2021年9月26日日曜日

スワンボート

  秋分の日の23日、息子と一緒にゆったりとした時間を過ごしました。この日は娘の学校があり、夫も仕事に出ていましたので、久しぶりに息子と二人だけの休日。「ピクニックに行きたい」という息子のリクエストに応えて、お弁当を作り、自転車で「洗足池公園」に行きました。

 洗足池公園は東京都大田区にあり、四季を通じて楽しめる場所。池ではボートに乗ることができ、池の周りをぐるりと囲む公園でのんびりとお散歩をしたり、お弁当を食べることもできます。

 さっそく「スワンボート」に乗りました。このスワンボートは娘が幼稚園のころ、初めて乗りました。娘と何度か、息子とも何度か乗りました。のんびりとボートをこぎながら、景色を眺めたり、おしゃべりしたりして、とても幸せな気持ちになるのです。

 この日はお天気が良く、時折吹く風も爽やかでした。息子との幸せな時間がこれからも続きますようにと願った一日でした。



2021年9月19日日曜日

がんになって気付いたこと

 「がんになる前となった後で、どうご自身が変わりましたか?」というような質問をときどき受けることがあります。おそらく、「がんになって人生のすばらしさに気付きました」「がんになって家族のありがたさを身に染みて感じました」というような答えを期待されているなと分かります。

 が、私はそうは答えません。人生のすばらしさや家族のありがたさは病気になったから気付くのではなくて、年齢を重ねたり、日々の暮らしの何気ない出来事をきっかけにはっと気付くものだと思うからです。

 それよりも、私ががんを患い、別の疾患を含めて病気と闘いながら気付いたのは、健康だったときの自分でなくなってしまったとき、健康を前提として作り上げてきた自分自身が崩れてしまう。その再構築がとても難しいということでした。

 私は家庭の事情により、比較的小さなころから女性の経済的自立の重要性に気付いていました。長じてから、参考にしたのが「Having it all(すべてを手に入れる=仕事と家庭の両立の意味)」というアメリカの著名な雑誌の女性編集長によって書かれた本です。その本を擦り切れるほど読み、学費と生活費を貯めて日本を飛び出し、アメリカの大学に編入学しました。アルバイトをしながら学びましたが、資金が足りず、親に頭を下げて残りの学費を工面してもらい、卒業しました。

 大学卒業後は帰国し、英語教師をしながら職探しをしました。そして、中途採用で地方紙の記者として採用されてから、私の人生はようやくスタートしました。男性記者の中に混じって働き、辞令1枚で転勤を命ぜられ、それを誇りに感じながら、仕事をしていました。辛いこともたくさんありましたが、やりがいのある仕事をし、十分な収入を得ている自分に満足していました。遠距離で付き合い、サンフランシスコで働いていた夫に、「全部そろっているから、身一つで来て!」と説得し日本に呼び寄せました。

 が、間もなくがんを患い、仕事を手離すことになりました。その後、病気との闘いは長引き、社会復帰のめどが立たず、私はもっとも恐れていた男性に食べさせてもらう女性になってしまったのです。病気が重なり、体調は悪くなるばかりというとき、友人に「結婚したのがアメリカ人で良かったわね。日本人だったら、とっくの昔に離婚されていたわよ」と言われました。その言葉で、健康を害するということは、自己決定権がある自立した立場から、離婚されても仕方ないと世間に見なされる立場になってしまうことなのだと理解しました。自分自身が完全に崩れ落ちた瞬間でした。

 社会復帰は長らく出来ませんでした。働きたいという気持ちがあっても、気合いやガッツがあっても、体が動かない。少し無理をすると、あっという間に体調が悪化してしまう。そうすれば、結果的に家族に迷惑をかけることになる。こうして、私が幼いころから目指していた経済的自立は、健康な体というベースがあってこそ、ということに健康を失ってから気付いたのです。

 全ての病気を克服し、社会に出られるようになったのが40代後半。いくつかの出会いがあり、ウェブメディアに記事を書かせてもらえるようになりました。長らくブランクがありましたので、無報酬です。1本の記事に何十時間もかけました。納得いくまで取材し、調べ、記事にしていく。自分の記事の発表の場があるーというのは、シンプルに嬉しかった。そこで経験を積ませてもらい、少しずつですが、原稿や仕事の依頼を頂けるようになりました。

 それでも、元の自分には戻れません。今でも、パワフルに仕事をしながら、育児をしている女性を見ると、「私もああなるはずだった」と悲しい気持ちになります。社会復帰するということは、自分自身の社会での位置を再認識するということです。それは病気前の自分の位置とは全く違うと思い知らされることです。それでも社会に自分の居場所を作る場合は、闘病中とは別の意味での精神的なタフさが必要になります。落ち込んだときは、病気を克服した自分、少しずつでも前進している自分に納得するよう自身に言い聞かせます。

 日々、生きていられること、家族が元気に暮らしていることに感謝している。一方で、病気前の自分にさよならをして、病気後の自分を自分として生きることがなかなか出来ない。でも、病気後の自分で、私の人生を再スタートさせなければならない。そのための努力はしている。それでも、時折、気持ちが塞いでしまう自分がいる。そんなことを繰り返す日々です。 

2021年9月4日土曜日

息子も遂にオンライン授業

  娘の通うインターでの授業が30日からオンラインに切り替わりました。2ヶ月半の長い夏休みが終わり、ようやく新学期とほっとしたのも束の間。生徒に新型コロナウイルスの新規感染者が出たため、校内での感染拡大を防ぐというのが理由ですが、昨年からの度重なるオンライン授業で親子共々疲れています。

 結局、狭い我が家は職場であり、学校であり、食堂であるという状況にまた戻りました。夫も私も娘もオンライン会議システム「ズーム」を使っての仕事や授業がありますので、声を出してもお互いに影響が出ない部屋を調整し合わなければなりません。それが結構なストレスとなります。

 我が家は一軒家で、1階にキッチンとダイニング、トイレ・お風呂場、娘の部屋と寝室があり、2階にリビングと息子の部屋があるという構造。ズームが出来るのは、①1階のダイニングテーブル②寝室のライティングデスク③娘の部屋の机④2階のリビングのテーブルーの4カ所。そのうち、1階のダイニングと2階のリビングは吹き抜けになっていますので、音を遮断したいときは使えません。

 娘の部屋はドアがありますので、娘は本来ならそこで勉強するはず。ところが、「居心地良すぎて、すぐ寝てしまう」という理由で、ダイニングや寝室、リビングに勉強道具とパソコンを持ち込んで授業を受けています。

 私と夫は娘の都合に合わせて、あちこち移動しています。「なんかなぁ」と思いつつ、娘はほっておくとずっと寝ていますので、授業中も寝る可能性が十分あります。ですので、とにかく勉強に集中できる環境を娘に優先して与えています。

 朝、昼、晩と食事を作るのも大変になってきていますので、最近は昼は近くのファストフード店も利用するようになりました。「インターは安易にオンラインに切り替えるから困る」と思いきや、子どもを私立の小学校や中高に通わせているママ友数人に聞いてみると、皆オンライン授業だそうです。「パパも在宅だから、私の居場所がないの」と皆、嘆いていました。

 さて、1日から学校が始まった小4の息子。「オンラインの環境が整っていない公立は本当にありがたい。感染対策を万全にしてもらった上で、給食まで出してくれる」と有難がっていると、遂に4日土曜日、ひとり1台貸与されているパソコンを使って試験的にオンライン授業が行われることになりました。

 3時間授業で、内容は夏休みの自由研究の発表。学校に提出した自由研究を写真に撮り、スライドを作って発表するという小4には高度な内容です。息子の隣に座って見ていると、問題なくスライドを共有できている子もいれば、「画面の共有できません!」と戸惑っている子もいます。スライドが共有できても音声をオンに出来ない子も。私もズームを使い始めたときはこうでした。分かるなあ。

 先生がその都度やり方を説明したり、「学級通信の裏側に手順が書いてあります。もう一度読んでみてください」と根気強く子どもたちに話しかけています。先生も大変だなぁ、頑張って!と応援したくなります。

 子供たちはひとり1分の時間を割り当てられ、発表します。ランチョンマットを縫った子、シャボン玉液を作った子、電車について調べた子、アイスクリームを作った子…。皆ユニークです。発表を見ていると、「きっと、お母さんが裁縫得意なんだろうな」「お父さん、鉄っちゃん(鉄道を趣味とする人たちの愛称)なのかも」と親の趣味や得意分野が想像できてしまうところも面白い。

 我が家もそう。「自由研究何しようかなぁ?」とつぶやく息子のため、理科の参考書をめくってアイディアを探していたときに、石の種類の解説が目に飛び込んできました。それを見て、ひらめきました。「我が家にすでにあるものを使わない手はない」と。我が家には石がたくさん転がっています。家に収まらないので、外にも置いてあります。

 ”最強”なのは、我が家に石に詳しい人がいること。そう、大学・大学院と地質学を専攻した夫です。修士論文が米国ワイオミング州だか、コロラド州だかの石の研究という、強者です。石のコレクションが趣味の夫は、息子をよく近くの川に連れて行き、石を拾ってきます。家の中や外に転がっているのは、その石なのです。灯台もと暗しとはまさにこのこと。「あの邪魔だった石を捨てなくて良かった」と私は自分を褒めたい気持ちにさえなりました。

 息子は石の”研究”に没頭しました。分からなくなれば、夫が一目でその石の種類を言い当てますので、息子も心強かったようです。私も買い替えたばかりのiPhoneのカメラの新機能を使い、石の表面を拡大した写真を撮影しプリントして手伝いました。それらを一枚の用紙にまとめたものを、息子はスライドにしてズームで発表しました。発表後、クラスメートから「石にも種類があるんだ」「僕も探してみようと思いました」などメッセージが続々届きました。発表が無事終わって、私もほっとしました。

オンライン授業を受ける息子

 子供たちの発表を見ていて仰天したのは「東京大学」について調べた女子の発表でした。「私は東大に行きたいので、調べることにしました」とそのテーマを選んだ理由を説明。「ドラゴン桜」というテレビドラマに興味を持ったことも話していました。そして、東大に行った著名人の写真や、東大の入試問題も紹介し、「もし興味があれば、この問題を解いてください」とクラスメートに呼びかけていました。

 テレビドラマを見ない私は「ドラゴン桜」がどんなドラマかも知りません。さっそくグーグルで調べてみると、低迷する高校が舞台で、東大を目指す生徒たちと指導する教員の物語だそうです(理解が合っていれば)。生徒たちからは続々と「ぼくもドラゴン桜見ていました」「東大受験頑張れ!」というメッセージが。「僕も東大行きたいので、その問題解いてみます」というものもありました。

 いやはや、驚きました。東大ってこんなに身近なのですね。東大を夏休みの自由研究に選んだということは、もしかしたら、この発表した女子のご両親は東大卒なのかもしれません。我が家では「東大」という言葉が出ることもないですし、息子も私も「ドラゴン桜」というテレビドラマがあることも知りませんでしたので、絶対に思いつかないテーマで、逆に新鮮でした。

 息子の初めてのオンライン授業。親の私が楽しませてもらいました。