2016年8月1日月曜日

失敗に学ぶ

 4歳の息子と11歳の娘は、いくつか正反対の性質があります。そのうちの1つは、息子は失敗に学び、娘は失敗に学ばないことです。2人をよくよく観察すると、いずれも、それぞれの成長につながっていることが分かってきました。

 息子は何か失敗をした後は必ず反省し、次に失敗を繰り返さない方法を自分で考えます。たとえば、幼稚園にスニーカーではなくサンダルで登園したとき。これは、そのことに気が付かなかった母親である私のミスなのですが、息子は翌朝、玄関でつぶやきました。
 「サンダルが玄関にあるから間違えちゃうんだね。靴箱にしまおう」
 そしてサンダルをきちんと靴箱にしまい、玄関に残ったスニーカーを履きました。

 手拭きタオルを幼稚園から借りてきたとき。これも、持ち物チェックをしてあげなかった私のミスもあると思ったのですが、一応、息子に注意しました。
 「今日はタオル忘れないでね」
 「きのう、タオルはちゃんとバッグに入れたんだ。でも、濡れちゃったから、先生に借りたの。今日はタオル2つ入れるね」

 おやつにたこ焼きを6つも食べてしまい、夜、夕食の後に吐いてしまったとき。これも、夕食のときに「おなか一杯で食べられない」と訴える息子に、「つけられた食べ物は、残さず食べなさい」と無理やり食べさせてしまった私のせいです。
 息子は翌朝、ごはんを食べているときにつぶやきました。
 「おなか一杯食べるから、吐いちゃうんだね。もう、おなか一杯食べるのやめよう」

 娘は全く、失敗に学ばない子でした。先生や親に注意されたことを忘れ、同じ失敗を繰り返すため、「先生やママやダディが注意したことを、きちんと覚えていなさい!」と叱ったことは数知れず。が、あるとき、それが娘のおおらかな性格の良さにつながっていると気が付いたのです。

 学校に鍵盤ハーモニカを忘れたときのこと。帰宅後に娘に聞きました。
「ハーモニカ、また、忘れたでしょう。どうして、忘れちゃうの?」
 夜支度をする、玄関に持ち物を置いておくなど、私が対策を考えても、一向に忘れ物が減らないため、私もどうしたものかと頭を悩ませていたのです。娘はニコニコして答えました。
 
 「ママ、大丈夫だよ。先生がね、紙のハーモニカ貸してくれたから」
 娘がクラスメートと一緒に、ニコニコしながら音の鳴らない紙の鍵盤を押している姿が目に浮かびました。娘は失敗をしても、先生や親に叱られても、気にせず(すぐ忘れ)、明るく元気に一日を過ごせる子供だったのです。

 人は人前で失敗をしたり、叱られたりすると恥ずかしいと感じて、次に失敗しないように、叱られないようにしようと思うものです。「恥ずかしい」と感じることは、子供の成長の一過程です。が、「恥ずかしい」と感じたり、「叱られるのが嫌だ」と感じないということは、人にどう思われるか気にしないということです。

 娘は、自由闊達な性格で、それが創作活動に現れます。娘は、のびのびとした、独創性に溢れた絵を描きます。普通では思いつかないような工作品を作ります。私は娘の絵を何枚も額装し自宅の壁のあちこちにかけ、工作品も置物として飾っています。失敗に学ばなくて困ると、一時は頭を悩ませた娘は、こんな楽しみを親にくれるのです。

 昨日、取り入れた洗濯物をたたむ手伝いを息子と娘に頼んたときに、息子が私に質問してきました。息子は小さな手で、小さな服を、ぎこちなくたたんでいました。娘はさっさと自分の分を終えて、自分の部屋に戻ってしまいました。

「ねえ、ママ。どうして僕の服、こんなにたくさんあるの?」
「いっぱい、お外で遊んで、汚れるからよ」
もちろん、これは良い意味です。すると、息子が納得したようにまた、つぶやきました。

「ふーん、そうなんだ。じゃあ、これからは遊ぶのをやめよう」

私はあわてて、言いました。
「大丈夫よ。ママがちゃんと洗ってあげるから。たくさん遊びなさい」

 娘には失敗に学ぶように躾け、息子には失敗に学び過ぎないように躾ける。子育ては奥深いです。

 

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