2019年12月29日日曜日

2019年 私の挑戦①本を出版する

 今年はおそらく、人生の中で最も忙しい年だったのではないかと思います。あまりに忙しかったため、1年を振り返って「どうしてあれもこれも手を出したのだろう」と反省もしましたが、あらゆる機会が一気に押し寄せて来たとしか言いようがないのです。55歳という年齢と体調がこれまでになく良かったことから、「懸案となっていたことを今終わらせなければ」「やりたかったことを今始めなければ」という焦りにも似た気持ちがあったように思います。毎年、年末に書いていた「今年の挑戦」。2019年は3つのことをつづってみたいと思います。

 まず、一番の挑戦は本「がんと生き、母になる 死産を受け止めて」(まりん書房)を出版したことです。病と闘いながら、死産を受け止めていく私自身の記録で、私にとって初めての本です。病気に次ぐ病気で医師の診立ても良くなく、自分も「私は長く生きないな」と実感する中、一人娘のために書き残そうと10年以上もノートや手帳につづってきた記録をまとめました。

 詳細な治療記録を記し、心の葛藤や医師・家族とのやり取りまで正直に書きました。また、死産した子にまつわる大切にしている写真も載せました。信頼する友人の編集者に編集を頼み、校閲も専門会社に依頼しました。文章だけでなく、構成も表紙も写真・写真説明も見出しも、この字をひらがなにするか漢字にするかーという細かなことまで考え抜き、一切妥協せず作りました。


 本は娘に読んでもらいたい一心で作りましたが、「がんを患った人や家族の方々の役に立てたら」と願い、書店などに流通させることにしました。図書館に本を卸す会社の担当の方が気に入ってくれ、330冊もの注文を頂き、全国各地の図書館に置いてもらえることになりました。また、私の出身地である札幌の書店や地元の書店にも置いてもらいました。地元の書店は今でも、レジ横の目立つ場所に置いてくれています。


 また、少しずつですが、病院の移動図書館やがん関連団体、教会などにも寄付をしています。私の本を読んでいただくことで、同じような経験をされている方々の気持ちが少しでも軽くなれば、と願っています。

 本の中に、ハガキを挟みました。読者の方々に感想をいただけたらと思い、地元の郵便局と契約をして、料金受取人払いのハガキを作りました。届いたのは、1カ月に2、3枚でしょうか。私の本の出版を知って読んでくれた元同僚や友人から心温まるメッセージのほか、一般の読者からも届きました。遠く鹿児島県からも届いて、どこかで知ってくれたんだな、と嬉しく思いました。

 そのうちの一つをご紹介したいと思います。ご本人には、ウェブサイトの感想欄に匿名で掲載させていただく承諾を得ています。

「私は今年5月に骨膜種という脳腫瘍が見つかり、手術を行いましたが、回復が芳しくない状況にあります。そのような時だからか、そして同様に小さくて可愛い子供がいるからか、昨日書店でこの本を手に取りました。内容は予想を遥かに超えるもので、なんと多くの試練が著者に降りかかったのか、そして、それを真正面から受け止めて、考え抜いて、立ち向かわれる姿が目に浮かび、驚き、涙しました。私がとても心に残ったのは198ページから続く日記で、私も、目の前にいる子供に忙しなく対処する現実が、病院に対する自分の無力さや不安を、紛らわせてくれたと気づきました。この本を読んで、私にも少し、病気に立ち向かう気持ちが生まれた気がします。ありがとうございました」


 このハガキが届いたのは10月初旬。書いてくれたのは39歳の男性です。体調は少し上向いているのでしょうか。ご家族と穏やかな日々を送られていることを願うとともに、娘のために書いた本がこのような形で、どなたかの励みになっていることをとても嬉しく思います。

2019年12月28日土曜日

娘と夫、帰国

娘と夫が、クリスマスイブに帰国しました。娘に「何食べたい?」と聞くと、「お味噌汁と納豆巻き」と言います。「おかずは?」と聞くと、「いらない」。たとえ、洋食が大好きな娘でも、アメリカで1週間過ごすとシンプルな和食が恋しくなるのですね。

留守番組の私は、息子と2人の1週間は穏やかで楽しかったのですが、息子は「おねぇねぇ」が大好きですのでつまらかなかったよう。車で移動するとき「この車の中、おねぇねぇのおならの匂いがする」と騒いだときは、「そんなに、おねぇねぇが恋しいんだね」と大笑いしてしまいました。

さて、無事帰国した娘。たくさんの土産話を持ち帰ってくれました。娘の従妹たち(3人姉妹)と楽しく過ごしたこと、特に真ん中の従妹とはとても気が合ったこと、グランパの80歳の誕生日パーティでは娘がバイオリンを、従妹がチェロを弾き、2人でクリスマスソングを何曲もデュエットで弾いたこと、一番上の従妹とネイルサロンに行ったこと、などなど。

夫の話は、義母が杖を突いて歩いていたことや義父の誕生日パーティに来てくれた昔からの知り合いも認知症が進んでいたり、病気を患っていたりなど過ぎた年月の長さを感じさせる話が多かったように思います。夫の一番下の弟は俳優のトム・クルーズにそっくりで素敵だったのですが、お腹周りがずいぶん太くなっていたこと、夫のすぐ下の弟の嫁さんはとても可愛らしい人ですが、同様に”大きくなっていた”ことも、年月を感じさせる話でした。でも、相変わらず、皆、明るく幸せそうだったようです。やはり、そこがアメリカなんだよな、と思います。

「アメリカの家は夢のようだった」と娘。義父母の家は大きく、綺麗です。娘の従妹3人が住む、夫の弟夫婦の家もとても大きくて素敵らしく、狭い我が家に帰宅した娘は少し残念そう。「ダディが、うちのほうが叔父さんの家より高いんだぞ!と言っていたの。仕方ないよね。東京は狭いし、人が多いから…」とため息をつく娘。そんな娘の話を聞きながら、私は「少し物を捨てて、すっきりすれば、素敵な家だと思ってくれるかも」とこれまで何度も挫折した(というか、取り組んでいない)”断捨離”を再び決意したのでした。

さて、シンプルな夕ご飯のおかずに、母からおすそ分けしてもらったシシャモを付けることにしました。シシャモの名産地、むかわ町に住む母の姉から母に送られてきたものです。


娘がシシャモをつまんで眺めながら、懐かしそうに話します。
「ばあち(私の母のこと)が、シシャモは頭から食べると頭が良くなって、足から食べると足が速くなるって教えてくれたの。私、頭も良くなりたいし、足も速くなりたかったから、真剣にどっちから食べようか迷ったよなぁ」
「今日はどっちから食べる?」
「うーん、悩むなぁ。やっぱり、頭からかな?」と言いながら、頭からシシャモをがぶり。

娘が帰ってきてくれて、何よりも嬉しいのはこのような面白い会話ができることです。私は、ほんわかとした幸せを感じながら、久しぶりの娘との会話を楽しんだのでした。

2019年12月19日木曜日

夫と娘、シカゴへ

一昨日の12月17日、娘と夫が義父の80歳の誕生日を祝うため、シカゴに旅立ちました。留守番の私は成田エクスプレスの乗車駅まで2人を車で送り、「気を付けてね。楽しんできて」とそれぞれをギュッとハグして送り出しました。こちらに向かって何度も手を振る2人を見ながら、4年前のことを思い出しました。息子と夫を義父母の結婚50年を祝うパーティが開かれるフロリダに送りだしたときのことです。このときのことは、「息子の自立」と題して、このブログ「アラフィフィママの育児日記」に書いています。

https://ar50-mom.blogspot.com/2015/11/blog-post_28.html

ブログは、これを書いた4日前に始めたばかりでした。がんや自己免疫疾患などで体調の悪い日々が10年近く続いた後にようやく、外に向かって歩き出したその一歩がブログ開設だったのです。

家事もままならない日々が多く、厭世的な気分に陥ることも少なくなかった当時。治療による外見の変化や体調不良もあり、人とつながることや外で活動することが億劫で不安だったのですが、ブログをきっかけに一歩一歩前に進んできたように思います。

そのときのブログを読み返すと、私の家族も変わったなぁと感慨深い。小さかった娘は身長179㌢と、見上げるような背の高さに。息子は小学生になり、水泳やかけっこが得意な男の子に育っています。ここだけの話ですが、クマのぬいぐるみと寝ることだけは変わりませんが…。札幌の母は、我が家から自転車で数分の賃貸マンションに引っ越してきました。夫は今年40代最後の年となり、老眼鏡が手放せなくなり、「定年後は…」などと老後の話もするようになりました。

その中で一番変わったのは私かもしれません。がん発病前のパワフルな私に戻ることはありませんが、新しいことに挑戦することが好きな、元気な私に戻ったような気がします。以前、明るく活発だった男性が重い障害を負ってしまい、いっときは落ち込んだものの紆余曲折を経て、前向きさと明るさを取り戻したという本を読んだことがあります。タイトルも内容も忘れましたが、一つだけ覚えているのが、明るさを取り戻した彼が語った言葉です。「元の自分に戻るのが、一番簡単だったんだ」。

私もその男性の言葉に同感です。失ったものが大きければ大きいほど元の自分に戻るのは容易ではなく、取り戻せない場合もあるけれど、心のあり様は戻れる。いや、戻ったほうが落ち着くとでもいいましょうか。

さて、あれこれと挑戦し忙しくしている私ですが、こんな私を見ている娘が言いました。
「私はママみたいに頑張るのは嫌。頑張らない生き方がしたい。ママぐらいの年齢になったら、のんびりしていたい」

自分が自分らしくいることと、その自分らしい自分を人はどう見ているのかは、また別の話なんですね。