2019年1月18日金曜日

Dear Daddy

冬休みが終わり、夫と娘は午前6時50分ごろ一緒に家を出て、息子は8時ごろ家を出るという日常生活が戻ってきました。いつものように夫と娘を玄関前の道路で見えなくなるまで見送り、郵便受けの新聞を取り出し、家に戻るとダイニングテーブルに小さなピンクの封筒が置かれていることに気が付きました。

娘が友達からもらった手紙かな、と思い手に取ってみると、宛名は「Dear Daddy」。封筒の後ろには、娘の名前が書いてあります。封筒は折り紙で作った手作り。封は開けてあります。夫が読んで、そのままテーブルの上に置き忘れたのでしょうか。

「せっかく娘がくれたといいうのに。私なら大事にしまっておくけど・・・」と思いながら、中をのぞいてみると、小さな手紙が入っていました。何のためらいもなく、読んでみると・・・。

「ダディへ。
これはダディがこれまで私にしてくれたすべてのことに対する、感謝の手紙です。
ダディは私を愛し、助け、教え、一緒に笑い、一緒に食べ、一緒に歩いてくれました。
私にたくさんの時間を使ってくれてありがとう。
明日何が起こるか分からないから、今日の貴重な時間を一緒に過ごそう。
愛しているよ、ダディ」

とても素敵な手紙でした。目頭が熱くなりました。

前夜、夫は、翌日に控えた娘の数学のテスト勉強を手伝っていました。前回、ひどい点数を取ってしまった娘のことを心配したのです。中2の数学ですので、結構難しい。夫の表情は真剣でした。

勉強が終わった後は、娘と一緒に最寄りの警察署に行き、その日に娘が不注意で落としてしまった携帯電話の紛失届けを出しに行きました。私はベッドの中で息子に絵本を読み聞かせている間に寝てしまいましたので、2人の帰宅時間はわかりませんが、おそらく10時を過ぎていたと思います。

精一杯自分をサポートするダディの気持ちが嬉しかったのでしょう。その小さな手紙には14歳の娘のダディへの感謝の気持ちが素直に表現されていました。

こんな風に、子どもたちとの関わりを大切にする夫を見ていると思い出されるのが、夫の父親のことです。

大学時代に付き合いを始めた私たちは、遠距離の付き合いを経て、30代で結婚をしました。結婚の決め手は、義父の人柄でした。義父は、常に家族を優先する人で、その姿を見て育った夫は家族を大切にする人になるだろうと考えたからです。

義父の職業は弁護士でした。義母によりますと、義父は結婚したばかりのとき義母にこう聞いたそうです。
「お金はたくさん稼ぐけど、あまり家にいない夫か、生活するのに足りるぐらいのお金しか稼がないけど、家族と一緒にいる夫のどちらが良いか」と。
義父は職業柄、将来的にどちらも出来る自信があったのでしょう。義母は迷わず、後者を選んだと言い、「それで幸せだった。お金をたくさん稼いでも、家族といられない夫と暮らしても幸せじゃないわ」と振り返っていました。

夫は4人兄弟の次男です。男子4人を大学まで卒業させるのは経済的にも大変だったのでしょう。義母は夫が小学校に上がったぐらいから看護師として再び働き始めました。

義父が朝出勤し、義母が夕ご飯の支度をして午後3時ごろ職場に出勤する。義父が夕方帰宅をして、義母が作った食事を一緒に子どもたちと一緒に食べ、子どもたちを寝かし付けたそうです。そして、義母が夜11時ごろに帰宅するー。そんな生活だったようです。

私が大学時代、義父母の家に遊びに行ったとき、夜遅く帰宅した義母と義父がウイスキーの水割りが入ったグラスを手に持って、庭のデッキに座って語り合っているのをよく見かけました。その2人の後姿を見て、微笑ましく思うとともに、夫はきっと義父のような夫そして父親になるだろうと想像しました。義父に育てられた息子だったら結婚しても大丈夫だろう、と思えたのです。私はそれほど、結婚に懐疑的でした。

親が反面教師となり、親とは違う生き方、職業、結婚を目指す人もたくさんいますが、夫の場合、両親が目標になったのでしょう。家族を最優先する夫の姿勢は、義父のそれに良く似ています。

夫宛ての娘の小さな手紙を見ながら、夫は将来、娘の結婚式のとき、泣きながらバージンロードを娘と一緒に歩き、娘を娘の夫に託すのだろうな、と想像しました。

夫が読んでそのままテーブルに置いていった手紙。それをなくさないように、夫の洋服ダンスの上に目立つように置きました。翌朝、その手紙はなくなっていました。

2019年1月8日火曜日

お正月に映画を観て、考えたこと

「ママ、一緒に映画を観よう」
元旦、娘がそう声を掛けてくれました。大みそかに息子にせがまれて娘と3人でレンタルショップTSUTAYAに行き、借りた5本のうちの1本です。娘によると、「トム伯父さん(夫の弟)からもらって、2度読み返した本が映画になったんだよ。とっても良いお話なの」。中2の娘が原作を2度読み返したというのです。観ないわけにはいきません。

娘は夫にも呼び掛けましたが、その話の概要を知っている夫は「お正月から悲しい映画は観たくない」と言います。小1の息子が理解できる内容ではなさそうなので、娘と2人で観ることにしました。

映画のタイトルは「ワンダー 君は太陽」。2017年のアメリカ映画で、原作は2012年に発売された「WONDER」です。先天的な病気で顔が変形している男の子オーガスト(オギー)の物語です。

オギーはずっとお母さんと一緒に家で勉強をしていましたが、中学校に入学するのを機にお母さんの強い勧めで学校に通い始めます。先生たちは快くオギーを受け入れましたが、クラスメートは違います。興味津々にオギーを見たり、「どうして、そんな顔になったの?」と直接聞いてくる子もいます。

家族に愛されて育ったオギーは、いじめに遭い塞ぎ込むこともありますが、逆境にもめげず、少しずつ友だちを作り、学校生活に適応していきます。映画はオギーの立場から語られるだけでなく、オギーの友達、オギーのお姉さん、お姉さんの親友の女の子の視点でも語られます。皆、オギーの大変さは十分にわかっていて、オギーを精一杯支えています。でも、それぞれに悩みや葛藤を抱えながら生きています。

映画を観ている最中、娘がこんなことを言いました。
「オギーはママみたいなの。ママは若くして病気になってしまって、ずっと体調が悪かったでしょ。普通だったら綺麗で元気に過ごせる30代40代を、ずっと具合が悪くて、治療の副作用で外見も変わって残念だったって言っていたでしょ。確かにママは大変だったけど、皆、いろいろとあるんだよ、きっと。綺麗で素敵で幸せそうな●●ちゃんのママだって、●●君のママだって」

娘は私が以前、ぼそっと娘にこぼしたことをしっかりと覚えていたのです。困難が降りかかったとき、前向きに明るく生き続けることは簡単ではない。でも、大変なのは自分だけではないという視点を持ち続けることの大切さを、映画を通して娘が教えてくれました。

さて、2日に観たのは「アリスのままで」です。若年性アルツハイマーを患った50歳の女性の物語です。これは息子がDVDを借りたときに一緒に3回借りて、結局は時間がなく観なかった映画です。「今度こそは観るぞ」と気合を入れて再び借りました。夫を誘いましたが、「気持ちが塞ぐので、観たくない」とのこと。一人で観ることにしました。

大学で言語学を教える知的なアリスは突然記憶が抜け落ちたり、自分のいる場所がわからなくなったりし、病院に行って検査をして若年性アルツハイマーの診断を受けます。症状はどんどんと進み、アリスは仕事も、そして自分自身も失っていきます。

映画では、アリスの病気の進行と家族の葛藤を淡々と映し出していきます。「ワンダー」のようなハッピーエンドではなく、心に切なさが残る映画でした。そして、「ワンダー」同様、本人の立場だったら、本人の家族の立場だったら、友人の立場だったら自分はどうするかーと深く考えさせられる映画でした。

印象的だったのは、診断を受けた後アリスが涙ながらに夫に訴えるシーンです。
「がんだったら、良かった。がんだったら、恥ずかしくない。ピンクのリボンをつけて(乳がんの知識を広める啓発運動のシンボル)、街頭に立って活動もできる!」

アリスの言うことは当たっていると思いました。死が近付いてくる恐怖より、記憶がなくなっていく恐怖のほうがずっと恐ろしい。この恐ろしさは、当人でしか分からないものでしょう。そしてその恐怖を乗り越えていく方法も現実を受け止める心構えも、他人が助言できるものではなく、当人が病気と向き合い試行錯誤を繰り返していく中で見付けていくものなのでしょう。

期せずして、お正月に観た2本の映画で自分自身の境遇を客観的に捉えることが出来ました。今年は、この視点を忘れずに暮らそうと決意したのでした。