2018年9月10日月曜日

北海道胆振東部地震・被災地札幌へ ①

 
観測史上初の震度7の地震に見舞われた北海道に向かいました。震度6弱を観測した札幌市東区に一人暮らしをする母の様子を見に行くためです。行ったのは震災の翌日、羽田空港発・新千歳空港行きの飛行機の運行が再開した、9月7日(金)午後でした。 

 地震のことを知ったのは、6日(木)午前5時過ぎ(地震発生は午前3時8分)。目が覚めて手に取った携帯電話の画面に「北海道で震度6強の地震」というニュースの見出しを見て、仰天しました。慌てて、母の携帯電話に連絡。しばらく「ぷるるる・・・」という音が鳴り続け心臓が高鳴りましたが、母が電話口に出てくれ、心底安堵しました。

 母は「大丈夫だよ」とまず言ってから、「すごく揺れてびっくりした。電気が付かないの。さっき居間を見に行ったら、食器棚から全部お皿が落ちていた。危ないから、明るくなってから片付けるつもり」と言います。

 「お向かいのご夫婦が、懐中電灯片手にすぐに様子を見に来てくれたの」と言い、札幌市に住む私のいとこ(母の甥)も安否確認の電話をくれたと言います。ありがたいことです。揺れが収まってからすぐに私に電話をしなかったのは、「寝ているところを起こすのは、申し訳ない」と思ったからでしょう。母は一人娘の私に迷惑を掛けないことを信条としているのです。

 母の無事を確認してからテレビをつけると、厚真町の土砂崩れと、土砂に飲み込まれた民家の様子が映し出されており、胸が詰まりました。厚真町の近くの、むかわ町(母の故郷)には一人暮らしの叔母、叔父夫婦、老人ホームで暮らす叔母、いとこ、とたくさんの親戚が住んでいます。不安が募ります。

 それからは、テレビに釘付けでニュースを見ていました。被害の状況が少しずつ分かってきます。午前6時半に母から写メールが届きました。「これから、気を付けながら片付けします。心配しないでね」というメッセージと、スマイルとハートのマークが付いています。写真を見ると、母のお気に入りの皿が割れていて、胸が痛みます。でも、母は無事で、家自体には被害がないので、お皿が壊れただけで済んだと考えるべきだと自分に言い聞かせました。


 母に電話をすると、「皿は割れても良いの」と気にしていません。「でも、足を切ったら困るから、革靴を履いて家の中を歩いている。お向かいさんにも革靴履いたほうが良いよってアドバイスしておいたよ」と落ち着いています。平時だけでなく、有事にも臨機応変に対応し、気持ちを切り替えることができる母です。80歳、あっぱれ。

 母が、むかわ町の叔父叔母に連絡がつかないと心配しています。母との電話が終わった後、私も叔父叔母に電話をかけましたが、つながりません。札幌の友人や親せき、地方の親戚に電話やメール、ラインをして無事を確認しました。連絡がつかないのはむかわ町の親戚だけでした。

 間もなく、テレビの画面に新千歳空港のターミナルビルの天井や壁が崩れ落ちている様子が映し出されました。同空港発着の便はその日全便欠航。北海道新幹線などJR各線や札幌市営地下鉄・電車、バスなど公共交通機関の運休が次々と報道されます。飛行機が飛ばなければ、東京から駆け付けたくても、駆け付けられません。

 母が気丈に一人で頑張ってくれることに感謝し、翌日の飛行機の運行再開を待つことにしました。停電だということなので、夜が心配です。大きな余震の可能性もあります。が、電話口の母はいたって明るい。

 「こんなときに備えて、ランタンを買っておいたんだよ。さっき、付けてみたらすごく明るいの。持ち運びも便利だし。夜はこれで、大丈夫。食べ物?大丈夫だよ。買い置きはたくさんしてあるし、昨日はたまたまバナナとか果物も買っておいたの。さっき早速食べたよ。バナナは栄養がいいからねぇ。こういうときに一番いいよ」

 テレビでは、厚真町の土砂崩れの様子が繰り返し、映し出されます。亡くなっている方も出てきています。札幌市では清田区の住宅が傾いて、マンホールが道路を突き破って出ている状態が報道されます。何ということでしょう。アナウンサーが、道内全域で停電なので道民がテレビを見られないため、状況が分かりにくいと説明します。「このテレビを見ている方は、比較的つながりやすい携帯電話などで現地の方々に状況をお知らせしてください!」とアナウンサーが繰り返し言います。また、母に電話をして、こちらのテレビニュースで報道されていることを説明します。

 ツイッターでも情報を確認しました。「夕刊を出せるだろうか?」と以前勤めていた北海道新聞社の動向も気になり出します。退社して十数年経つのに、大規模災害や大きな事件が起きたときには、何はともあれ会社に向かったことを思い出し、胸がざわつきます。紙面づくりに支障はないだろうか、輪転機は回るだろうか、などなど。そして、ツイッターの画面に夕刊一面がアップされたときは、目頭が熱くなりました。

実家に配達された、9月6日の北海道新聞夕刊1面

北海道新聞9月6日夕刊2,3面見開き
北海道新聞9月6日夕刊4面

 この日は結局、叔父叔母とは連絡がつきませんでした。新千歳空港行きの飛行機は翌日7日の午前中も全便欠航になることが分かりました。とりあえず、運行再開が未定の7日午後4時発の羽田空港発・新千歳空港行きのANAと、9日(日)午前10時新千歳空港発・羽田空港行きのJALのチケットを購入しました。

 タイミングが悪いことに、夫が9日の午前11時過ぎのタイ・バンコク行きの便で4泊5日の出張に出かけるため、東京に戻らなければなりません。台風21号と今回の北海道での地震と災害が続き、私も夫も東京にいない状態で子供2人を家に置いておくわけにはいきません。札幌に行ったとしても、母の様子を見てとんぼ返りとなりますが、とりあえず行って母の様子を見てこなければ。

 夜、家事を終えてから近所のスーパーに閉店5分前に駆け込みました。翌日、飛行機が運航するか分からないため、母に「そっちに行くからね」と言って安心させてあげることも出来ず、また、「何が必要?」とも聞けないので、母のことだからお米やペットボトルのお茶、根菜類は買い置きがたっぷりあるだろうと判断。当分買えないだろう、野菜や果物、母の好物の納豆などを買い、帰宅しました。スーツケースにそれらを詰めて、落ち着かない夜を過ごして翌日の7日を待つことに。

 タイミングが悪いことは重なるもので、7日は国立がん研究センター中央病院(東京都築地)での年に一度の検査日。再発しているかどうかを調べる検査ですので、よほどのことがない限りキャンセルはできません。CTは午前9時、胃カメラの検査は10時。結果を聞く主治医の診察予約時間は12時30分。

 胃カメラは眠る薬を打ってもらって行いますので、診察時間や午後4時発の便に間に合うように目覚めるかどうかも心配です。でも、心配しても仕方ありません。とりあえず、動くことにしました。
 
 

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