2021年9月19日日曜日

がんになって気付いたこと

 「がんになる前となった後で、どうご自身が変わりましたか?」というような質問をときどき受けることがあります。おそらく、「がんになって人生のすばらしさに気付きました」「がんになって家族のありがたさを身に染みて感じました」というような答えを期待されているなと分かります。

 が、私はそうは答えません。人生のすばらしさや家族のありがたさは病気になったから気付くのではなくて、年齢を重ねたり、日々の暮らしの何気ない出来事をきっかけにはっと気付くものだと思うからです。

 それよりも、私ががんを患い、別の疾患を含めて病気と闘いながら気付いたのは、健康だったときの自分でなくなってしまったとき、健康を前提として作り上げてきた自分自身が崩れてしまう。その再構築がとても難しいということでした。

 私は家庭の事情により、比較的小さなころから女性の経済的自立の重要性に気付いていました。長じてから、参考にしたのが「Having it all(すべてを手に入れる=仕事と家庭の両立の意味)」というアメリカの著名な雑誌の女性編集長によって書かれた本です。その本を擦り切れるほど読み、学費と生活費を貯めて日本を飛び出し、アメリカの大学に編入学しました。アルバイトをしながら学びましたが、資金が足りず、親に頭を下げて残りの学費を工面してもらい、卒業しました。

 大学卒業後は帰国し、英語教師をしながら職探しをしました。そして、中途採用で地方紙の記者として採用されてから、私の人生はようやくスタートしました。男性記者の中に混じって働き、辞令1枚で転勤を命ぜられ、それを誇りに感じながら、仕事をしていました。辛いこともたくさんありましたが、やりがいのある仕事をし、十分な収入を得ている自分に満足していました。遠距離で付き合い、サンフランシスコで働いていた夫に、「全部そろっているから、身一つで来て!」と説得し日本に呼び寄せました。

 が、間もなくがんを患い、仕事を手離すことになりました。その後、病気との闘いは長引き、社会復帰のめどが立たず、私はもっとも恐れていた男性に食べさせてもらう女性になってしまったのです。病気が重なり、体調は悪くなるばかりというとき、友人に「結婚したのがアメリカ人で良かったわね。日本人だったら、とっくの昔に離婚されていたわよ」と言われました。その言葉で、健康を害するということは、自己決定権がある自立した立場から、離婚されても仕方ないと世間に見なされる立場になってしまうことなのだと理解しました。自分自身が完全に崩れ落ちた瞬間でした。

 社会復帰は長らく出来ませんでした。働きたいという気持ちがあっても、気合いやガッツがあっても、体が動かない。少し無理をすると、あっという間に体調が悪化してしまう。そうすれば、結果的に家族に迷惑をかけることになる。こうして、私が幼いころから目指していた経済的自立は、健康な体というベースがあってこそ、ということに健康を失ってから気付いたのです。

 全ての病気を克服し、社会に出られるようになったのが40代後半。いくつかの出会いがあり、ウェブメディアに記事を書かせてもらえるようになりました。長らくブランクがありましたので、無報酬です。1本の記事に何十時間もかけました。納得いくまで取材し、調べ、記事にしていく。自分の記事の発表の場があるーというのは、シンプルに嬉しかった。そこで経験を積ませてもらい、少しずつですが、原稿や仕事の依頼を頂けるようになりました。

 それでも、元の自分には戻れません。今でも、パワフルに仕事をしながら、育児をしている女性を見ると、「私もああなるはずだった」と悲しい気持ちになります。社会復帰するということは、自分自身の社会での位置を再認識するということです。それは病気前の自分の位置とは全く違うと思い知らされることです。それでも社会に自分の居場所を作る場合は、闘病中とは別の意味での精神的なタフさが必要になります。落ち込んだときは、病気を克服した自分、少しずつでも前進している自分に納得するよう自身に言い聞かせます。

 日々、生きていられること、家族が元気に暮らしていることに感謝している。一方で、病気前の自分にさよならをして、病気後の自分を自分として生きることがなかなか出来ない。でも、病気後の自分で、私の人生を再スタートさせなければならない。そのための努力はしている。それでも、時折、気持ちが塞いでしまう自分がいる。そんなことを繰り返す日々です。 

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