「ママ、忘れ物チェックお願いします!」
朝、息子がランドセルを開いて、私に中身を見せました。普段は自分でチェックしていくのですが、昨日、連絡帳に担任の先生から私にメッセージがあったからです。
「頑張っているのですが、最近忘れ物が続いているので、お知らせさせていただきました」
子どもたちの表現を使うと、「ヤバッ」というところでしょうか。私は子どもの勉強を継続して見てあげる、忘れ物がないか日々一緒に点検するなどという細やかなことが苦手。というより忘れてしまうので、子どもに任せてしまいこういうことがたびたび起こるのです。
「ママ、読書カードが見当たらないんだ。今日持っていかないと、先生に叱られる」
「読書カード? 昨日、持って行ったじゃない?」
「あれとは違う、お母さんと一緒に読んだ本を書く紙。こんな感じの薄い紙」と近くにあった紙を手に取り見せる息子。「うーん、見なかったなあ」と私。
で、学校からのお便りやらテストやらプリントやらを積んでいる場所を探しました。下のほうまで丁寧に探すと、ありました。ほっとしましたが、「とりあえず」と何でも積んでしまう自分は"ダメ母"だと、また反省。
慌てて、息子が寝る前に読み聞かせる絵本を寝室から持ってきて、タイトルと著者名を書かせました。最近読み聞かせた4冊分を書き終え、残りの1冊をどうしようかと迷ったので、まだ読み聞かせていない本を開いてみました。タイトルは「わたしが障害者じゃなくなる日」。図書館で読んでみて良い内容だったので、改めて買った本です。
良い機会だと思い、最初の10ページを読んで聞かせました。著者の海老原宏美さんは難病を患い車いすに乗って人工呼吸器をしていますが、一人暮らしをし、障害者の相談に乗る仕事をしています。この本の第1章「わたしは障害者なの?」は海老原さんと子どもたちとの対話で始まります。
「…この中で、障害者を見たことがある人はいますか?」
「はーい!」
中略
「…じゃあ、わたしはどうですか? 海老原宏美が障害者だと思う人は?」
(パラパラと手が上がる)
「…では、わたしが障害者じゃないと思う人は?」
(さっきより多く手が上がる)
「なぜ、障碍者じゃないと思うのかな?」
「そうだんにのったりしているほうだから」
「目も見えるし、耳も聞こえるし、しゃべれるから」
読み進めると、海老原さんは車いすに乗っている人は段差があると前に進めないこと、段差をなくすためのスロープが必要なことなど、分かりやすい言葉で説明しています。
息子が言いました。「スロープ見たことあるよ。お店の前の玄関に入る横とかについているよね。でも、ないところもある」
「よく気付いたね。海老原さんはね、車いすの人が階段しかない建物に入れないのは、車いすに乗っている人のせいだという考え方は古くて、階段しかない建物のせいだというのが新しい考え方だと言っているよ」
「そうだよね。スロープがあれば、建物の中に入れるんだものね」
さわりの10ページを読んだだけでしたが、息子は読書カードにある本の評価欄に5冊の中で一番多い5つ星をつけました。3つある☆の横に☆2つを足した高得点です。
息子の忘れ物というきっかけがなければ、積んだ本の中にまぎれて、読んであげることがなかったかもしれません。このような何気ないきっかけが思わぬ良い展開になることがあるのだと実感した朝でした。