフォルニアボーイの思い付きと”超”が付くほどの楽観性に対応するのも、本当に疲れます。まぁ、向こうも「更年期の日本人女性を指導するのは、本当に面倒だ」と思っているかもしれませんが。

 さて、夫には「指導教官と喧嘩する院生の話なんて聞いたことがない」と呆れられましたが、私の気持ちはスッキリ。この年ですから、当然、人に抗議をするときはその後の展開がどうなろうと覚悟はしています。

 とういうことで、気持ちは相変わらず重いですが、頑張ります。前回のブログでも最後は「頑張ります」で締めていましたが、もう、頑張るしかありません。

春、息子と一緒に植えたアサガオが咲きました。気持ちが癒されます

2021年6月10日木曜日

朝、庭の紫陽花をながめながら

 久しぶりのブログです。大学院の研究計画書の修正・再提出を求められ、四苦八苦していました。私の研究は患者さんを対象とするので、研究計画書は大学院に英語で、全く別の形式でとても厳密な研究計画書を日本語で病院に出さなければなりません。再提出を求められたのは、病院側に出した計画書です。

 今日、再提出しましたが、すぐ返信がきて、また再提出の要請。計画書に添付した8つの資料のほかに、さらに1つの資料の提出を求められました。またかぁ…。研究はこれが承認されるまでスタートできませんので、がっかり。

 20代で大学院を修了した夫から、修士論文の大変さは聞いていましたが、本当でした。修士論文でこんなに大変なのですから、いったい、博士論文はどれほど大変なのか想像がつきません。

 研究が患者さん対象でなければ、病院に出す書類は少し簡単で、かつ、公表されている医療・統計データでしたら、研究計画書を提出するのは大学院だけで良いのです。病院に計画書を出す必要のないテーマを選べば良かったと今更ながら後悔しています。まぁ、大変なだけ学ぶことも多いわけで、どちらが良かったのかは後になってからでなければ分からないでしょう。

 38歳でがんを患って再々発の治療後は医師の見立ても悪かったので、「人生やり残したことリスト」を作りました。リストを達成していくうちに、次第に元気になり、残り3つとなりました。そのうち1つが大学院に行くことでした。苦しい道のりではありますが、修了の目途はつきはじめました。

 しかし、リストの終わりが見えてきたのに、またどんどんリストの項目が増えています。新しいことに挑戦し、それを達成すると(正確に言うと、達成する前に)また次の目標が出来る。目標に向かって努力しない自分は嫌なので、また、頑張る。こういう性分って、疲れるなぁと最近思い始めました。困難に立ち向かう自分、新しいことに挑戦する自分、目標に向かって突き進む自分…。どれも自分なのですが、なんだか疲れるなぁ…とつぶやく日々です。

 子どもは親の背中を見て育つといいます。私の子どもは二人とも、頑張る母親の背中を見て、「大変そうだから、楽な道を選ぶ」と宣言しています。娘からは「私はのんびり生きるけど、ママはその道を極めて!」と激励されています。夫も、「のんびりする人生を選ぶと、君はきっと自己嫌悪に陥るから、まぁ、そのまま突き進んだら」と苦笑。友人たちからは「性分だからねぇ。今更変えられないよ」。

 あーぁ、と朝も夜もため息。でも、やはり明日も頑張ります。

最近、夫と朝デッキでコーヒーを飲みます。こういう時間も必要です

庭の紫陽花が満開