2016年5月20日金曜日

羽田空港で

 羽田空港に母を見送りに行きました。2週間の東京滞在を終え、母は新千歳空港行きの飛行機に乗り、札幌に帰りました。

 保安検査場を通った母がこちらを振り向き、手を振ってくれました。搭乗ゲートに向かう母を見えなくなるまで見送りました。空港で母に手を振るときはいつも、「これが母を見る最後になるのではないか」という不安に襲われます。遠方に住む高齢の親に会う人は多かれ少なかれ、別れ際に似たような思いを抱くのではないでしょうか。

 私は長い間、同じような思いを母にさせてきました。
 私は38歳で発病した血液がんに始まり、自己免疫疾患や心臓病など別の病気をいくつか併発し、血液がんも2度再発しました。その治療や手術のとき、また体調が悪化したときは、母はいつも父を引き連れ、私の家族を世話しに東京に来てくれました。

 私の治療や体調がひと段落して、羽田空港に向かう日。私の自宅の最寄駅や、羽田空港行きのバス停で私に手を振りながら、母は「睦美を見るのは、これで最後かもしれない」と何度も思ったといいます。私に手を振った母はいつも、「体を大切にするんだよ」と笑っていました。が、その話をするときの母の顔はいつもゆがみ、目からはとめどなく涙が流れます。

 それほど、私の体調は悪かった。そして、私は当時、札幌からわざわざ手伝いに来てくれた両親を羽田空港まで送る体力すらなかったのです。

 そんな両親の思いなどそっちのけで、私は「自分が死ぬ前に、何としても娘にきょうだいを作りたい」と四十六歳で息子を出産しました。そして、不思議なことに、病気の連鎖はそこで途切れ、下降線をたどっていた体調は出産後、憑き物が落ちたように回復していきました。

 すると、それに反比例するように、両親は弱くなっていきました。父は3年前に亡くなり、母は体のあちこちが病んできました。まるで、「自分たちの役割は終わった」といわんばかりに。

 掃除・洗濯、食事の支度、スーパーへの食料品の買い出しや娘の幼稚園へのお迎えまでこなした母は今、痛む膝をかばいながらゆっくりゆっくり歩きます。それでも、母はあちこち傷んだ体を押して、私や子供たちに会いに東京に遊びに来てくれます。

 そんな母と話をしながら、「やはり、死ぬ順番は何としても守らなければならない」と気を引き締めます。
 78歳の母に、「あのときが、娘を見た最後だった」と残りの人生を泣いて暮らさせてはいけない。

 それが、私の出来る唯一の親孝行だと思いつつ、その親孝行をするために、自分の体をいたわりながら生きたいと思います。

 

 

2016年5月3日火曜日

IL DEVO コンサート

 夢のようなひとときでした。男性4人組ヴォーカル・グループ、「IL DEVO(イル・ディーヴォ)」のコンサートに行ってきました。日本武道館で開かれたそのコンサートには、母を連れていきました。母娘は美しい男性たちの、美しい歌声に酔いしれました。

 「母の日のプレゼントに」と札幌でひとり暮らしをする母と一緒に行こうとチケットを購入したのは、もう数カ月も前。母に伝えると、とても喜び、この日を楽しみにしてくれていました。

 「IL DIVO」のことを知ったのは、4、5年前になるでしょうか。 新聞の夕刊に彼らの特集が出ていたのを読み、興味を抱いたのです。グループは2003年結成、2004年イギリスでデビューしました。出身国がスペイン、フランス、スイス、アメリカとそれぞれ違い、かつ、グループ結成前に各自がすでに音楽活動をしていたことに興味を持ちました。また、スーツを着て歌うという正統派の雰囲気や、魅力的なルックスにも惹かれました。

 早速、CDとDVDを購入。オペラ歌手のような圧倒的な声量と広い音域で、ポピュラー音楽を歌い上げる彼らの音楽に、感動しました。その感動を分かち合いたいと、母と義母、友人たちにCDをプレゼントしました。ですので、今回は念願のコンサートだったのです。

 生で見る彼らは、写真で見るよりもずっと素敵でした。彼らの声は、CDで聴くよりずっと迫力があり、美しかった。一曲一曲を全力で歌っていることが観客にも十分伝わり、それが、観客を引きつけました。観客を喜ばせることに徹したパフォーマンスが、観客の心をつかみました。
 
 4人は「MY WAY」など、多くの人の耳に馴染む曲をしっとりと歌い、ラテン音楽はキレの良い踊りを披露しながら、魅惑的に歌いました。会場は私が若いと感じられるほど、年配の女性が多かった。多くの人が、「IL DIVO」と書かれたペンライトを振りながら、一曲一曲にうっとりと聞き惚れていました。彼らが日本の童謡「ふるさと」を歌ったときは、母も私も、周りの観客も皆一緒に口ずさみ、会場が一体になりました。

 観客の”静かな”熱狂は衰えることなく、コンサートは休憩時間を挟んで3時間近くになっていました。そして、彼らが「最後に」と歌ったのが、おそらく多くの人が待ち望んでいたであろう「TIME TO SAY GOODBYE」でした。この歌が終わったとき、78歳の母がよろよろと客席から立ち上がり、「ブラボー」とステージに向かって、何度も叫びました。私は、その母の姿を見て、目頭が熱くなったのでした。

 さて、コンサートが終わり、興奮が冷めやらないまま、私たちは帰路につきました。自宅に戻り、椅子に座って、プログラムを読みながらコンサートを振り返っていたとき。母が顔を保湿クリームでピカピカにさせながら、私のところに現れました。

 「見て、肌がつやつやなの」
 私の方に顔を寄せてきます。いきなりの登場で、私は一瞬どう反応して良いか分からず、気の利いたコメントができませんでした。母は続けました。
「やっぱり、酔いしれると、ホルモンが出るんだねぇ。何て言ったっけ、こういうときに出るホルモン。そうだ、セレトニンだよ。セレトニン。ほらっ、さわってみて。つやつやだから・・・。こんなこと初めてだよ。あんな素敵な歌を聴いて、セレトニンが出たんだねぇ」

 IL DIVOと母に、圧倒された夕べでした。