2018年2月25日日曜日

さっぽろ雪まつりへ

 息子を連れて、「さっぽろ雪まつり」に行ってきました。この冬の札幌の一大イベントに行ったのは、20年ぶりぐらいでしょうか。 「大通会場」で雪・氷像を見た翌日は、郊外の「つどーむ会場」に出向いて、子供向けのアトラクションを体験。息子と冬の札幌を満喫しました。

 雪まつりは今年、69回目を迎えたそうです。札幌中央区を東西に走る「大通公園」は1丁目から12丁目まで、すべて会場になっています。私たちは、陸上自衛隊が制作した大雪像がある4丁目から見始めましたが、驚いたのは観光客と出店の多さ。子供のころ両親と行った雪まつりの思い出は、寒い中をただひたすら雪像を見て歩くというもの。思い描いていた雪まつりのイメージが今回、がらりと変わりました。

 とは言うものの、大雪像は以前と変わらぬ迫力で、見応えがありました。陸上自衛隊が今回制作したのは世界でも人気の日本発のゲームシリーズ「ファイナルファンタジー」です。息子は「すごい、大きいね」と驚いていました。



てくてく歩いて、5丁目に進むと「PMF」の雪像が。PMFはパシフィック・ミュージック・フェスティバルの略称で、世界中から選ばれた若手音楽家が共演する音楽祭です。20世紀を代表する作曲家・指揮者のレナード・バーンスタインが創設を提唱し、1990年から毎夏札幌で開かれています。今年のバーンスタイン生誕100年を記念して、制作されたそうです。

 6丁目に行くと、東京に住んで子育てに追われているとつい忘れがちな「北方領土返還」に向けての署名活動が行われていました。「そうだよ、北方領土は返還してもらわなければ」と心を込めて署名をしました。息子はちゃっかりと風船をもらってきました。

風船をもらってはしゃぐ息子と手をつないで7丁目に進むと、スウェーデンの首都・ストックホルムにある大聖堂の氷像が。今年は日本とスウェーデンが国交を結んで150年という記念の年だそうです。氷像の前では子供向けに玉投げが行われており、息子も「僕、行ってくるね」と参加。ここでも、お土産に「北海道日本ハムファイターズ」のファイルをゲット。

 食べ物やお土産などの出店の多さに驚きながら進むと、9丁目から私が思い描いていた雪まつりになりました。「市民の広場」です。札幌市民手作りのユニークな雪像が並んでいます。どれも、よく出来ていました。今、日本で最も注目を浴びている若者の一人、中学生棋士・藤井聡太君にちなんででしょう。将棋の駒もありました。

 雪像の前の看板には制作者の名前が書かれています。高校の名前もあり、「生徒や先生が一緒に汗を流したんだろうなぁ」などと想像しながら見るのもまた、楽しい。

 思わず微笑んでしまったのは、子供たちに人気の「ミニオン」です。制作者は「札幌塗装工業協同組合青年部会」とあります。「懐かしいなぁ」と心の中でつぶやきました。そうです。私が”青年”だったころ、会社の組合の青年部の一員として、雪像づくりをしたのです!その楽しかった思い出が蘇りました。
 

 ひとしきり雪像を見た後、少しお腹がすいてきましたので出店で食べ物を買いました。息子は、北海道の鶏の唐揚げ「ザンギ」、私はもちろん「じゃがバター」です。ほくほくのジャガイモには、「明太子マヨネーズ」と「塩辛」と「コーン」のトッピングを好きなだけかけられるそうです。販売員の女性に「塩辛、結構イケます」と勧められましたたので、欲張って全部かけました。食べながら、「やっぱり、シンプルなバターだけにしておけば良かった」と少し後悔しましたが、「贅沢じゃがバターを食べたぞ」と、楽しい思い出になりました。

 実は、今回の札幌帰省は母の様子を見に行くのが目的でした。航空券を購入したのはずいぶん前なのですが、午前中と午後早い便は満席で、不思議に思いながらようやく土曜日の夕方の便を予約したのです。たまたま、朝のNHKニュースで雪まつりの報道を見て、「それで、混んでいたんだ」と納得。たまたま、息子も連れていく計画でしたので、「それなら、久しぶりに雪まつりを見よう」ということになったのです。母は膝が痛むため、残念ながら行けませんでしたが、「つどーむ会場」で子供向けアトラクションがあるという情報を仕入れておいてくれました。

 「大通会場」に行った翌日、その「つどーむ会場」に行きました。私の自宅にほど近いところにあるスポーツ施設です。他界した父が、脳こうそくを患った後にリハビリをしに通っていました。行ってみると、とても大きな施設で「ここに父が来ていたのだ」と半身が不自由になりながらも頑張っていた父を懐かしく思い出しました。

 この会場の雪まつりは、私が思い描いていた素朴な雰囲気で、ほっとしました。一番人気は、タイヤのようなチューブに乗って長さ100メートルの雪の滑り台を滑る「チューブスライダー」。料金は無料で、4歳以上の子供なら一人でチューブに乗ることが出来るそうです。小さな子供も一人でチューブを引っ張って、上っていきます。

 息子と私もそれぞれ、チューブを引っ張って滑り台の頂上へ。若いスタッフが、とても丁寧に息子をチューブに座らせてくれました。


 「じゃあ、押すよ」というスタッフの掛け声とともに滑りだした息子は歓声を上げながら、下に向かって猛スピードで滑っていきます。
その姿を見届けた後、スタッフの若者がニコリと笑って、「では、次はお母さん」と言い、いきなりチューブを押したのです。心の準備がまだ出来ていない私は、「ギャーッ」と叫び声を上げながら、チューブの取っ手だけはしっかりと掴み、スピードに身を任せざるを得なかったのでした。

 息子と満喫した「雪まつり」。その楽しい写真付きのメール報告は、逆に娘の悲しい思いを誘ったらしく、「ママ、来年は私を連れて行って」と言われてしまいました。娘が小さかったころは私の体調が悪く、一度も冬の札幌に連れていくことが出来なかったのです。今回は、学校があるため連れて行けませんでした。娘の残念そうな声を聞き、「来年は週末だけの強硬スケジュールになっても、連れて行こう」と心に誓ったのでした。

                  

2018年2月18日日曜日

親の心得

  「ママ、ちょっと相談したいことがあるんだけど」
 娘がお風呂のドアを開け、湯船につかっている私に話しかけてきました。

 「うん、いいよ。何?」
 娘はドアを少し開けて、息子が洗面台で使う踏み台をドアの側に起き、そこに座って話し始めました。こんなことをするのは初めてでしたので、よほどの悩み事でしょう。
 
 「Sちゃんのことなんだけど。Sちゃんはその日にあったこと全部ママに報告するみたいなの。で、Sちゃんのママがそれを悲しんで、Yちゃんのママに電話して1時間以上も泣いて訴えるんだって」
 「へぇ、すごいママだね」
 「で、Yちゃんのママが、胃が痛くなるぐらいストレスを感じていて、Yちゃんが心配しているの」

 娘はインターナショナルスクールに通っています。学年は日本の中学1年生に当たる7年生です。Sちゃんは昨年転入してきた韓国人。Yちゃんは母親が韓国人で父親が日本人、うちの娘は日本人とアメリカ人のハーフです。仲良し3人組はなかなか難しく、2人がより親密になり、もう1人が寂しく感じるーを繰り返しているらしいのです。

 友人関係に悩むことは、女子なら誰もが通る道。多くの母親は、気にはなっても、干渉しないように努めて静観し、時が解決するのを待つのではないでしょうか? ましてや、娘は7年生。よほどのことがない限り、親は口を出すべきではないでしょう。

 私はまずはシンプルな助言をします。
「Sちゃんに、お母さんを心配させるような報告をしないようアドバイスしたら?」
「うん、それは言ったんだけど。『お母さんに話をするのは悪いことじゃない。それを、ママが他のママに電話をして泣いて話したって、私のせいじゃないもん』って言うんだよね」

「確かに、それはSちゃんのせいではないよね。子供の言うことに一喜一憂して、それを他のママに感情的になって話すそのママが分別がないということかも。Sちゃんやママの行動を変えられないのだったら、あなたが自分の行動を変えてみたら? たとえば、お友達とはなるべく当たり障りのない話をするとか」

 私は、ママ友達の間でする、盛り上がるけど、当たり障りのない話の例を言います。
「誰も傷つけないから、いいもんだよ」

「でもさ、そういう話って面白くないじゃん。それに、思い付かないし」
確かに、当たり障りのない話でしのぐのは大人の知恵であり、それは、本音で付き合い真の友達を作るべき年頃の娘には、適切なアドバイスではなかったのでしょう。深く考えずについ口に出してしまったことを私は反省しました。

 長々と話をした後、「お友達のお母さんたちのことは、子供が心配しても仕方がない。子供が出来ることは自らの言動に気を付け、友達の気持ちに寄り添い、そして皆と仲良くすること」という当たり前の話に落ち着きました。娘は話をしてすっきりしたのか、「ママ、ありがとう」と言ってお風呂のドアを閉めました。

 実は私は、Yちゃんのママから、以前電話をもらっていました。Yちゃんのママは控えめに、「子供の友人関係に口は出したくないのですが・・・Sちゃんのママから電話があり、泣かれてしまい、対応に困っているんです」と話し始めました。「私が娘から聞いた話は本当だろうかと確かめたいと思い、お電話しました。娘の話は、半分は疑っているんです」と話します。真っ当なお母さんだなという印象を持ちました。

 私は娘からいろいろ聞いていましたが、「うちの娘は学校であったことはあまり話さないんです。でも、SちゃんとYちゃんとは仲良くしてもらっているとは聞いています。いつも仲良くしていただいてありがとうございます」とだけ答えました。Yちゃんのママは、「うちの娘は、日本で生きていかなければならない。だから、日本のお友達と仲良くしてほしいんです」と言いました。その思いの切実さに、胸を打たれました。国は違えども、ハーフの子供を育てるときの心の葛藤は、私には十分理解出来たからです。

 Yちゃんのママは「韓国人は感情的なんです。Sちゃんのママは日本に来て間もないし、日本語も英語も話せない。不安も大きいんだと思います。だから、娘の言うことをそのまま受け止めて感情的になってしまうのかもしれません」と語り、話を終えました。私とYちゃんのママはお互い「これからも、うちの娘をよろしくお願いします」と言い合い、電話を切りました。

 もちろん、私はこの電話のことは、娘には言っていません。電話があったのは数カ月前ですので、SちゃんのママからYちゃんのママへの電話はずっと続いていたのですね。Yちゃんのママに同情しました。 

 さて先日、息子が今春入学する地元の小学校の説明会に出席しました。そこで保護者に手渡された「保護者の皆様へ」というお便りの中に、次のようなお願いが書かれていました。

「子供の前では、お互いに親、担任を立てる」
「子供の話を鵜呑みにしない」
「子供の喧嘩に親が出過ぎない」
公立小学校の、親への対応の苦労が偲ばれました。

 これは、お国柄や子供の年齢に関係なく、親がわきまえるべきことではないでしょうか? インターナショナルスクールでも、「万国共通の親の心得」として新入学児や転校生の親に配布、いや、インターでは紙のお便りがないので、メール配信してもらえないだろうかと思いました。

 あれから時折、娘に「Sちゃんのママから、Yちゃんのママへの電話攻撃止んだのかな?」と聞いています。娘は毎回「うーん、どうかな? 分かんない」と答えます。Yちゃんのママが穏やかな日々を送れていること、そして、うちの娘が友達と仲良くしてくれることを願う日々です。

2018年2月2日金曜日

料理の基本

 夫が日曜日の朝、ロンドン出張に出掛けました。普段週末は夫と炊事を分担するのですが、一人でこなさなければなりません。用事が重なっており、どうしたものかと考えました。そこで、思い付きました。子供たちに食事の支度をしてもらおうと。

 さっそく、娘には「今日はうちのシェフになってね」と、息子には「今日はパテシエになってね」と頼みました。喜んだ2人。2人から提示された条件は「ママは口を出さないこと」でした。願ったり叶ったり、です。

「ママ、何食べたい?」
「温かいお蕎麦」
「オッケー!お蕎麦はどれくらいの固さがいいの?」
「ほら、パスタと同じ、アルデンテでお願い」
「オッケー!」

 お昼近くに「ママ、できたよ~」と呼ばれました。テーブルはきれいにセッティングされていました。私にはちゃんとネギがのった温かいお蕎麦。自分たちにはバジルパスタを作ったようです。それぞれ、サラダが付いています。デザートは生クリームがのったカップケーキ。食事は娘が、デザートは息子が作ったといいます。息子は娘の「ルルとララのレシピカードブック」という子供向けのレシピ集を参考に作ったようです。

「すごーく、おいしそう! では、いただきまーす」と私。
「サンキュージーザス(子供たちはクリスチャンです)、いただきます。イェーイ、ヤッター!プレイ(お祈り)」と神様にお祈りを捧げる子供たち。
いつものように、それぞれのあいさつをして、食べ始めました。

娘が言います。
「ダディやママがいつも言っていることを今回は試したの」
「へえ、何?」
「ダディは、『レシピ通りに作るのではなくて、自分の感覚で、新しいものを加えるんだ』って教えてくれたの。だから、バジルペーストにサワークリームを入れてみたの。すっごく、美味しくなったよ」とのこと。

ふむふむ。
「で、ママの言っていることって?」
「ママは、『必要な食材をわざわざ買いに行って作るのではなく、今、冷蔵庫の中にある食材や余ったものを使って、美味しい料理をつくることが大切』って言っているでしょ。だから、少し残っていたレーズンを、カップケーキの上に乗せてみたの」
「そうなんだ。あのレーズンを使ったのは、良いアイディアだね」

「アルデンテ」でゆでたはずの麺は柔らかくて、ふわふわなはずのカップケーキは固めでしたが、とても美味しかった。何より、子供たちが料理を楽しんでくれていることが嬉しかった。

小さいころに和食をあまり食べさせなかったので和食嫌いになってしまった子供たちですが、料理好きにはなってくれたようです。

「美味しかったよ。また、作ってね」
「うん!」 
2人は得意げな表情で、そう答えたのでした。