2017年1月23日月曜日

インターのダンスパーティ ①

  「ダンスパーティの実行委員会メンバーになりませんか」。 娘の通うインターナショナルスクールのPTA副会長から、新学期明け早々にメールがありました。パーティは学校への寄付活動の一環で、建て替えする体育館の建設費用の足しにしたいとのこと。早速、「OK!」と返信しました。

 送り主はチェコ人ママで、前期からPTA副会長を務めています。ブロンドの美人で、ユーモアたっぷりの話し方が魅力の女性です。メールは一斉メールで、宛先は12人。フランス人、アメリカ人、ブラジル人、イギリス人、フィリピン人と国籍は様々で、日本人は私を入れて2人。昨年秋、校庭で開かれたバーベキューパーティの企画・実行メンバーとしての”働き”が認められ、今回もそのメンバーに依頼が来たのです。

 初会合は12日、学校のカフェテリアで開かれました。ちょうど中休み中で、おやつを食べている娘に遭遇。「ママ~」と私に抱き着いてくる娘を抱き締める私に、チェコ人ママが話しかけます。
「なんて、ラブリーなの!何年生?」
「6年生(中1)よ」
「いいわねぇ。うちの子供たちなんか、私を見かけると”うんざり顔”よ」と豪快に笑います。
そのチェコ人ママには7年生と8年生の男の子がいます。

 横に座るアメリカ人は11年生(高2)のママ。本国の大学に上の子供2人が通う、ベテランママです。「今のうちよ、学校でハグしてくれるのは」と笑います。娘の通うインターは幼稚園から高校までの一貫校なので、ママさんたちの年齢が幅広く、子育て経験も様々でおもしろいのです。

 そんな会話で始まった会合。まず、PTA副会長のチェコ人ママがパーティの趣旨説明をします。2月開催で、目的は新体育館建設資金への寄付集め。現体育館は取り壊しとなるため、最後に盛大に楽しもうということ。テーマは「プロム(ダンスパーティ)」。

 まずは開催時間から話し合います。食事を提供するのは手間がかかり費用もかさむので、夕食後の時間にスタートしようということに。午後7時半から午前2時(!)という案に決まりそうになり、慌てて私はコメントします。
「小さな子供がいる人も多いので、6時とか、もう少し早めのほうが良いのでは?」
「子供は大丈夫。高校生たちにベビーシッターを頼むから」とフランス人ママ。
「早めのスタートだと、温かい食事のほかに、つまみやデザートもいるでしょう? コストがかかり過ぎるわ。7時半スタートは、食事は済ませてきてね、という時間だから」というのはイギリス人ママ。

 そうか、ヨーロッパの国々では子供をベビーシッターに預けて、カップルが食事やコンサートなどを楽しむ慣習があるのだと思い出します。きっと日本暮らしで楽しみも少ないため、たまにはにぎやかに遊びたいと思っている人もいるのだ、と思い直します。日本人なら、子供も楽しめるイベントにするよなあ・・・。 それにしても、午前2時まで体育館で飲み語り踊るなんて・・・。理解を超えた発想と時間設定にただただ驚くばかり。が、インターでの奇想天外な出来事には慣れてきたので、それ以上口は挟みません。

 次は服装について。チェコ人ママが「ドレスコードが必要だと思う」と言います。ドレスコード?私はまた、仰天します。ドレスコードとは、服装のルールのこと。女性として長く生きていますが、ドレスコードのあるパーティなんて、参加したことなどありません。日本人ママも少なくないこの学校。ドレスコードなんて言われたら、「参加できないわあ」と思う人がほとんどに違いありません。

 話は続きます。「女性はドレス、男性は黒いネクタイか蝶ネクタイにスーツという正装はどう?」。ドレスの色を赤、黒、ゴールド、シルバーなどに限定したらどうか?とも。「プロムと言えば、アメリカ。どう、あなたたちもプロムに参加したんでしょう?高校や大学で。教えてよ」。アメリカ人ママが言います。「参加したわ、大学のとき。やっぱりドレスコードは必要だと思う。だけど、色は決めないほうがいいわ」。私は、そこでまた、コメントします。”日本人代表”として。

 「日本人でダンスパーティに着ていくようなドレスを持っている人は少ないと思う。日本人は真面目だから、ドレスコードなんて言われたら、『新しいドレス、買いに行かなきゃ』とプレッシャーを感じる人も多いと思う。そうなったら、面倒だから参加しないわ、ということになるかも」。参加者が少なくて、日本人は非協力的なんて思われるのは、困る・・・という本音はもちろん言いません。

 「日本人はいつも綺麗な服着ているじゃない。大丈夫よ」とアメリカ人ママ。確かに日本人は普段から割ときちんとした服を着ています。でも、それとこれとは違います。背が高く、顔の凹凸もしっかりとしている西洋人がドレスアップしたら、小柄で平坦な顔のアジア人は太刀打ちできません。カジュアルウエアなら何とか誤魔化せるでしょうが、パーティドレスは・・・。

 いかにもロングドレスが似合いそうな長身ママたちの間で、顔が大きいことが悩みの身長160センチの私は食い下がりました。斜め向かいに座るのは、縦巻きカールが美しい、ゴージャスなブラジル人ママ。ダンスうまいんだろうなあ、ドレス姿も素敵なんだろうなあ、と想像しながら提案しました。

 「では、マスクをするのはどう? ベネチアンマスク。私、数年前に家族でハウステンポスに行ったとき、夜80年代90年代のディスコ音楽をバンドが演奏していたの。マスクが配られて、恥ずかしがり屋の日本人も、マスクした途端、皆楽しそうに踊っていたわ。マスクをしたら、恥ずかしいという気持ちもなくなって、パーティも楽しめるのではないかしら」

 皆、ポカンとした表情をしています。あっ、しまった。ハウステンポスの発音が悪かったかな。ハウステンポス、皆知らないのかな。オランダの街並みを再現したテーマパークと言えば良かったかな。いや、提案そのものが変?

 すると、何人かのママが「いいわね。マスク」と賛同してくれました。私はすかさず、言います。「アマゾンや楽天で、安いのがあるかどうか調べておくわ」。「じゃあ、お願いね。ムツミ」。私はとりあえず、胸をなでおろしました。

 その後は、食べ物や飲み物の話に。「入り口で、スパークリングワインを配ったらどう?」とフランス人ママ。ワインの話はやはり、フランス人にお任せです。「そうね、スパークリングワインのグラスはそのまま会場内でワインを飲むときに使えるわね」という発言に、フランス人ママはきっぱりと言い切ります。「NO! 私たちはスパークリングワインのグラスでは、ワインは飲まないわ」。「さすが、フランス人」とママたちの間で笑いが広がります。

 この日、なかなか決まらなかったのは、事前に販売するチケットの値段でした。「寄付金集めが目的なのだから5000円ぐらいとある程度高くするべき」という意見と、「インターは授業料が高く、寄付活動も盛んで、出費が多い。値段は抑えるべき」という意見で分かれ、結論は持ち越されました。

 体育館でのダンスパーティ。どのようになるのか、楽しみになってきました。
 

 

  

 

2017年1月7日土曜日

「何がめでたい」

 元旦、新聞を読んでいたら、全面広告に目が止まりました。「何がめでたい」とおばあちゃんが怒りながら新聞を読むイラストがついています。元旦にそのタイトル。思わず、クスリと笑ってしまいました。佐藤愛子さんの「90歳。何がめでたい」(小学館)の宣伝でした。


 年末の「We love SMAP」の全面広告8面には度肝を抜かれましたが、一冊の本を全面で宣伝するのも珍しいのではないでしょうか。それほどに、「この本を売りたい・売れるはず」という出版社の意気込みが伝わります。分かるなあ。この本、良い本だもの。
 
 実は昨年、あることがきっかけで、このエッセイ集を買いました。母のひと言でした。
 「佐藤愛子さん大好きなの。『90歳。何がめでたい』買って読んだら、気持ちが明るくなった」 
 苦労の絶えない78年を生きた母が、「気持ちが明るくなった」という本を読まないわけにはいきません。購入後、一気に読了しました。

 卒寿(90歳)を祝われ、礼は言いつつ心の中で舌打ちする話には、大笑いました。死んだ飼い犬への思いをつづった話には、涙がこぼれました。日本人の”アホぶり”をピシリと叩く、辛口のコメントに膝を打ち、迷惑な押し売りさえ家に入れて、逆にもて遊んでしまう老獪さには感心しました。昔の苦い、辛い思い出さえも懐かしむ話には、「今の自分の問題も、小さなことなんだ」と思える説得力があった。読んだ後、心が軽くなりました。

 ミステリー小説が読めなくなって、もう何年も経ちます。父が亡くなってから、読めなくなりました。昔は大好きで、桐野夏生さんや東野圭吾さんらの作品を新作が出るたびに買っては読んでいました。が、数年前、東野圭吾さんの新作を購入し、読み始めた途端、読めなくなった。人が苦しむ。人が死ぬ。そういう描写に耐えられなくなったのです。その新作は結局、読まずに古本屋さんに持っていきました。それから、一切、ミステリーは読んでいません。

 ノンフィクションの本は読みます。たとえ、読むのが辛くても、現実を知りたいと思うからです。が、娯楽として読むフィクションでは、人が人を殺める話や暴力的な話は読みたくないし、悲しい話もなるべくなら避けたい。映画も、戦闘や殺人シーンを見られなくなって久しい。そういうシーンがありそうな映画をそもそも、見ない。

 自分の生きる現実が重たくなればなるほど、息抜きに読む本や映画にはさわやかさや軽やかさ、もしくは、現実離れした夢物語を求めるのかもしれません。母が昔、戦争映画やミステリー・サスペンス映画を見る私に「よく、そういう映画見られるわね。私は絶対嫌だよ。気持ちが暗くなるからね」と言っていましたが、今は、その気持ちが良く分かります。

 最近は、こういう本や映画を作れる人は、実は心身ともに安定した人生を歩んでいるのではないかとさえ、思っています。

 作家の村上春樹さんが「走ることについて語るときに僕の語ること」(2007年初版)で、「真に不健康なものを扱うためには、人はできるだけ健康でなくてはならない。それが僕のテーゼである」と書いています。「健康的な生活を送っていたら、そのうちに小説が書けなくなるんじゃありませんか?」とよく人に問われることについての、彼の答えです。これを読んだ10年前も、この言葉に共感しましたが、今も同じ気持ちです。健康でなければ、人の心の闇に迫った本や映画を作り続けていたら、いずれその作品に自分自身が呑まれてしまい、心身を壊してしまうのではないかと想像するからです。

 年末に「ローグワン/スターウォーズ・ストーリー」を家族で見に行きました。親子でクリスマスを楽しむために見に行きましたが、たとえ宇宙の話であろうとも、度重なる戦闘シーンは見るのが辛かった。剣や銃に興味を持ち始めた(やっぱり男の子です)5歳の息子への悪影響も心配でした。が、周りを見渡すと、小さな子供連れの親たちがたくさんいました。

 スターウォーズのような全く現実離れした架空の話ぐらいは、楽しみにしている子供たちのためにも、話題に付いて行くためにも、我慢して見なければと思いました。本当は見たくないけれど。
 

 

 

2017年1月1日日曜日

我が家のおせち料理

 新しい年を迎えました。大晦日は早めにおせち料理と年越しそばを食べ、私は居間でブログを書き、夫は寝室で読書。子供たちは子供部屋で映画を見るーという、それぞれがしたいことをして時間を過ごす年越しでした。元旦の今日は遅めに起きて、おせち料理とお雑煮を食べ、午後は近所の神社にお参り。このようにありふれた、そして、穏やかなお正月です。

 さて、今年最初のブログはおせち料理について書こう!とインターネット検索をして仰天しました。なんと、大晦日におせち料理を食べるのは北海道特有の慣習なのだそう。世の中の多くの人は元旦におせち料理を食べるようなのです。そして、実家で小さいころから食べてきた「口取り(菓子)」も北海道特有の食文化らしいのです。

 おせち料理は毎年、夫が食べられるものを札幌の母が送ってくれていました。黒豆と紅白なます、千枚漬けとボタンエビ、カニとホタテです。そして、「口取り」も、地元の和菓子の老舗「千秋庵」で年末買ったものを送ってくれていました。ところが、2年前、母から突然言い渡されたのです。

 「今年からおせち料理は送らないよ。もう、大変だから作れない。口取りも自分で用意してね。東京に美味しい和菓子屋さんがあるでしょ」
 そして、おせち料理のレシピが送られてきました。黒豆を煮るときに使う「釘」と一緒に。

 私は動揺しました。母が作る黒豆や紅白なます、千枚漬けは絶品でした。突然、母の味が食べられなくなるのは、本当に悲しかった。

 が、そうも言ってはいられません。自分で準備をすることにしました。煮しめだけは毎年作っていましたので、それに加えて一昨年は紅白なますを作りました。昨年末はボタンエビを買ってきて、塩ゆでしました。母からタラバガニとホタテは送られてきましたので、感謝しながら、つけました。口取りは、母が送ってくれていた「鯛の落雁」が大好きだったのですが、こちらではなかなか探せなかったので、近所の和菓子屋さんで生菓子や羊羹などを買いました。
大晦日の食卓
 
 年末、「豆きんとん」を横浜の仕出し屋さんから買いました。お正月には「栗きんとん」が定番ですが、うちはずっと「豆きんとん」を食べてきたので、今更変えたくない。母が「私が小さいころ、豆きんとんをつける役割だったの。家族全員分をつけて、残った豆きんとんを指ですくって食べるのが、楽しみでねえ」と毎年話してくれた思い出があり、その思い出を大切にしたい。が、ようやく探して買ったその豆きんとんは家族には不評でした。あの千秋庵のものを毎年食べてきたため、舌が覚えているのですね。残念ながら、千秋庵は数年前に製造を取りやめたらしいので、あの味に近いものを、私が作るしかない。今年の年末に挑戦してみようと考えています。
  
お正月の食卓
 
 アメリカ人の夫と「ピザ」「パスタ」「タコス」が大好きな子供たちに、日本の伝統料理を食べてもらうのは簡単ではありません。今回も、煮しめもお雑煮も子供たちは「全部食べられない」と残しました。

 実は毎年、10種の食材が入る煮しめを作るたび(母がそうしてきたので、引き継いでいます)、「喜んで食べてもらえない、手のかかる料理を作るのは気が重い」と思います。でも、たとえ食べてもらえなくても、作り続けるつもりです。いつか子供たちが「美味しい」と言ってくれる日が来ることを願いながら。