2016年8月26日金曜日

娘が中学生に

 2カ月半の長い夏休みを終え、娘の学校が始まりました。娘は今月から中学生になりました。生まれたときは身長48センチ体重2664gと小さな赤ちゃんだったのに、今や身長160センチの私と同じ背丈になり、足のサイズは私より1センチも大きくなりました。あっという間に子供は成長しているのです。

 寝坊助の娘が一念発起し、中学校初日から朝5時半に目覚まし時計をセットしました。中学生になるとこれまでより30分早く、6時半に家を出なければならないからです。目覚まし時計を置いたのは枕元ではなく、2段ベッドから離れたクローゼットの上です。

 「ジリジリジリ・・・」と音が鳴りました。
 「大丈夫かなあ? 起きられるかなあ?」とキッチンで耳をそばだてていると、どどどっと二段ベッドを降りる音がしました。そして、ベルの音が消えました。 
 「おはよう!」と言いながら、眠そうな顔をして娘が起きてきました。娘の成長を嬉しく思いました。

 「ママ、髪をしばってくれる?」
 そんなリクエストに応えて、髪をしばってあげようとしたところ・・・。身長が同じなので、髪をうまく結べません。仕方なく、息子が歯磨きのとき使う足台に乗って、娘の髪をしばってあげることになりました。台の上から娘を見下ろしながら、「ああ、髪を結んであげられないほど、大きくなってしまったんだなぁ」と、毎日ポニーテールを結んであげた幼稚園のころを懐かしく思い出し、少し切ない気持ちになりました。

 「いってらっしゃい。今日から中学生、頑張ってね!」と声をかけながら、玄関を出た後いつもの角を曲がるまで手を振って送りました。娘はいつものようにダディと手をつなぎ、曲がり角でこちらを振り向き、ピョンピョン飛び上がって、「いってきまぁす!!!」と両手を振ってくれました。

 家に戻り、ほっと一息つきながらコーヒーを飲んでいると電話が鳴りました。娘からです。

 「ママ、電車のパス忘れたのぉ。お願い!駅まで持ってきて!」

 「もう、どうして、前の日に持ち物をチェックしないの!」と文句を言いながら、「仕方ないわね。今、車で持っていってあげる」と言い、娘の部屋を探します。
 パスはちゃんと、机の上にありました。

 「ほんとに、忘れっぽいんだから」とブツブツ言いつつ、何となく、気持ちがほっとしています。子供の成長はうれしいけれども、もう少し長く手のかかる子供でいてほしい。そんな矛盾した気持ちがあるのかもしれません。

 

 
 

2016年8月18日木曜日

たまには、休憩

  インターナショナルスクールに通う娘の夏休みが始まって、2ヶ月。近所の幼稚園に通う息子の夏休みも始まり、アラフィフママは疲れがたまってきました。
  
 51歳で、連日プールや公園などで遊ぶのは、さすがに疲れます。が、家にいるときょうだい喧嘩が絶えないため、頑張って外出します。
 加えて、勉強嫌いな娘に勉強をさせるのは、かなりの忍耐力を要し、疲れが増します。すぐに集中力が途切れる娘にハッパをかけながら、4歳の息子と折り紙を折ったり、ひらがなを教えたりするのも、気力が入ります。
  
  たまには友人とお酒でも飲みながら、思いっきり”大人の会話”をしたいー。 いや、友人は皆それぞれに忙しい。ならば、せめて少しの時間でも良いので、1人で過ごしたいと思ってしまうのは、贅沢でしょうか?

 「お願い。今晩は早めに帰宅して、子供たちの世話をしてほしい」と、遂に夫に電話。帰宅した夫に子供たちを預け、外出。向かった先は最寄り駅にある、カフェ。

  カフェは恋人や友人と語らう人々で、にぎわっていました。私が座ったのはテラス席。 1人で飲むスパークリングワイン、美味しかったです。


2016年8月2日火曜日

ママのおっぱい

 4歳の息子が珍しく私の膝に乗り、おっぱいを触ってきました。息子は1歳半で卒乳してから、ぱったりと興味を失っていましたので、「たまに、恋しくなることもあるのかな?」と思ったところ・・・。

 「ねぇ、ママ。なんでママのおっぱい下がっているの?」
 私の心に広がりつつあった甘い感情を打ち消すような言葉が発せられたのです。
 おっぱいが下がっているー。息子の語彙にはなかった言葉です。私は問い詰めました。
 
 「えっ?誰がそんなこと言ったの?」
 「●●君」。息子は幼稚園で仲良しの男の子の名前を挙げました。
 「そうなんだ。●●君、そんなこと言っていたんだ」
 「そう。ママのおっぱい下がっているねって。僕は、違うよって答えたんだけれど・・・」
 幼稚園の年中組で、そんな会話がなされているとは驚きです。

 私の胸について、正直なコメントをした男の子のお母さんは、私より17歳年下です。輝くばかりの肌と、引き締まった身体と、美しい顔立ちと、そして知性も兼ね添えた女性です。そのほれぼれするような女性を母親に持てば、私なんかは、”くたびれたママ”に見えて当然でしょう。感じたことを正直に言葉に出すのがその年頃の子供のかわいさ。私は妙に納得したのでした。

 黙って私と息子の会話を聞いていた11歳の娘に話を振ってみました。
 「ママのおっぱい下がっているかな?」
 「ううん」
 「お腹が出ているって言われるなら分かるんだけど、ママのおっぱい、言われる程下がっていないよね」と少しムキになる私に、娘が容赦ない言葉を投げかけます。

 「お腹をおっぱいだと思ったんじゃない?」
 「それはないでしょう」と笑いながら、私は出っ張った胃を見下ろし、「そうかもしれない・・・」と思ったのでした。

 娘は続けます。
 「私は他のママと比べないよ。だって、比べたら、ママがかわいそうだもの」
 その言葉に、私は思わず大人げない反応をします。
 「ママだって、2、30年前はきれいだね、って言ってくれた人もいたんだよ」
 遠い昔の話を持ち出して自分をフォローしたものの、「そうか、ママ、同情されてしまうんだ」とつい、弱気なコメントが出てしまいます。
 
 「違うよ。そっちのかわいそうじゃないよ。つまりさ、ママは若く見えるでしょ。だから、友達のママと同い年ぐらいに見えるの。でも、実際の年を言い合ったら、友達のママのほうがずっと若いわけ。そうすると、『うちのママ、そんなに年とって見えるの?』って友達が悲しむでしょう。そしたら、その話をママにすると、ママが私の友達に”年だ”と思われて傷づくでしょう? それが、かわいそうってこと」

 長い説明でしたが、娘の”思考の深さ”に感心しました。
 娘が続けました。
 「ママ、若くなんか見えなくていい。格好良いママでいてほしい」

 若く見えるより高度な要求に、「頑張ろう」と気を引き締めたのでした。

 

 

2016年8月1日月曜日

失敗に学ぶ

 4歳の息子と11歳の娘は、いくつか正反対の性質があります。そのうちの1つは、息子は失敗に学び、娘は失敗に学ばないことです。2人をよくよく観察すると、いずれも、それぞれの成長につながっていることが分かってきました。

 息子は何か失敗をした後は必ず反省し、次に失敗を繰り返さない方法を自分で考えます。たとえば、幼稚園にスニーカーではなくサンダルで登園したとき。これは、そのことに気が付かなかった母親である私のミスなのですが、息子は翌朝、玄関でつぶやきました。
 「サンダルが玄関にあるから間違えちゃうんだね。靴箱にしまおう」
 そしてサンダルをきちんと靴箱にしまい、玄関に残ったスニーカーを履きました。

 手拭きタオルを幼稚園から借りてきたとき。これも、持ち物チェックをしてあげなかった私のミスもあると思ったのですが、一応、息子に注意しました。
 「今日はタオル忘れないでね」
 「きのう、タオルはちゃんとバッグに入れたんだ。でも、濡れちゃったから、先生に借りたの。今日はタオル2つ入れるね」

 おやつにたこ焼きを6つも食べてしまい、夜、夕食の後に吐いてしまったとき。これも、夕食のときに「おなか一杯で食べられない」と訴える息子に、「つけられた食べ物は、残さず食べなさい」と無理やり食べさせてしまった私のせいです。
 息子は翌朝、ごはんを食べているときにつぶやきました。
 「おなか一杯食べるから、吐いちゃうんだね。もう、おなか一杯食べるのやめよう」

 娘は全く、失敗に学ばない子でした。先生や親に注意されたことを忘れ、同じ失敗を繰り返すため、「先生やママやダディが注意したことを、きちんと覚えていなさい!」と叱ったことは数知れず。が、あるとき、それが娘のおおらかな性格の良さにつながっていると気が付いたのです。

 学校に鍵盤ハーモニカを忘れたときのこと。帰宅後に娘に聞きました。
「ハーモニカ、また、忘れたでしょう。どうして、忘れちゃうの?」
 夜支度をする、玄関に持ち物を置いておくなど、私が対策を考えても、一向に忘れ物が減らないため、私もどうしたものかと頭を悩ませていたのです。娘はニコニコして答えました。
 
 「ママ、大丈夫だよ。先生がね、紙のハーモニカ貸してくれたから」
 娘がクラスメートと一緒に、ニコニコしながら音の鳴らない紙の鍵盤を押している姿が目に浮かびました。娘は失敗をしても、先生や親に叱られても、気にせず(すぐ忘れ)、明るく元気に一日を過ごせる子供だったのです。

 人は人前で失敗をしたり、叱られたりすると恥ずかしいと感じて、次に失敗しないように、叱られないようにしようと思うものです。「恥ずかしい」と感じることは、子供の成長の一過程です。が、「恥ずかしい」と感じたり、「叱られるのが嫌だ」と感じないということは、人にどう思われるか気にしないということです。

 娘は、自由闊達な性格で、それが創作活動に現れます。娘は、のびのびとした、独創性に溢れた絵を描きます。普通では思いつかないような工作品を作ります。私は娘の絵を何枚も額装し自宅の壁のあちこちにかけ、工作品も置物として飾っています。失敗に学ばなくて困ると、一時は頭を悩ませた娘は、こんな楽しみを親にくれるのです。

 昨日、取り入れた洗濯物をたたむ手伝いを息子と娘に頼んたときに、息子が私に質問してきました。息子は小さな手で、小さな服を、ぎこちなくたたんでいました。娘はさっさと自分の分を終えて、自分の部屋に戻ってしまいました。

「ねえ、ママ。どうして僕の服、こんなにたくさんあるの?」
「いっぱい、お外で遊んで、汚れるからよ」
もちろん、これは良い意味です。すると、息子が納得したようにまた、つぶやきました。

「ふーん、そうなんだ。じゃあ、これからは遊ぶのをやめよう」

私はあわてて、言いました。
「大丈夫よ。ママがちゃんと洗ってあげるから。たくさん遊びなさい」

 娘には失敗に学ぶように躾け、息子には失敗に学び過ぎないように躾ける。子育ては奥深いです。