2017年9月24日日曜日

娘の良いところ

 「一緒にお風呂に入ろう」
 休日の朝、息子を誘いました。母親からすっかり”自立”してしまった6歳(幼稚園年長)の息子は「ダディと入る」と言い、来てくれません。
 「そうかぁ、ママ寂しいなぁ」とつぶやきながらお風呂場へ。すると、中1の娘が息子に言い聞かせる声が聞こえました。

 「せっかく、ママが誘ってくれたんだから、一緒に入ったら?」
 「僕、今日はダディと入るんだ」
 と言い張る息子の声が聞こえます。

 「ああ、もう一緒に寝ることも、お風呂に入ることも、なかなか出来なくなるんだなぁ」
 じわじわと寂しさが込み上げてきました。湯船につかって、6年間の息子との楽しい日々を振り返ると、涙がこぼれました。すると、突然、お風呂場のドアが開き、娘が入ってきたのです。

 「ママ、一緒にお風呂入ろう!」
 いつものように、元気一杯です。私は、息子がお友達に「一緒にあ・そ・ぼ!」と誘われたときに使う「い・い・よ!」で、娘の誘いに答えます。

 体を洗った娘が、バスタブに入ってきます。大人と大人サイズの子供が入るには、バスタブは狭過ぎましたが、何とか収まりました。「泣いていることを感付かれたらどうしよう」と思った矢先、娘がこう聞きました。

 「ママ、泣いているの?」

 私は正直に答えました。
 「うん、子供がすっかり大きくなってしまって、ママと一緒にお風呂に入りたがらなくなって寂しいなと思ったの」。すると、娘がにこりと笑って言いました。
 
 「いいじゃん、上の子がママと一緒にお風呂に入りたがっているんだから」

 その言葉を聞いて、私は反省しました。なぜ、「一緒にお風呂に入ろう」と娘に声を掛けなかったのか、と。すっかり大きくなってしまった娘をお風呂に誘うことは、しなくなっていました。娘はもしかしたら、そう声を掛けてほしかったのかもしれません。

 でも、娘は自分には声を掛けてくれなくても、すねることなく、母親の気持ちに寄り添おうとしてくれました。息子に断られた私を、可哀そうだと思ってくれたのかもしれません。娘には、そんな優しさがあります。そして、私はいつも、後からそのことに気付くのです。

 午後、夫と息子と一緒に散歩に出かけた娘は、私に野花を摘んできてくれました。小さなころからよく、野花を摘んでくれたり、住宅の木々から道に落ちた花を拾ってきてくれたりしました。そんなさりげないプレゼントを、今でも時折してくれます。
人の気持ちに寄り添い、人にさりげない優しさを示すことが出来る。それが、娘の一番素敵なところです。それを大切にしようと思った一日でした。
 

 
 

2017年9月17日日曜日

「私、子供なんですけど」

 26cmのスニーカーが小さくなった中1の娘に、夫が「男女兼用」の26・5cmのスニーカーを探して買ってきてくれました。「男性用でいいんじゃない?」と言う私に対し、夫は「そんなの、可哀そうだ。探せば、女性用もあるはずだよ」と言い張り、職場にほど近いスポーツ用品店で見つけてきたのです。

 どんなに大きくなっても、娘は夫にとって、「Daddy's Little Girl(ダディの小さな娘)」なのでしょう。仕事の合間を縫って探したスニーカーは、学校帰りの娘が夫と待ち合わせて試着。色も履き心地も丁度良かったらしく、娘は大層喜んで夫と帰宅しました。

 さて、小さくなった、26cmのスニーカー2足をどうしようかと考えた私。あまり履いていないため、まだまだ、新しい。捨てるのは忍びないので、横浜そごうの子供靴売り場に持っていくことにしました。そごう・西武では、不用な子供靴を引き取り、ザンビアの子供たちに送っているのです。靴1足につき、500円のクーポン券を配布しています。このクーポン券は次回、子供用品売り場で5000円以上の商品を購入する場合に利用できるのです。5000円以上の買い物はあまりしないので、クーポン券を使うことはほとんどありませんが、これまで何度も娘と息子の靴を持っていきました。自分の子供たちの靴が、役に立っていると思うと嬉しいのです。

 しかし、今回はこれまでのように、すんなりと持っていくことは出来ませんでした。26cmの靴を子供靴として引き取ってくれるかどうか、分からなかったからです。私は「ザンビアなら、26cmの靴を履く子供がいるはず」と想像しました。一応、売り場に電話をして確認しました。売り場の店員さんは「そうですか、26cmですか。お子さんが履いているのですよね?」と念を押しました。その子供靴売り場では、25・5cmの娘の革靴を買ったことがあります。私は遠慮がちに「ええ、足は大きいですけど、子供が履いているんです」と答えました。店員さんは明るく、「大丈夫です」と答えてくれました。

 26cmのスニーカー2足と、息子の19センチのスニーカー1足を持って、娘が「お使い」として横浜そごうに行きました。帰宅後、娘は靴を渡すときの一部始終を楽しそうに話してくれました。

 子供靴売り場の靴引き取りコーナーで、娘が袋から靴を出した途端、店員さんは「取り扱うのは、子供靴なんです」と言ったそうです。そこで娘はすかさず真顔でこう答えたといいます。

 「私、子供なんですけど・・・」

 娘はいつまでも子供でいたい、と願っている子です。自分は子供なんだ、と主張する身長165cm超・足26・5cmの女子に、「あなたの靴は子供靴ではないです」と言えるほど、度胸のある店員さんはいないでしょう。その店員さんは、カウンター越しに娘の足元をのぞき込み、「そうですか」と答え、3足を引き取ってくれたそうです。そして、500円クーポンも3枚くれたそうです。

 娘は「かんしゃじょう」をもらってきました。「ありがとう。みんながくれたくつで学校に行けるよ」というメッセージと、ザンビアの子供たちが靴を履いて楽しそうにサッカーをしている写真が載っているものです。私はこれまでもらったことがないので、店員さんもきっと娘に対して好感を持ってくれたのでしょう。


 私と娘は、この感謝状を見ながら、ザンビアの子供たちがスニーカーを履いて学校に行ったり遊んだりする様子を想像し、とても幸せな気分になりました。そして私は、娘を子供として扱ってくれた、横浜そごうの子供靴売り場の店員さんに、心の中でお礼を言ったのでした。

 

2017年9月11日月曜日

母の麦わら帽子

  朝、子供たちと夫を送り出し、洗濯をしようと娘の部屋に丸まっている服やタオルを取りに行ったとき、ベッド横のフックにかかっている麦わら帽子が目に留まりました。朝晩に秋の気配を感じるようになった今日このごろ、「今年の夏も終わってしまったのだな」と、娘中1、息子幼稚園年長の夏休みが終わってしまったことを少し寂しく思いました。

  「そろそろ、衣替えも始めなければ」とその麦わら帽子を手に取り仕舞おうとしたとき、ふと母の麦わら帽子を思い出しました。

  今年の夏は来年傘寿(80歳)を迎える母のために、家族旅行を計画していました。行き先はオーストリアとハンガリー。膝に慢性的な痛みがあり、歩行がゆっくりな母も楽しめるような、ゆったりとした12日間の日程を組みました。が、旅行の2週間前、母から電話があり、「旅行はいけない」との知らせがあったのです。歩行が困難なほど膝が痛くなったのが理由でした。残念でしたが、旅行はキャンセルしました。

 その後、お盆に子供たちを連れて帰りました。母は、前回帰省した春よりもずっと歩行がゆっくりとなり、ゴミ捨てや買い物も休み休みとなっていました。昨年の夏と比べると、出来ないことも増えていました。今年は、毎年お弁当を持って行く公園へも、大通りビアガーデンへも、一緒に行きませんでした。「3人で行っておいで」と言い、ついてきませんでした。

  しかし、母はいつものように私たちを楽しませようと、盛りだくさんの計画を立ててくれていました。劇団四季の「ライオンキング」のチケット(北海道四季劇場で上演)をプレゼントしてくれました。毎年恒例の、温泉が併設された大型プールや、定山渓温泉にも連れて行ってくれました。昨年と変わったのは、母ではなく、私が運転したということです。

  定山渓温泉に行くとき、母は新しい麦わら帽子をかぶりました。横に黒いサングラスの飾りがついた素敵な麦わら帽子でした。


「これね、旅行に行く前に買ったの。素敵でしょ」。おしゃれな母がオーストリア旅行を楽しみにしていたことが、伝わってきました。切なくなりました。

 「残念だったけど、仕方ないね。こうやって、少しずつ少しずつ、出来ないことが増えるんだから」と母はため息をつきました。でも、気持ちを奮い立たせるように、「国内旅行だったら行けるかもしれない。それを楽しみに生きよう」と話します。母はどんなに辛いことがあっても、良い面を見つけ、希望を持ち、前向きに生きてきたのです。

私も元気に、「いいねぇ、お母さん。京都や北陸に行きたいと言っていたもんね。また、計画立てようね」と答えました。

  ホテルで、母と私、子供たちでゆったりと温泉につかった後、部屋に戻りました。途中、「●●様 傘寿お祝いの会」という札が部屋の入り口の横にかかっているのが目に留まりました。女性の名前でした。子供たちや孫たちが集まり、おばあちゃんを囲んで和やかに食事をし、歓談している様子が目に浮かびました。「海外旅行なんて無理をせず、こういう負担の少ないお祝いを計画すれば良かった」と後悔しました。

  長く膝の痛みに耐えてきた母には今回、手術を勧めました。「子供たちが小さいから私が札幌に介護に来るのは難しいけど、お母さんに東京に来てもらって、東京の病院で手術してもらうと私もお世話が出来るよ。札幌には北大病院とか良い病院があるけど、東京も良い病院がたくさんあるんだよ」と説得しました。が、母は今のところ「痛いのをだましだまし、暮らしていたほうが良い」といいます。

 雪の多い冬の札幌での暮らしは大変ですので、「せめて冬だけでも、東京に来ない?」とも聞いてみました。私たちの家は手狭で母の部屋を用意することは出来ず、娘の部屋に2段ベッドを入れて、母が東京に来るときはその下のベッドに寝てもらっています。窮屈ではありますが、可愛がっている孫娘とおしゃべりしながら眠りにつくのは、母の楽しみの一つになっています。

 母は 「ありがとう。でも、家を空けるのはねぇ。ここは私のお城だからねぇ。まずは、雪かきをしてくれる人を探してみる」と首を縦に振りません。

 札幌にはこれから、気持ちの良い秋がやって来て、そして、その後に厳しい冬がやってきます。母には何とかこの冬を乗り切ってもらいたい。そして来年、暖かくなったら、箱根か伊豆の温泉旅行に連れていこう、と思っています。