2016年7月31日日曜日

「ニュースの真相」上映会へ

 米テレビ局のスクープ報道とその顛末を描いた「ニュースの真相」の特別上映会に行ってきました。映画上映後は、ジャーナリストらによるトークセッションが行われ、久しぶりに刺激を受けてきました。

 映画は、ジョージ・W・ブッシュ米元大統領の在任中に報道された軍歴詐称疑惑に関するスクープが、メディア全体を揺るがし、最終的には取材記者の解雇や番組の名物アンカーマンの解任まで至った経緯を描いたものです。

 見に行こうと思い立ったのは、上映日の朝でした。トークセッションに出演予定の映画監督・森達也さんが、開高健ノンフィクション賞の選考委員で、最終候補作に残った私の作品を評価してくれたため、どのような方か知りたいと思ったためです。

 朝、夫に早めに帰宅してくれるよう頼み、子供たちの好物の夕食を準備。夫の帰宅後、自転車で最寄り駅へ。電車に乗って向かった会場は渋谷の映画館。夜の渋谷は、若者たちでごった返し、熱気があふれていました。たくさんの若者とすれ違いながら歩いていると、この1カ月間、自分の心を覆っていた、うつうつとした気分が少しずつ晴れていきました。渋谷の雑踏は、いつも、「私の抱えているものなど、小さなものだ」と思わせてくれます。

 スマホの地図とにらめっこしながら、やっと映画館に着いたときは、すでに8時。映画も後半に入っていました。が、30分ほどは見られ、トークセッションにも間に合いました

 トークセッションに参加していたのは、森達也さんの他、TBS「報道特集」キャスターの金平茂紀さん、フリーのジャーナリストで元毎日新聞記者の佐々木俊尚さん、ジャーナリストで元NHKアナウンサーの堀潤さん。
 
 彼らは独自の視点で映画を解説。日本のメディア界でも組織を守ろうとする上層部からの取材記者への圧力はあるとし、具体例を挙げながら話してくれました。取材現場でのエピソードも披露され、私は、新聞記者をしていた過去の自分を懐かしく振り返りながら、家事・育児にどっぷりと浸かっているたために、すっかり忘れてしまっていた感覚を少し取り戻した気分になりました。

 森達也さんは朴訥とした人で、肩に力の入らない、でも反骨精神がにじみ出るような方でした。とても、魅力的な印象の人でした。

 トークセッションが終わったのは10時近くでした。こうやって、気軽に外出するほど健康になったこと、そして、子供の世話をしてくれる夫がいることに感謝しながら、帰路につきました。帰りは自転車を止めてあった駅前にある居酒屋で、持ち帰りの「若鳥の唐揚げ」を買い、帰宅後ワインをチビチビ飲みながら、パクパク食べ、楽しかったひと時を振り返りました。

 やはり、たまには、外に出なくては、と感じた一日でした。

2016年7月27日水曜日

落ち込んでいました

 気持ちの落ち込みが続き、ブログを更新できませんでした。
ようやく、今朝、気持ちを切り替えることが出来、ブログを開きました。

 集英社の開高健ノンフィクション賞に応募し、最終候補3作に残りました。受賞には至りませんでした。受賞作は概要を読んだだけでも、すばらしい作品で、作者は私と同年代の女性。心からその方の受賞と、健闘を称えたいと思います。

 私が落ち込んでいたのは、受賞が出来なかったからではありません。
 今回は139作の応募があり、最終選考に残ったのは私を含め3人。最終的には受賞作と私の作品に絞られました。が、最終候補作に残るまでの編集者らの”下読み”の段階での批評、そして、最終候補作に残った段階での選考委員の私の作品への批評の厳しさに、落ち込んでいたのです。

 私の作品は闘病記です。ですので、書いているのは自分の生き方。病気への立ち向かい方。病気を抱えた中での人生への取り組み方です。客観性に欠けていることなど、視点や書き方の欠点は多く指摘され、それらについては真摯に受け止めました。が、堪えたのは、私自身や私の生き方への批判でした。

 作品と自分自身が一体化している場合、これほど、否定的な批評が堪えるのか、と実感しました。もし、何かを取材して作品にし、それを批判された場合は、反省したり、もしくは「私にとっては、これは全力で書いたものだ」と考え、「次を頑張ろう」と思えるのだろうと想像します。以前、新聞記者をしていたときに、記事への批判があったときがそうでした。批判は多くの場合、自分の成長につながります。

 が、自分自身を書いた作品を否定された場合は、「これを良い経験にしよう」と前向きに立ち上がるのは容易ではない。でも、このような結果を導いた原因は私です。たとえ、「私の体験がどなたかのお役に立てば」という思いであっても、自分の闘病記を書き、それを世に問わなければ、こんなことにはならなかった。自業自得です。

 昨日、障害者施設で19人が殺されるという凄惨な事件がありました。その事件を、テレビのニュース番組や新聞で追いながら、命を絶たれてしまった方々の無念、ご家族の怒りと悲しみはいかばかりかと胸が痛みました。

 刃物を突き立てられた被害者の方々の恐怖と苦痛。それを思うと、自分の生き方への批判に、心を刃物で切り刻まれたような痛みを感じていた自分が、恥ずかしくなりました。

 亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈りします。

 

 



 


 

 
 

 

2016年7月3日日曜日

梅の季節

 梅の季節です。スーパーの陳列棚に青梅や南高梅が並び始めると、気持ちがワクワクします。梅酒、梅シロップ、梅酢・・・。この時期に仕込むと、年間を通して楽しめる梅は家族が大好きな食材です。
 

 梅酒は炭酸水で割って、夕食時にいただくのが何よりも楽しみです。1㎏の青梅に600~800gの砂糖、1・8ℓのホワイトリカーを瓶に入れておくと約3カ月で出来ます。一瓶は、翌年の梅の季節になるずっと前になくなってしまいます。

 梅シロップは子供たちの大好物です。青梅を一旦凍らせてから同量の砂糖と一緒に瓶に入れるだけで出来ます。昨年の娘の誕生日会で、アメリカ人や中国人のお友達に炭酸水で割って「梅ジュース」として振る舞ったところ、大好評でした。気を良くした私は、今年もたくさん買い込み、洗ってヘタを取る下処理を終えてからジップロックの袋に小分けし、冷凍庫に保存しました。

 南高梅と砂糖、米酢で作る梅酢は夫の大好物。オリーブオイルと黒コショウと合わせてサラダドレッシングに。餃子のたれとして、醤油とラー油に少し加えると、とても美味しくいただけます。その他、様々なお料理に隠し味として使います。

 簡単に出来るこれらの保存食に比べ、梅干しは手間がかかり、ちょっとした加減で出来に大きな差が出ます。3年前、ちょうど梅の時期に訪れた母に教えてもらい漬けたのですが、乾燥気味であまり美味しくなく、娘と夫に不評でした。母からは毎年、しっとりとした美味しい梅干しが送られてくるので、それが先になくなり、私のはずっと冷蔵庫の棚に置かれたまま。仕方なく、刻んで生野菜やゆでた野菜にからめたりして、何とか使い切りました。それ以来すっかりやる気をなくしましたが、母からは毎年美味しい梅干しが送られてくるので、「自分で作らなくてもいいわ」と思っていたのです。

 ところが、です。今年、母から「もう、今年から梅干しは漬けないわ」といきなり宣告されたのです。肩が痛く、重石を持つことが出来なくなったのが理由です。「母の梅干しがもう食べられなくなる」ー。こんなに寂しいことはありません。 母には「これからは、睦美が漬けてね」とあっさり言われましたが、本当に動揺しました。
 
 それでなくても昨年末には、「もう、今年から送らないからね」と黒豆や紅白ナマス、ボタンエビの塩ゆでなどのおせち料理が、これも突然の宣告でなくなったばかり。 母から渡された「レシピノート」にはそれらの料理の作り方が書かれていましたが、見慣れた母の字を見て、「もう、母のおせち料理が食べられないんだ」と、ずいぶん落ち込みました。

 先日夫が、冷蔵庫から梅干しのケースを取り出してふたを開け、一粒取って、ご飯の上に乗せながら、ぽつんとつぶやきました。
 「来年から、オカアサンの梅が食べられないんだね。寂しいな。今度は僕が作ろうかな」-。
 
 「おふくろの味」は意外にも、料理好きの娘婿に引き継がれるかもしれません。