2018年6月17日日曜日

割れたフォトフレーム

 土曜の朝、ダイニングテーブルの上に小さなプレゼントを見つけました。ピンクの不織布できれいにラッピングされ、麻の紐でおしゃれに結ばれています。「何だろう?」と不思議に思い手に取ると、それにはメッセージが添えられていました。

「ママへ。割れ目を全部直しました。大好きだよ。♡」


 娘からです。メッセージを読んで、中身がわかりました。前日、息子が割ってしまったフォトフレームです。

 その小さな楕円形のフォトフレームには生後7か月の息子を膝に載せて微笑む私の写真が入っていました。とても気に入っている写真で、寝室にある私の机の上に飾っていました。それをビーチボールで遊んでいた息子が間違ってぶつけてしまい、床に落として割ってしまったのです。サッカー柄のビーチボールはその日、買ってあげたばかりでした。

 私は息子を叱りました。愛する息子の写真が入ったフレームを割ったのは息子自身で、その息子がケガをしたわけでもありません。「ケガしなくて良かった。今度から気を付けるんだよ」と言うことも出来たのに、私は息子を厳しく叱責しました。私の形相に驚いたのか、息子は恐る恐る言いました。

「ママ、僕が直すから」
「直せるわけないでしょ。こんなにバラバラなんだよ。これは、ママがとても大切にしていた写真を入れたフレームなんだよ。どうして割っちゃったの!」と言うと、涙まで出てきてしまいました。

 私は修復不可能な状態に割れてしまった、お気に入りの、天使が飾りに付いているフレームをひろい、袋に入れて燃えないゴミ用のゴミ箱に捨てました。中に入っていた写真は、取り出して机の上に置きました。

 初め膝を抱えていた息子は、いつのまにか寝室から消えてしまいました。夜8時半と遅かったので外に出ていったかもと心配し、玄関を見ると息子の運動靴がありました。ですので、どこかに隠れたのだと思い、しばらく放っておくことにしました。

 そこに帰ってきたのは、バレエ教室に行っていた娘です。事情を説明すると娘はこう言いました。
「ママの気持ちは分かるけど、わざとじゃないじゃん。それに写真のデータはパソコンに残っているんでしょ。新しいフレームを買って入れ直せばいいじゃん」
「うん。そうなんだけど。ママ、これとても気に入っていたから・・・。フレームは特殊な形で、6年前のものだから、もう探せないし・・・」

 私が、息子を抱いたその写真を大切にしているのには理由がありました。私には赤ちゃんのころの娘や息子を抱いた写真があまりないからです。

 私は娘が1歳半のときに自己免疫疾患を患い、ステロイド剤を飲んで抑えました。その薬の副作用の一つは顔のむくみ。「ムーンフェース」と呼ばれています。娘が1歳半以降の写真の私の顔はどれも醜くむくんでいます。また、醜かったことから写真を映されるのを避けていました。

 病気がやっと小康状態となり、薬の量も減り、息子を出産することが出来ました。が、その1年後に私は髪を全部失いました。髪は数年かけて徐々に生えてきましたが、息子が一番かわいい盛りの写真に写っている私は、全部かつらを被った私です。

 加えて、夫は頼まない限り、カメラのシャッターはほとんど切りません。ですので、私は息子が5歳になるまで、年に1度、写真館で息子を抱いた写真を撮影してもらっていました。という理由から私は数少ない、息子と一緒で、自然体で、かつ私の顔がむくんでいない、髪も地毛のその写真をとりわけ大切にしていたのです。そして、そのフレームは私の気持ちにぴったりと合うデザインでした。

 娘が言いました。
「ママ、壊れたフレームは?」
「ゴミ箱」
「見せて」
ゴミ箱がある場所に行き、袋に入れたバラバラのフレームを見せました。
「私が直してあげる」

娘は新聞紙の上に壊れたフレームを広げ、接着剤を持ってきて、修理に取り掛かりました。娘の気持ちはありがたかったのですが、私はその場を離れました。最近は良い接着剤が売られていますので、修復可能な状態なら、私が直しています。でも、そのフレームは修復不可能な壊れ方でした。ですので、もうフレームを見たくないという気持ちだったのです。

 ここで、私はやっと息子を探そうという気持ちになりました。先ほど、寝室を出てしまったきり、家の中には息子の気配はありません。でも、玄関には靴があるのでどこかの部屋の片隅に隠れているはずです。

 が、息子と「かくれんぼ」遊びをするときに、息子がいつも隠れる場所を探してもいません。息子の名前を呼んでも出てきません。で、もう一度玄関を確認したところ、サンダルがないことに気が付いたのです。

 私は、慌てて玄関から外に出ました。すると、お隣の家に住む、息子の同級生のお父さんが家の前で座っている息子と話をしていました。お隣さんは、「こんばんは」とにっこりと私に笑いかけ、息子が一人ぽつんと座っていたので声をかけたこと、息子は「ママに叱られたの」としょんぼりとしていたこと、を話してくれました。すると、その間にまた息子は消えてしまったのです。

 その後は家から出てきた娘と一緒に近所を探し回り、数分後に息子を確保しました。「ああ、大事に至らなくて良かった」と私は胸をなでおろしました。そして、物を壊したという些細なことで、あんなに厳しく叱ってしまったことを反省しました。息子をぎゅっと抱き締めました。息子も「ごめんね、ママ」と謝ってくれました。

 さて、娘からもらったその心のこもった素敵なプレゼント。これは開けずに、そのまま私の机の上に飾ることにしました。感情に任せて子供を叱ってしまった自分への諫めとして。娘の優しさをいつも心に留めておくために。

 私は普段は明るく振る舞っていますが、心の奥底では女性として最も充実しているはずの30代後半から40代を病気と闘いながら、醜い外見で生きなければならなかったことを、とても残念に思っています。だから、ほんの一時だけ、そうではなかった自分の写真に執着していたのだと思います。その写真を入れたフォトフレームが壊れてしまったということは、もうそんな情けない自分とは決別すべきだという天からのメッセージかもしれません。

 負の感情の中に埋もれているとき、夫からはよく「こうやって生きていられる幸運に感謝すべきだ」と言われます。その言葉を受け入れ、本当の意味での前進をすべきときなのでしょう。娘が接着剤で直してくれたフォトフレームを見て、「当時の自分は・・・」と苦笑しながら懐かしく思い出すときがくることを願って。 

2018年6月4日月曜日

「腰が痛い!」原因は?

「ママ、私病院に行く」
中2の娘が真剣な表情で訴えました。1週間ほど前のことです。
「もう、歩けないくらい腰が痛いの」
「身長が急に伸びているから、骨や筋肉に負担がかかっているんじゃない?」と私。
「うん、これまでも足が痛かったことは何度もあったけど、たいてい一日で良くなったの。でも、今回は違う」と言います。

夫に似て誇張した表現が多い娘ですので、初めは「いつものこと」と気にもしていなかったのですが、家の中では長い棒を杖代わりに使って歩いています。よほど痛いのでしょう。

先週は、ちょうど期末試験の真っ最中で学校も休めず、この週末の土曜日、ようやく最寄りの病院に行くことが出来ました。私は用事があったので、夫が連れていきました。

用事を済ませた後、病院に向かうため自転車を駐輪場に止めとき、娘が「ママ~」と明るい顔で駆け寄ってきました。表情が晴れ晴れとしています。
「病院、終わったの?」
「うん、今、お薬屋さんに行くところ」
「で、原因は何だったの?」
「それがさ、面白いんだよ。私、尾てい骨の数が人より1個多いんだって」
「尾てい骨の数?」
「うん。先生がね、尾てい骨の下の部分、つまりお尻の穴のすぐ上のところの骨は普通2個なんだけど、私は3個あるって言っていたの」
得意満面です。

「普通って、つまり日本人は2個で、欧米人は3個ってこと?」
娘はアメリカ人とのハーフで、体格が夫に似ていますので、そういうことなのかと思いました。
「違う。日本人とかアメリカ人とか関係なく、人間は普通2つなんだけど、私は3つなの」

いかにも娘らしい、ユニークな話です。夫に聞くと、「先生はそう言っていたよ。普通の人より尾てい骨が長くて、それが痛みの原因らしい。あと1年ぐらいで体の成長が落ち着いたら、痛みは治まるだろうって。痛み止めの薬と、湿布を処方してくれたよ」と言います。

一緒に付き添った息子も「おねぇねぇ、すごいんだ。お尻の骨が他の人より1個多いんだよ」と娘と同様、得意げな表情です。

子どもと日本語のおぼつかない夫の話ですので、尾てい骨のどこの部分が3個なのか定かではありませんが、とにかく「Tale Bone(尾てい骨) 」「1個多い」というお医者さんの説明を間違えて聞くことはないでしょう。

診断の後、娘の腰の痛みは嘘のようになくなりました。薬局でもらった頓服薬と湿布は、ダイニングテーブルの上に置かれたままです。

そして、娘はあれからずっと「私は、スペシャルな人間なの」と浮かれています。