2016年7月27日水曜日

落ち込んでいました

 気持ちの落ち込みが続き、ブログを更新できませんでした。
ようやく、今朝、気持ちを切り替えることが出来、ブログを開きました。

 集英社の開高健ノンフィクション賞に応募し、最終候補3作に残りました。受賞には至りませんでした。受賞作は概要を読んだだけでも、すばらしい作品で、作者は私と同年代の女性。心からその方の受賞と、健闘を称えたいと思います。

 私が落ち込んでいたのは、受賞が出来なかったからではありません。
 今回は139作の応募があり、最終選考に残ったのは私を含め3人。最終的には受賞作と私の作品に絞られました。が、最終候補作に残るまでの編集者らの”下読み”の段階での批評、そして、最終候補作に残った段階での選考委員の私の作品への批評の厳しさに、落ち込んでいたのです。

 私の作品は闘病記です。ですので、書いているのは自分の生き方。病気への立ち向かい方。病気を抱えた中での人生への取り組み方です。客観性に欠けていることなど、視点や書き方の欠点は多く指摘され、それらについては真摯に受け止めました。が、堪えたのは、私自身や私の生き方への批判でした。

 作品と自分自身が一体化している場合、これほど、否定的な批評が堪えるのか、と実感しました。もし、何かを取材して作品にし、それを批判された場合は、反省したり、もしくは「私にとっては、これは全力で書いたものだ」と考え、「次を頑張ろう」と思えるのだろうと想像します。以前、新聞記者をしていたときに、記事への批判があったときがそうでした。批判は多くの場合、自分の成長につながります。

 が、自分自身を書いた作品を否定された場合は、「これを良い経験にしよう」と前向きに立ち上がるのは容易ではない。でも、このような結果を導いた原因は私です。たとえ、「私の体験がどなたかのお役に立てば」という思いであっても、自分の闘病記を書き、それを世に問わなければ、こんなことにはならなかった。自業自得です。

 昨日、障害者施設で19人が殺されるという凄惨な事件がありました。その事件を、テレビのニュース番組や新聞で追いながら、命を絶たれてしまった方々の無念、ご家族の怒りと悲しみはいかばかりかと胸が痛みました。

 刃物を突き立てられた被害者の方々の恐怖と苦痛。それを思うと、自分の生き方への批判に、心を刃物で切り刻まれたような痛みを感じていた自分が、恥ずかしくなりました。

 亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈りします。

 

 



 


 

 
 

 

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