2017年6月27日火曜日

母の日のクッキー

 今年の父の日(6月18日)には、ウエストラインが気になり出した夫に、近所のスポーツクラブの会員権を贈りました。たまたま手数料や会費が割引になるキャンペーン中だったため、お手頃価格で8月分までの会費を支払えました。「気に入ったら、9月分からは自分で払ってね」と期間限定のプレゼントでしたが、夫は大層喜びました。子供たちからは素敵な絵が贈られ、良い父の日になったと思います。

 父の日が終わって落ち着き、私は冷蔵庫に大切に入れてあった「母の日」のプレゼントをもうそろそろ食べようと決断しました。息子が幼稚園で作ってくれた、私の顔の形をしたクッキーです。母の日の週の金曜日(5月19日)にプレゼントしてもらい、食べるのがもったいなくて1カ月間も冷蔵庫に入れていたのです。取り出して眺めてはまた仕舞うーを繰り返していましたが、「賞味期限が過ぎてしまうのでは」と気になり始めていました。

 息子の通う幼稚園では毎年、母の日の行事が行われます。円状に並べられた可愛らしい椅子に座った園児の後ろに、それぞれの母親が立ちます。園児たちは子供讃美歌「おかあさんだいすき」を歌ってくれ、手作りのプレゼントをくれるのです。毎年、プレゼントの内容は違い、幼稚園最後の今年はクッキーでした。目をつむって“サプライズ”でプレゼントをもらった母親たちは皆、子供を抱き締め礼を言い、隣の母親らとそれぞれのクッキーを見せ合い、幸せなひとときを過ごしました。

 その幸せな気持ちのまま息子を自転車の後ろに乗せて帰宅し、クッキーを冷蔵庫に入れたとき、私はふと7年前の母の日のことを思い出しました。娘が幼稚園年長組だったときのことです。そのとき私は入院中で、私の母が病院に「これ、母の日のプレゼントだよ」と娘が作ってくれたクッキーを持ってきてくれたのです。そのときももったいなくて、クッキーをしばらくベッド横の冷蔵庫に入れておき、毎日取り出しては眺め、娘を想っていました。

 息子にクッキーをもらったことで、そのときの記憶が蘇りました。私はがんの再々発の後、患っていた自己免疫疾患の薬を減量中に別の自己免疫疾患を発病して緊急入院という状態で、病気との闘いに疲れ切っていました。そのような中、娘の手作りのクッキーは私の心の癒しとなってくれました。ですが、娘がそのプレゼントを誰にどういう状態で渡したのかということに、思いが至りませんでした。当時は先の見えない治療で不安も多く、病気の連鎖の中「私はもう長くないのではないか」という予感もあり、娘に何を残せるのかを考えるのに必死でした。ですので、娘の世話については娘を溺愛する夫と私の両親がいるから大丈夫だという気持ちだったのです。

 私は息子からもらったクッキーを眺めながら、胸が詰まった気持ちになりました。娘は一人ポツンと、母親が後ろにいない状態で、この園で歌い継がれている「おかあさんだいすき」を歌ったのでしょうか? そのクッキーを手に持ち、皆が後ろを振り返り母親にプレゼントをしたとき、一人もじもじとしていたのでしょうか? 手伝いに来てくれていた私の母親が後ろに立ってくれたのでしょうか? それとも、幼稚園の先生が立ってくれたのでしょうか? いずれにしても、寂しい思いをしたに違いありません。

 先日、子供たちの習い事の送迎やPTA活動で忙しく少々疲れ気味だと娘に話したとき、娘はこう言いました。

「ママ、そういう風に元気にしていられて幸せだと思うようにしたほうが良いよ。私が幼稚園生のときはママ、ベッドやソファに寝てばっかりで、公園にも連れていってもらえなかったんだから。私はソファに寝ているママの横で絵ばっかり描いていたんだよ。まあ、だから絵が得意になったんだけど」

 そんな大人びた言葉を言うようになった娘に感心しつつも、娘が過ごしただろう幾日もの寂しい日々を申し訳なく思い、現在こうして元気に過ごせることに感謝しなければと気持ちを引き締めたのでした。

 娘に、あのときの母の日のクッキーは誰に渡したのか、聞いてみました。娘は、「覚えていないよ。幼稚園のときの記憶はほとんどない。悲しいことも楽しいことも覚えていないの。覚えているのは悔しい思いをした2つの出来事だけ。私は悪くないのに先生に叱られたことと、お友達にいじわるなことを言われて泣いたこと」とあっさり。過去を振り返り、切なく思うのは大人だけなのでしょうか? それとも辛くて悲しいことは忘れてしまうという防御反応が娘の脳に働いたのでしょうか?

 息子からもらったクッキーは、ほんのりと甘く、素朴で優しい味がしました。記憶の中にある、病院のベッドで一口一口味わうようにして食べた、娘からもらったクッキーと同じ味でした。



 

2017年6月18日日曜日

世界中が見えた?

  普段より帰りが遅いため心配し始めたころ、娘から電話が来ました。
「ママ、これから帰るから」
「遅いから心配し始めていたよ。今、どこ?」
「学校」。娘は即答します。

 携帯電話を通して娘の声の背後に聞こえるのは、街のざわつきでも、友人の家の静けさでもありません。大きな建物の中での人の行き来や作業、会話が作り出す雑然とした物音です。娘は嘘をついていないでしょう。

「学校? もう5時半よ。3時半に授業が終わってから今まで何していたの?」
「友達と遊んでいたの」
「学校で? とにかく、遅くなるから帰ってらっしゃい」
「うん」

 ほどなく夫からメールが来ました。早めに仕事が終わったので、娘と連絡を取り、一緒に帰ってくるといいます。私はほっとして、夕ご飯の支度に戻りました。娘の電話から約1時間後、「そろそろ、家に着くころかしら?」と思っていたころ、玄関から夫が娘を厳しく叱る声が聞こえました。何事かと、玄関に。ドアを開けた夫が開口一番、言いました。

「放課後、学校の屋根に上ったというんだ。先生に見つかって叱られたらしい。今日は午前中雨だったんだ。屋根が濡れていて、もし足を滑らせて落ちていたら、今ごろ病院だよ。本当に信じられないことをする」

 夫はかんかんに怒っています。続いて玄関に現れた娘は大泣きして、私の体に覆いかぶさるようにして抱き付き、言います。
「ごめんなさい。ママ。もう、絶対、屋根には上りません」

 中1の娘が、学校の屋根に上って先生に叱られたー。私は、胸をなでおろしました。先生方に迷惑をかけて不謹慎ですが、娘の帰りが遅くなった理由が子供らしかったからです。

 身長165cmで長い手足を持つ娘は、外見は高校生に見えます。椅子に座り、足を組み、長い髪をかき上げる後ろ姿は、親の私がドキリとするほど大人びています。少女から女性に成長しつつある娘を持つ親なら誰もが心配することを、私も心配し始めています。そんな心配が吹き飛ぶような、娘が取った子供らしい行動に、私は愛おしさを感じずにはいられませんでした。

 そんな私の心の動きが見えない夫は、娘への叱責を続けます。
「もう、絶対に屋根に上っては駄目だ。いいかい? 本当に、まかり間違えば、致命的な怪我になったかもしれないんだよ」。感心するほど、子供たちの安全を気遣う夫の言うことは、もっとも。だから、私は泣きじゃくりながら私に抱き付く娘の耳元でこっそりと聞いてみました。

「で、楽しかったの?」

 娘は私から体を離し、驚いた顔で私を見ました。そして、涙の滲んだキラキラとした目で説明してくれました。

「うん。楽しかったよ。屋根から見える景色は、すごくきれいだった。横浜の海も見えたんだよ。世界中が見える感じがした」

「そうなの。それは良かったね。でも、危ないからもう屋根には上っては駄目よ」
「うん」。娘は泣くのを止めました。

 後日、学校に行き、娘が上ったという建物を見上げました。幼稚園児が学ぶ校舎で、三角屋根が可愛らしい三階建ての建物です。屋上の一部が遊び場になっており、建物の外壁に地面から屋上に続く階段が付いています。娘によると、この階段を上って遊び場に入り、そこから続く屋根に上ったといいます。同じくお転婆な友人と一緒でした。

 屋根とそこから広がる空を見上げながら、私はわくわくしました。今でしか出来ないことを、娘はしたのです。友人と屋根の上に座って眺めた風景を、娘はきっと忘れないでしょう。そんな素朴で素敵な思い出を作れた娘を、頼もしく誇らしく思ったのでした。


2017年6月6日火曜日

ついにこの日が・・・

「ねえ、背伸びしているの?」
朝、洗面台の鏡に向かって娘と並んで歯を磨いているときに聞きました。娘の顔が、私の顔よりずっと上に映っていたからです。
「してないよ」と娘。「本当?」と疑いながら娘の足元を見ると、かかとがしっかりとフロアについています。

 私は鏡をまじまじと見ました。小顔で首がすっきりと長い娘に比べ、横に立つ私はずんぐりむっくりとした体から伸びる短い首に大きな顔がくっついていて、それはバランスが悪い。「まあ、いいか。バランスが悪いまま52年も生きてきたんだから」と、鏡に向かって”諦め顔”を作ります。

 「背測ってみる?」。鏡の中の娘に聞いてみました。「うん!」と娘が元気に答えました。リビングの壁に娘を立たせて、巻き尺を伸ばして測ってみると、なんと165cm。私よりも5cmも高い。どうりで、背伸びをしているように見えるはずです。

 「ついにこの日が・・・」と、娘の背が私を追い越したことに気が付いたのは半年前。それも、今回のように、洗面台の鏡に向かって歯を磨いているときでした。それからあれよあれよという間に差が広がりました。夫は身長195cmですので、体形が夫に似ている娘の背はもう少し伸びるでしょう。本人は「180cmぐらいにまで伸びればいいな」と希望しているようですので、どうせならそこまで伸びるのを期待したいところです。

 背が伸びるのに伴い、足もサイズも大きくなっています。今は26cm。もちろん、日本では中1の女子が履くような、シンプルでフラットな靴は探せませんので、アメリカに住む義母に送ってもらっています。「もうそろそろ、止まってくれれば良いのだけれど・・・」と、送ってもらったばかりの新しい靴が小さくなるたびに、ため息が出ます。娘の足のサイズが、私のサイズ(24cm)より大きくなったのは、娘が小学校4年生のとき。あのときは感慨深いものがありましたが、娘に越されていくのも、慣れてきました。

 先日、娘の学校のママ友達に、娘の身長の話をすると、逆の話をしてきました。その人は白人のアメリカ人。背も高い。彼女が言いました。「中3の息子の身長が、まだ私より低いのよ。もう少し伸びてくれれば良いのだけれど」と少し困った顔で言いました。彼女の夫は小柄なアジア人。アジア人の血を引くと、たとえ片方の親が大きくても、背が小さくなるケースもあるのでしょう。

 さて、子供の成長が早い時期は、いろいろなものが間に合わずに、困ることがあります。今年の2月、娘が学校のスキー旅行に行ったときです。昨年のスキー旅行のときに準備した、ユニクロの厚手の女性用ソックスが「小さくて、かがとがきちんと入らないの」と言います。前日の準備でもう時間がない。窮余の策で思い付いたのが、夫の靴下です。夫のクローゼットの引き出しを開け、何回か洗って縮んだ靴下を引っ張りだしました。

 夫の靴下を娘に履かせるー。そのときも「ついにこの日が・・・」と苦笑しました。もちろん、”お年頃”の娘にはその事実は言いません。何せ、夫の靴サイズは31cmなのですから。

 「ママの靴下、大きくて履いてなかったの。これはどう?」
 嘘も方便です。履いてみた娘は「ちょうど良いよ、ママ。ありがとう」と嬉しそうな表情でスキー旅行の荷物詰めを続けました。

 乙女心を傷付けずに、乙女サイズをすっかり越してしまった娘に、無難に対処する。「母親の手腕は、こんなところでも問われるのだわ」と私は心の中で胸を張ったのでした。