2018年8月27日月曜日

ニクソン元米大統領の図書館へ

ロサンゼルス滞在中、リチャード・ニクソン元米大統領の図書館に行ってきました。ニクソン元大統領といえば、真っ先に頭に浮かぶのは「ウォーターゲート事件」。そして、米大統領の中で唯一、任期中に辞任した大統領ということ。しかし、図書館の展示資料を丹念に見ることで、アメリカン・ドリームを体現した人、外交で高い評価を得た力強いリーダー、良き家庭人、そして孤独な為政者と、ニクソン氏を多面的に捉えることができました。これまでのネガティブな印象が、少し変わったのでした。

図書館は、ロサンゼルスの中心街から車で1時間ほどの、カリフォルニア州ヨーバ・リンダというところにあります。ニクソン元大統領の生家があった場所です。公費で設立・運営費が賄われる他の大統領の図書館とは違い、ニクソン元大統領は途中で辞任したため、その図書館はかつては私的な機関により運営されていました。が、現在は連邦政府管轄となっています。


展示室には、ニクソン元大統領の生い立ちや政治家としての歩みが、膨大な写真や資料とともに紹介されています。レモン農園と雑貨屋兼八百屋を営む両親の元に生まれ育ち、幼少期から家業を手伝い、青年時代にはアメリカン・フットボールに熱中しました。法学大学院を優秀な成績で修了した後は弁護士として働き、第二次世界大戦中は海軍に入隊し、士官として戦場に赴きます。

その後は、政治の道を歩み、下院議員、上院議員、副大統領を経て、1969年に第37代大統領に。その政治手腕は主に外交で発揮されます。激化していたベトナム戦争からの米軍の撤退や中国との国交正常化、日本との関係では沖縄返還協定の締結など、です。

映像の中のニクソン元大統領が語ります。

I believe in the American dream because I have seen it come true in my own life.
It’s a long way from Yoba Linda to the White House.
I have made that journey and I want to see my country in which every young American can have the opportunity to make that journey.
I want your dreams to come true as well.
You will suffer disappointments in your life and sometimes you will be very discouraged.
It is sad to lose.
But the greatest sadness is to travel through your life without knowing either victory or defeat.

私はアメリカン・ドリームを信じている。なぜなら、私は自分の人生でそれを見たからだ。
ヨーバ・リンダからホワイトハウスまでは長い道のりだった。
私はその旅を成し遂げた。そして、私は、若者がその旅をする機会が持てる我が国を見たい。
私は、あなたたちの夢が私の夢と同様に叶うことを期待している。
あなたたちは人生で、苦しむことがあるだろう。落胆することもあるだろう。
負けることは悲しい。
が、最も悲しいことは、勝利も負けも知らないで人生を旅することだ。

辞任の原因となった「ウォーターゲート事件」については、かつては任期中の資料が連邦政府により差し押さえられていましたが、2007年にこの図書館に移管され、現在は膨大な数の資料が公開されています。館員の説明によると、「ここで紹介していた映像は以前は生い立ちから始まりましたが、現在はウォーターゲート事件から始まります。それを避けては、ニクソン元大統領については語れないからです」とのことでした。

展示室には、いくつか受話器が設置されていました。それを取って耳に当てると、ニクソン元大統領の肉声が聞けました。側近や家族との会話などです。印象的だったのは、娘との電話の会話です。
「ダディ、今日の晩御飯はどうする?○○のレストランに行きたいんだけど」
「いいよ。マミィに聞いてごらん」
家族思いの優しいお父さんの声でした。

図書館の裏には、生家が保存されています。米国の家としては小ぶりですが、暖かな雰囲気の家でした。
1994年、前年に亡くなったパット夫人の後を追うようにあの世に旅立った元大統領。生家のすぐ側に並んだお墓が、生前の仲睦まじさを表しているようで、胸を打たれました。

図書館では、この生家の前で行われた葬儀の様子が放映されていました。ヘンリー・キッシンジャー元大統領補佐官がこう弔辞を述べていたのが印象的でした。

He achieved greatly and he suffered deeply, but he never gave up.
彼の多くを成し遂げ、そして、深く苦しんだ。だが、彼はあきらめなかった。

2018年8月25日土曜日

捨てられない!娘が捨てた物

娘の学校の新学期が27日に始まります。長い夏休み中、珍しく部屋の大掃除をした娘は様々なものを捨て、気持ちを新たに新学期をスタートさせるようです。

娘が捨てた、大きなごみ袋の中身を見てみました。きちんと、不燃ごみと可燃ごみに仕分けされていました。中には、私にとっての思い出の品々がたくさん入っていました。娘に買ってあげたペンケースや日記帳、ハロウィーンで着た衣装、お土産に買ってきたあれ、これ。小学生のときの学校の教材、クレヨンに色えんぴつ。そして、プレゼントしたバイオリンの形をしたしおり、、、。

1つ1つに、それらを使っていたときの小さかった娘の思い出が詰まっています。そして、娘の喜ぶ顔を想像しながら、それらをお店で選んだときの、わくわくとした気持ちも思い出しました。「これも、捨てちゃうんだ」と寂しく感じましたが、「娘の成長のしるしと受け止めるべき」と自分に言い聞かせました。

私にとって思い出のものも、娘にとっては「もう、使わないもの」。片付け本にアドバイスされている、「使う」「使わない」の基準で、娘はきちんと仕分けしているのです。

「あっ、おねえねえ写真も捨ててる」と言ったのは、一緒に大きなごみ袋の中身をチェックした息子。
「クラスメートと写した写真、それも捨ててしまって良いの?」と私は思いましたが、未来が開けている娘にとっては、それも不必要なものなんですね。

ごみ袋の中の、ビー玉とバイオリンの形のしおり、そして娘が友達と映った写真を拾い上げ、とっておくことにしました。その他は、処分することにしました。娘にはごみ袋に「ありがとう」と感謝の言葉をかけさせて、、、。

そして、不燃ごみを捨てる日。小学校の時に娘が使った、「ワクワク・ドキドキボード」はやっぱり捨てることができずに、そのまま家の外のごみ箱の中に入れておきました。少し時間を置けば、捨てる決心がつくかもしれない、と考えました。

生活科のフィールドワークとして、娘が近所のスーパーや交番などを訪れたときに持っていったものです。小さかった娘の楽しそうな顔が目に浮かんでしまい、捨てられませんでした。

翌日は、資源ごみの日でした。缶やペットボトルなどをまとめて入れた袋を外のゴミ箱から出しているときに、出勤前の夫が「ワクワク・ドキドキボード捨てるの?」と驚いた顔で聞いてきました。

「そう、もういらないんだって。でも、昨日、捨てられなかったのよ」
「取っておこうよ。あれは、僕が唯一覚えているものなんだ。可愛かったよね、あのボードを首から下げて、学校に行ってさ」
玄関前で、ごみ袋を持ちながら、夫とひとしきり当時の娘の思い出話で盛り上がりました。

いったんは外のごみ箱に捨てた「ワクワク・ドキドキボード」。あれからすぐに家の中に戻し、今は私の机の上に立てかけてあります。覚えたてのたどたどしいひらがなで書かれた娘の名前と、あちこちについた傷が、いとおしい。

2018年8月22日水曜日

エンゼルスVSマリナーズ戦観戦。大谷君、見たよ!

ロサンゼルスに行ってきました。今回の旅で一番楽しみにしていたのが、エンゼルスの試合観戦。もちろん、目的は大谷翔平君です。

私は子供のころから大の野球ファン。春・夏の甲子園、プロ野球の試合をテレビで観るのを何よりも楽しみにしていました。好きが高じて、高校時代にはソフトボール部に入り、白球を追いかけました。親友から、「高校生のころ、むっちゃんにプロ野球の●●選手格好良いよねぇ、と真顔で言われて返答に困った」と笑われるほど、熱中していました。

今回のロサンゼルス旅行の目的は、夫の両親に会うことでしたが、「お義父さんも野球好きでしょ。エンゼルスの試合を一緒に観に行こうよ」と夫を説得。夫の両親と私たち家族、そして夫の友人も一緒にエンゼルスの球場に向かったのでした。

その日も快晴でした。日焼けを気にしながら、レフト側から観戦しました。もちろん、エンゼルスの赤い帽子と大谷翔平の名前が入った赤いTシャツを着て…。

対戦相手はあのイチローがいるシアトル・マリナーズ。現在イチローは、一旦現役を退き、「球団会長付き特別補佐」という肩書で、選手たちにアドバイスを送る役割なのだそうです。私は、「イチローも今日この場にいるのかな? イチローと大谷君と同じ空気が吸えて、幸せだわ」と心の中でつぶやきつつ、試合を観戦したのでした。

残念ながら先発メンバーには大谷君はいませんでした。エンゼルスは1回表で5点を失い、ピッチャー交代。2回表でまた1失点、ピッチャー交代。エンゼルスにとっては精彩を欠く試合の始まりでしたが、5回裏でようやく2点を奪取。7回裏で3点追加。勢い付くエンゼルスの応援をしながら、「でも、今日は大谷君を見られないのかな」と残念に思っていた8回裏、会場内に粋なアナウンスが。

「It's A Show Time!」( 大谷翔平の”しょう”をもじって、あちらでは、大谷翔平が出場するときにこのように表現します)


会場が一気に沸きます。私も家族も立ち上がって応援しました。これまでの中で一番声援が大きく、大谷君の米国内での人気ぶりが良く分かりました。もちろん、日本からもたくさんの観客が来ていました。


残念ながら、大谷君は三振に終わり、ダッグアウトに戻りました。でも、私を含め、観客は大満足だったに違いありません。球場内には、あちこちに大谷君のポスターが貼られていました。大谷君は我が故郷・札幌を本拠地とする「北海道日本ハムファイターズ」出身。それらのポスターの前で何枚も自撮りをしながら、私は「大谷君、頑張るんだよ!」と我が子を応援するような気持ちで、異国の地で奮闘する大谷君を心の中で激励したのでした。
 

2018年8月10日金曜日

夏休みの課題

  夏休みに入ってから、娘が漢字の勉強に取り組んでいます。インターナショナルスクール7年生(日本の中2)の娘は、夏休み前に小学校6年生の国語の勉強を終えたばかりですが、課題はいつも漢字。文章の読解力はあるのですが、漢字を覚えていないため、成績がどんどん下がっているのです。

  「漢字、嫌いなんだもん」と言い、覚える努力を全くしなかった娘は、たくさんの覚えるべき漢字が頭に入っていません。数年前までは日本語のほうが得意だったのですが、今は英語のほうが読み書きや話すほうも楽になっているため読書も日記も英語で、日本語に触れる機会が益々減っているのも大きな理由の一つです。

 娘と2人で計画を立てました。娘は小4まで日本の公立小学校に通っていましたので、復習の意味で小4の漢字から練習することにしました。物を捨てられない私ですので、当時の漢字ドリルや国語の教科書は取ってあります。物置きをガソゴソと探して、それらを探し出しました。

 1日4文字ずつ覚えていくことにしました。娘には「忘却曲線」について説明し、忘れてしまう前に復習すれば、脳に定着することを教えました。

 2日目。勉強が終わると娘は「ママ先生、ありがとうございました」と言い、私に抱き付いて大粒の涙を流しました。
「AちゃんもBちゃんも、たくさん漢字が出来るの。私だけ、出来なくて、、、」
本人なりに辛かったのですね。「漢字は嫌い」と突っぱねる娘の態度から、「日本語が嫌いなんだ」と判断し、その裏にある本当の気持ちに気付いてあげられなかったことを反省しました。

 娘の学校では学生たちは高校卒業時にIBという、世界の大学を受験できる高校卒業資格を取得します。語学に関しては、日本で生まれ育った日本人や日本人とのハーフの子は、高度な日本語のIBコースを取るか、外国語としてフランス語かスペイン語を取るか、決断を迫られます。娘のような子が、日本語を外国語として取得することは出来ない仕組みなのです。

 そろそろIBコースへの準備が始まる時期にきていますので、この夏休み、娘に聞いてみました。「IBの日本語はどうするの? 嫌だったら、日本語を落として、今習っているフランス語を取っても良いよ」と。

 子供にきちんとした日本語を身に着けさせることに随分こだわった私ですが、バイリンガルの子を育てる難しさと、子供の負担の大きさをここ数年で実感し、「まあ、いいか」という気持ちに傾いていたのです。

 予想に反して、娘は首を大きく横に振りました。そして、言いました。
「ううん、日本語は落とさない。だって、フランス語はもっと嫌いなんだもん」
「そうだよね。フランス語難しそうだものね」と、ひと事のように共感する私。

 このように消去法で残った日本語ですが、娘が日本語を捨てないでくれたのがちょっぴり嬉しかった。で、私のほうも「娘の勉強に付き合うぞ」と覚悟を決めたのです。小1の息子の勉強を見ているので、本当は中2の娘には一人で勉強してほしいという本音はありますが・・・。

 娘が、これまで何度も挫折した漢字の勉強。小4のドリルをぱらぱらとめくりながら、「今度こそ、頑張るぞ」と私も自分自身に気合を入れています。