2019年2月13日水曜日

心の回復 ①

 子どもたちに不評の「恵方巻き」を作るのをやめ、豆まきだけをした節分の翌日。夫が朝、「今日は有休を取って家にいるから」と言います。「テレビでアメリカン・フットボールの試合を見るんだ」と言い、その日行われる”重要な試合”について説明してくれました。が、私にはちんぷんかんぷんで、かつ、興味もありません。夫はそれ以上の説明はやめて、前日の豆の残りをお皿に入れ、冷蔵庫から缶ビールを取り出して、テレビのある二階に上がっていきました。
 

 階段を上っていく夫の後ろ姿を見ながら、「国際結婚をしたことで、自国の文化や慣習を諦めなければならないのは、夫も同じなのだ」と思い至りました。前日、長年こだわり続けていた恵方巻きを、子どもに押し付けることを止めた私。涙が出るほど落ち込みましたが、私と結婚するために日本に来たことで、夫が諦めなければならなかったこともたくさんあったのです。

 アメリカに住んでいれば、アメリカン・フットボールやバスケットボール、野球などの国民に人気のスポーツの試合は、友人や会社の同僚とパブなどに繰り出してビールを飲みながら観るものなのでしょう。スポーツ観戦が好きな夫は、よく義父や義弟と電話で試合の話で盛り上がっています。私は「なにも国際電話でプロ野球やバスケットボールの話をしなくても・・・」と思っていましたが、母国を離れた夫にとっては「せめて、電話でスポーツの話をしたい」ということなのでしょう。

 さて、ハーフタイムで一階に下りてきた夫。「昨日、君が準備していた太巻きをランチに作ってくれるかな? あれ、食べたいんだよ」と言います。お正月に「うま煮」を作ることを諦め、節分に恵方巻きを作ることを諦めたことが、どれほど私にとって心が塞ぐ出来事だったかは、夫は十分わかっていたのでしょう。こんなところで、気遣いを見せてくれました。

 夫と私は出会って三十年、結婚して十七年。夫は、私が日本の文化・伝統を子どもたちに伝えることを、とても大切に考えていることを十分過ぎるくらい知っています。そして、それらを諦めることが、どれほど私にとって堪えるかも。

 さて、夫の気遣いに感謝しながら、丁寧に太巻きを作った私。それを食べながら、夫はこう切り出しました。
「君がうま煮や太巻きを作るのを諦めた理由は、わかる。でもさ、ここで諦めてしまったら、子どもたちには日本の伝統料理は残らないと思うよ」
「うん、そうかもね。でも、親として子どもが嫌いなものを作り続けることに意味があるのか、って最近深く考えるのよ」

 夫は続けます。
「僕らの子どもはハーフなんだよ。子供たちが日本人なら、小さいころはハンバーグやパスタなど洋食が好きでも、年を取ってから和食を食べたいと思うようになる可能性は高い。君もよく、子どものころは洋食が好きだったけど、今は和食を食べたいって言っているだろう? 」
「うん。子どものころは和食が嫌いだった」
「でも、僕らの子どもたちは君のようにはならないと思う。ここで日本の伝統料理を諦めたら、子どもたちには何も残らないと僕は思う。カリフォルニアロールのような、アメリカ人好みの日本料理を好むことはあるかもしれないけど。だからさ、続けるべきだよ。たとえ今、子どもたちが好まなくても。そうすればさ、ママの作った料理として子どもたちに残るはずだから」

 夫にそう説得されて、もう一度、日本の伝統料理を我が家で作り続けるかどうかを考えることにしました。結論はすぐには出ませんが、心が少し元気になったような気がしました。
 

2019年2月4日月曜日

「心が折れた」出来事

今年のお正月は、結婚してから毎年作っていた「うま煮」を作りませんでした。2001年から毎年年の瀬に必ず作っていた料理。母から受け継いだその味を、私が大好きなその料理を、子どもたちに引き継ぐことをあきらめました。

きっかけは昨年のクリスマスの娘の一言でした。夫が作った鶏肉の丸焼きととマッシュドポテト、そして、私が作ったアップルパイという毎年恒例のクリスマスディナーを食べ終わった後、娘がつぶやきました。

「ああ、次はお正月かあ。お正月は一番きらいなイベントなの。美味しくない食べ物を食べなければならないから」

それはうま煮のことです。母から受け継いだ、10種類の食材を一つ一つ丁寧に下煮をして、お酒、お醤油、みりん、お砂糖で味付ける料理。私が大好きなその一品は、夫を含めて家族にずっと不評でした。でも、日本人としてこの料理を丁寧に作って一年を終え、この料理を重箱によそおって、お神酒と一緒にいただく元旦を迎えてこそ、日本人だという思いが強く、作り続けていたのです。が、その娘の一言で、私のこだわりはそれほど大切だろうか?と自問自答することになったのです。

「お正月に美味しくない料理を食べさせられたという記憶を子どもに残すのは親として正しくないのでは」という自分自身への問い。そして、その答えは「私の日本人としてのこだわりは捨てたほうが良いかもしれない」でした。

気持ちを切り替え、昨年の大みそかは、手巻き寿司にしました。具材は夫と私にはタラバガニやトロ、サーモン、娘にはイクラ、息子には引き割り納豆です。イクラが大好きな娘は、「美味しい!」を連発してくれました。

元旦、母にそのことを報告しました。「とっても残念だったけど、うま煮は作らなかったの」と。そうすると、母はこう私を慰めてくれました。

「臨機応変でいいんだよ。日本人だって、大みそかにお寿司食べたり、手巻き寿司食べたりするんだから。それに、おせち料理は、今のようにスーパーもなく、お店も年末年始に開いていなかった時代に、主婦が三が日食事の支度に困らないようにって年末に作ったものなんだから」と言ってくれました。

こうやって、「日本の伝統・文化」を諦めていくのは、心から残念です。でも、どう私があがいても国際結婚をしてしまったのだから仕方ないのだと、その残念な気持ちをまだ引きずっていた昨日の節分。

毎年作り続けていた恵方巻きの材料の、椎茸と干ぴょうを煮ていたとき。「くさーい!椎茸のにおいだ!」と息子が叫んだのです。

昨年までは子どもたちがどんなに文句を言おうと「これが日本の伝統料理」と胸を張って作り続けていました。でも、息子の言葉を聞いた途端、私の目からは涙が勝手にこぼれたのでした。最近、我が家から流れ出るようにして消えていく「日本的なもの」。身長175センチ靴のサイズ27センチの娘は、体つきも所作も外国人。そして家族やきょうだいの会話は英語です。娘からは日本語も教え込んだつもりの日本人としてのマナーもどんどん消えていっています。大切にしてきた和食も子どもたちに不評です。

最近流行の「心が折れる」という表現。この表現はあまり好きではないため、使ったことがなかったのですが、あえて使います。私の心は昨日、ぽっきりと折れたのでした。

私は黙って、子どもたちが好きな洋食を作って夫と子どもたちに食べさせ、自分は食卓には座りませんでした。そして、家族が食事を終えた後、ひっそりと恵方巻きを自分のために作り、父にお供えしました。そして、父が好きだった日本酒をお猪口二つに注いで一つは父の遺影の前に置き、そして、一つは自分の前に置き、ひとりで恵方巻きを食べたのでした。

「お父さん、こんなにおいしいのにねぇ。残念だよねぇ」と遺影に語り掛けました。父はにっこりと笑っていました。