2016年10月16日日曜日

緑の診察券

  9月28日は、4カ月ぶりの診察日でした。幼稚園への息子の送迎、子供2人のお弁当作り、炊事・掃除・洗濯、娘の学校でのPTA活動・・・という日常から離れて、私は久しぶりに「がん患者」に戻りました。

 病院に着き、再診受付の機械に診察カードを入れます。2003年初夏に初めて受診したときに作ってもらったもので、緑色の線がついています。患者らのカードの多くが黒い色だと気付いたのは、もう何年も前のこと。それから、患者たちが4台並ぶ再診受付機にカードを差し込むとき、クリアフォルダにカードを入れて持ち歩くときに注意してみるようになりました。ほとんどが黒でした。

「私のように長く生きている人はあまりいないのだな」
私よりずっと年上の患者たちの、黒い線のカードを見ながら、少しだけ感慨に浸ります。そして、「せっかくここまで生きたのだから、緑の線のカードを持った最後の人になろう」などと、つい、いつものように前向きな目標を立ててしまう自分を心の中で笑います。
              
1階で再診受付を終え、保険証の確認窓口を経て、2階の血液・尿検査室へ。採血・採尿の受付作業は以前職員が行っていましたが、いまは2台の機械が行います。このように、私が通い続けた13年間に病院内は少しずつ変わりました。病院名は「国立がんセンター中央病院」から「国立がん研究センター中央病院」に変わり独立法人化。院内も機械化が進んだり、患者の相談窓口が増えたり、売店などの店舗が変わったりしました。

 採血・採尿が終わると、診察時間までの間、私は1階のカフェに行きます。ここは以前、売店があった場所。そこで大好きなチーズケーキとコーヒーをオーダーします。このカフェが出来る前は自動販売機で売るコーヒーしかなくて、入院中は夫に頼んで「スターバックス」 のコーヒーを買ってきてもらいました。カフェのテーブル席がある場所は以前、救急患者の入り口になっていたところ。私もその入り口から、救急隊員に声掛けされながら、担架に乗せられて運び込まれました。そんなことも毎回このカフェでコーヒーを飲むたびに、懐かしく思い出します。

 カフェでひと息ついた後、2階の待合室へ。自分の診察室近くの椅子に座ります。待合室では頭髪が抜けてしまった頭を隠すため、かつらや帽子をかぶった人をたくさん見かけます。後ろの席では、患者が知り合いの患者に帽子を脱いで頭を見せています。
 「あら、きれいに生えて良かったわね」
 「そうなのよ」
 あっけらかんとした会話を聞きながら、かつらを被って仕事をしていた昔を思い出します。

 その外来には呼吸器、乳腺、内分泌、整形外科、血液内科の診察室があり、ひっきりなしにマイクを通して医師の患者を呼ぶ声が聞こえます。「医師の声が、若い」と気付いたのも最近。「いつのまに、外来の医師らより年上になってしまったんだな」と思います。

 「村上さん、34番にお入りください」
 13年間、聞き続けた主治医の穏やかな声が聞こえます。
 「こんにちは」。診察室に入ると、主治医はいつもの笑顔で迎えてくれました。
 「前回の胃カメラとCT検査では特に異常は見当たりませんでした」
 来年の検査まで、また、1年寿命が延びました。

 私は短い診察時間、いつも小さな話題を主治医に振ります。
 この日は診察カードの話をしました。

 「先生、私、ここに通って13年になるんです」
 「そうですか。ずいぶん経ちましたね」
 「私のように、緑色の線が付いたカードを持っている人、少ないんです」
 「そうですか。緑色のカードですか。それは良いことです」
 主治医はにこにこと笑って、薬の処方箋をプリントアウトし、4カ月後に診察予約を入れました。診察日の間隔はここ数年、少しずつ、長くなっています。

 会計を済ませて病院を出ました。活気付いていた、築地市場の場外市場はほとんど閉店していました。移転問題で揺れる築地市場。がん研究センターの斜め前にあった、私の好物のさつま揚げの店も閉店していました。「今日は好きなだけ、さつま揚げを食べるぞ」と1000円のパックを買って帰ったことを思い出しました。少し、寂しい気持ちになりました。

 「いろいろ移り変わるけど、私は生きてここに通っているから、まあ、いいか」
 気持ちを切り替え、角を曲がり、私はいつもの薬局に向かいました。

 
 

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