2018年3月30日金曜日

ベロニカ

 娘が、ステージの上で輝いていました。中学校の演劇クラブの発表会で、活き活きと演じていました。小学校ではいつもおどおどとしていた娘。小5でインターナショナルスクールに転校し、英語での学校生活になかなか馴染めなかった娘。その娘が、ようやく自分らしさを発揮できる場を見つけたようです。

 演目は「A Funny Thing Happned on the Way to 5th Period」。アメリカの中学・高校でよく演じられる、学校内のドタバタ劇です。ガキ大将からのいじめを避けるために、そのガキ大将の要求を何とか聞き入れようと奮闘するいじめられっ子の男子が、関わる友人たちの望みを聞き入れていくうちに、結局は皆がハッピーエンドになるという話。

 登場人物らは、ステージに設けられたロッカーの前で、生徒たちが休み時間にする会話を延々と繰り広げるだけ。場面が大きく変わるわけでも、特別な衣装を着るわけでもないのですが、観客は生徒たちの動作や会話に引き込まれていきます。劇は次のような内容です。

 ガキ大将バグスがいじめられっ子トミーへ要求したのは、「プロム」というダンスパーティに、憧れの同級生ステファニーと一緒に行けるよう手助けすること。ステファニーはすでにボーイフレンドのチャッドと一緒にプロムに行くことになっているので、簡単ではありません。が、バグスにいじめられたくないトミーは、策を練ります。その作戦を決行するために、友人スティーブに頼み事をします。

 スティーブはトミーに力を貸す代わりに、自分の要求を聞き入れるように言います。それは、プロムに一緒に行くボーフレンドがいない、妹のベロニカに相手を見つけること。見つけることができなければ、スティーブが一緒に行かなければならないからです。ダンスパーティの相手を見つけられない娘ベロニカを不憫に思った母親が、息子のスティーブに一緒に行くよう命じたのです。トミーは、ベロニカの相手を見つけるために、また、奮闘します。

 娘の役はこの「ベロニカ」です。もてない、見た目のさえない、会話もズレてしまう、でもどこか憎めない女子です。娘が真面目な表情で台詞を言うたびに、客席からは大きな笑いが起こりました。早口の英語の台詞を追い切れない私も、客席の笑い声を聞いて、心が和みました。娘は、いくつもの長い台詞をなめらかに話し、ベロニカを演じ切りました。

              
 この劇が行われたのは3月2日の昼です。息子の幼稚園のハンドベルサークルの卒業演奏を終えたあと、駆け付けました。演奏後はメンバーたちとの最後のランチ会があったのですが、失礼しました。

 メンバーにランチ会欠席を詫びると、皆、「子供が見に来て!って言ってくれるうちは、行かなきゃね」と快く送り出してくれました。「ママ、パパ、もう来ないで」と言われてしまうことが、そう遠くない時期に来るかもしれないと皆、知っているからです。

 子供の学校生活の様子を見られる時間は、思っているより少ない。だから、このときを楽しもうー。ステージの上の娘の、とぼけた会話に大笑いしながら、そんなことを考えたのでした。

 

2018年3月21日水曜日

最後のハンドベル演奏

 教会内に響き渡った澄んだ音色が消え、目の前のママさん指揮者の両手が止まったとき、私は万感の思いで両手に持った金色の楽器を下ろしました。3年間活動してきた幼稚園のハンドベルサークルでの最後の演奏が、終わりました。3月2日のことです。

 演奏したのは、「ラ・ミゼラブルメドレー」。美しい旋律を、19人のメンバーで流れるように音をつなぎながら、弾きました。演奏を始めて間もなく、目頭が熱くなりました。両手でハンドベルを持っているため、目からこぼれ落ちるものをぬぐうことも出来ませんでした。ハンドベルを細かく振る「シェイク」という奏法で、曲の最後を締めくくったときは、胸が一杯になりました。

 このサークルには、息子が通う幼稚園の園児のママたちが参加しています。私は息子の入園と同時に入会しました。中1の娘がこの幼稚園に通っていたころから、「弾いてみたい」と願っていたからです。

 当時の私は病気続きで、さらに治療による外見の変化で心が塞いでおり、普段の生活にも支障をきたしていました。ハンドベルには憧れていましたが、週に1回の練習に出られる自信も、人前に外見をさらして演奏する勇気もなく、子供たちの前でハンドベルを振るお母さんたちを、いつも羨ましく見ていたのです。

 憧れていたサークルに参加し、ハンドベルを初めて振ったときは心が躍りました。息子が年少組のときの年末に、園庭でクリスマスソングを子供たちの前で演奏したときは、感動のあまり涙がこぼれました。毎週の練習後、お茶を飲みながら、メンバーとおしゃべりすつのも楽しみの一つでした。

 このサークルでは、園児の卒園とともにメンバーも卒業します。が、二十数年前に当時の卒園児のママたちが結成したハンドベルサークルが活動を続けており、卒園後の参加も歓迎されています。年に数回の交流会では、互いの演奏を披露し合い、そのサークルの和気あいあいとした雰囲気も知っています。が、私は参加を考えませんでした。ハンドベルへの様々な思いは、この3年間の活動で完結すべきだと考えたからです。

 幼稚園生活に思いを残すことなく、前へ進めるー。53歳にして、息子が幼稚園を卒園した”超高齢ママ”は、そんな気持ちでサークルを卒業しました。でも、最近、気持ちが揺れています。体調が悪化していく中、切羽詰まった思いで書いた「人生でやり残したリスト」を一つ一つ実現させていくことに、もうこだわる必要はないのではないかーと思い始めたからです。

 人生をより豊かにする趣味の一つとして、ハンドベルを演奏しても良いかもしれないー。携帯電話に保存した、最後の演奏の動画を時折見ながら、そんなことを考えています。


2018年3月1日木曜日

母との約束

 2月の札幌帰省は、「さっぽろ雪まつり」巡りという楽しいイベントになりました。母の調子も良く、ひと安心しました。

 私が着いた翌日から、数日間は止んでいたという雪がまた降り始めました。雪かきをしながら、同じく雪をかきに外に出ていたご近所の方々に「いつも母にお声掛けいただき、ありがとうございます」とご挨拶をしました。久しぶりにお会いした、母と同様40年以上もその地域に住んでいる男性が言いました。

 「●●さんと●●さんは亡くなってしまったし、●●さんは施設に入ってしまったし、●●さんは息子さんご夫婦と同居するために引っ越ししてしまったし。あと10年もすれば、私ももうこの世にいませんよ。どうぞ、お母さんの顔を見に来てあげてね」

 女性は男性より長生きするというのは本当で、母の住む地域でも夫を亡くした一人暮らしのおばあちゃんが多かった。でも、ここ数年で一人欠け、二人欠け…しています。男性の話はすべて、母から聞いていました。

 その事実は当然、母を心細くさせていました。その上、きょうだいや友人・知人の訃報が数か月に1度と頻繁になってきており、気持ちの落ち込みは続いています。体もあちこちが傷む。かといって、頼りにしたい娘は近くにいない。

 何度か「お母さん、東京に来ない?」と聞きましたが、「私はここがいい」と言います。自分が母の立場だったらと想像しても、知り合いがいなく住居も狭い東京よりも、顔見知りが多くて一軒家で伸び伸びと暮らせる札幌の方が断然良いと思います。だから、料理好きの母が自分で料理を作って食べ、身の回りのことを自分で出来るうちは一人暮らしをする。それが出来なくなったら、東京に来てもらうということで納得してもらっています。

 で、今回の帰省で思い切って、今まで自信がなくて言えなかったことを言いました。おそらく、母が一番望んでいることです。

 「お母さんのお葬式は私が出してあげるから、心配しないで」と。

 子供として当たり前のことですが、母はそれを聞いて、大粒の涙をこぼしました。

 30代で大きく体調を崩した娘を献身的に支えてきた母は、幾度となく、「娘は死ぬかもしれない」と覚悟をした瞬間がありました。半身が不自由な父の世話をしていたときは気も張っていました。が、その父も他界した後、一人娘が自分より先に死んだら、自分に何かあったときは他人を頼りにしなければならないーという現実に直面し、その場面を幾度となく想像し、気に病んでいたに違いありません。

 以前、私は「出来ない約束はするべきではない」と考えていました。が、父が亡くなって、初めて気付いたのです。「結果的に約束が果たせなくても良い。父を安心させてあげれば良かった」と。恐らく親は、子供の口約束に安堵し、また、希望を見出し、生きられるのではないでしょうか。

 親の前で、お葬式の話を持ち出すのは、ある意味勇気がいます。が、私の言葉を聞き、母は安堵の涙を流し続け、こう言いました。

 「それを聞いて、安心した。私の友達やきょうだいは皆、子供たちが近くに住んでいて頼りにしている。でも、あんたは東京だし、私は自分ひとりでしっかりとここで生きていこうと決意はしているし、そのための努力もしている。でも、葬式だけは、あんたに出してほしかった」と。
 
 さて、この話は夕ご飯を食べているときにしました。2人でワインを飲み、母の心づくしの料理を食べながら、話をしているときです。息子は早々に食事を終え、テレビを見るために食卓を離れていました。

 私も言うべきことを言えて安心し、2杯目のワインをグラスに注ごうとしました。その瞬間、母が言いました。

 「私の葬式出してくれるんでしょ。そのために体にはくれぐれも気を付けてちょうだい。ワインは1杯で十分。肝臓に悪いからね」

 母の目から涙は消え、あっという間にいつもの母に戻ったのでした。