2017年8月26日土曜日

姪っ子の来日

 米国テキサス州に住む姪が東京の我が家を訪れ、一週間滞在して昨日帰国しました。姪は夫の兄の長女。両親の離婚や母親の再婚という試練にめげることなく、目標に向かって明るく生きる姪の姿に、感動した一週間でした。

 姪は24歳。昨年大学を卒業し、この秋から教育心理学を学ぶためにテキサス州の大学院に行きます。今回の日本旅行は祖父母(夫の両親)からの大学卒業プレゼント。卒業式の後のお祝いの食事の席で、祖父母から「ずっと行きたかった日本」行きのチケットと旅行ガイドを贈られたときは大泣きしたといいます。夫の両親からは事前に私たちに相談がありました。姪に会う機会が少ない私たちにとっては、願ってもない機会でした。

 Tシャツと短パン姿でバックパックを背負い、大きなスーツケースを引いて現れた姪は、素敵な大人の女性に成長していました。私は姪の両親である、義兄と元妻の結婚式に出ていますので、そのあとまもなく生まれた姪の成長は写真やたまに会う機会を通じて、ずっと見てきました。久しぶりに会った姪の屈託のない笑顔は小さいころのままで、容姿や声は母親にとても良く似ていました。

 義兄が元妻と離婚したのは7、8年前のことです。二人の間には、姪を筆頭に長男、次女と3人の子供がいます。2組に1組が離婚するという米国では、離婚は夫婦の問題であり子供にとっては両親であることには変わりない、という考え方が主流で、義兄と元妻もその考え方だったのでしょう。3人きょうだいの親権は「共同親権」です。

 離婚後3人の子供を連れて家を出てアパートに移り住んだ元妻と、家族で住んだ家を処分し、その元妻と同じアパートに部屋を借りて独り暮らしを始めた義兄は、協力し合って子供の学校や習い事への送迎をしていました。二人の関係はさておき、「子供のためには何が良いか」という判断基準で、物事を決めていったのだと推測します。子供たちは平日元妻のところで暮らしていましたが、夫婦間の取り決めで、月に何度かの週末と祝日などは、義兄のところで過ごしたようです。

 日本では一人の親が親権を持つ「単独親権」が多いのでなかなか理解しにくいですが、義兄のケースを見ていると、見習うべきところは多いと感じました。

 義兄の元妻は数年後、子供が2人いる男性と出会い再婚しました。姪はちょうど大学進学で家を出たところでしたので、元妻は下の2人を連れて行きました。姪は、新しいお父さんとも仲良くしているらしく、「私はとてもラッキーなの。今回、大学院の近くにアパートを借りて引っ越ししたとき、ダッド(父親)とステップファザー(義理の父)が一緒に手伝ってくれたのよ」と笑います。

 義兄も、元妻も、そして元妻の夫も、心中いろいろあれども、子供のためには協力し合う”大人”なのだと思います。その姿勢が子供たちにも伝わっているのでしょう。姪はとても前向きで明るい女性に成長していました。

 姪は大学と大学院のすべての費用を自分で賄っています。奨学金とアルバイトで稼ぐお金で足り部分は教育ローンを借りたと言います。「仕事を始めたら、長い期間ローンを返済しなければならないの」と説明する姪の表情には、その困難さを感じさせる暗さは全く感じられませんでした。「大学院を修了したら、いずれは博士課程に行きたい」と目標を語る姪に、私たちはただただ、感心するばかりでした。

 やり繰りが苦しいであろう中から姪は、私たちの子供2人に塗り絵やシャボン玉などのお土産を買ってきてくれました。私と夫にはテキサス州の形のアップリケが付いたタオルと、「今回の私の日本旅行の写真を入れてね」と写真フレームをプレゼントしてくれました。その気遣いに、胸が打たれました。

 姪は「ママとは毎日、電話で話しているの。多いときは2,3回電話してしまうこともある」と笑います。そして、最近携帯電話を持ち始めた妹ともほぼ毎日話をするといいます。「ダッドのアパートには、妹が泊まりにいく日に一緒に泊まるの。月に2回。ダッドのアパートには私たちの部屋があるのよ」と言います。離婚した両親と良い関係を続け、目標を持って生きる姪の姿を見て、私は義兄と元妻に、「良い子育てをしましたね」と語り掛けたい気持ちになりました。姪によると、彼女はとても幸せに暮らしているそうです。

 姪はさわやかな笑顔を残して、日本を去りました。「今度は妹を連れてくるわ」という言葉を残して。私たちも、姪の幸せを願いながら見送りました。姪がくれたフレームには、姪を囲む私たち家族の写真を入れ居間に飾りました。写真の中の姪は、とびきりの笑顔をしています。

 
 

2017年8月4日金曜日

さよなら、チャイルドシート

 中1の娘がようやく、幼稚園年少のときから座り続けていた車のチャールドシートを取り外すことに同意してくれました。身長165cmと、私の身長よりも高くなった娘が、絶対に手放したがらなかったこのチャイルドシート。本人曰く、「神様からのお告げがあった」と言うのです。

 ベビー用品のメーカー「combi」のチャイルドシートを手放すよう娘に説得を始めたのは、数年前のことだったと思います。赤ちゃん用のベビーシートが小さくなった息子に、チャイルドシートと交換する必要に迫られたときです。当時、娘も身長は140cmぐらいはあったでしょうか? 当然、娘のお下がりのチャイルドシートを息子に使わせる予定でした。ところが、娘は「このチャイルドシートには私のお尻の形がきちんとついていて、座るとピッタリとはまって心地よいの」と言い、頑として譲りませんでした。

 私と夫で説得を続けましたが、娘の意思は固く、結局、娘とおそろいの「combi」のチャイルドシートを息子に購入することになったのです。親としては娘の体の成長に悪影響があるのでは、と心配でしたが、半ば諦めていました。そして、先月。

 たまたま車で外出した後、後部座席を見ると、娘のチャイルドシートに白いタオルが敷いてありました。不思議に思って車を降り、後部座席のドアを開けてその白いタオルをはがしてみると、何とガムが付着していたのです。そのガムは約5cm四方に伸びて、爪で引っ搔いても取れません。

「このガム何?」
娘に聞いてみました。
娘は残念そうな顔で答えました。
「それは、神様からの私の質問に対する答えだったの」
「どういうこと?」
「この前ね、『このチャイルドシートにずっと座っていられますように』って神様に真剣にお願いしたら、その次の日、ガムが椅子にべったりとついちゃったの。寝る前に口から取り出して、ティッシュがなかったから、シートの横にちょっと置いたガムが、寝ている間に落ちてしまったんだと思う」
「それが、神様の答え?」
「そう。神様からの、もうこのチャイルドシートは手放しなさいという答え。だけど、まだ、心の準備が出来ていないから、タオルを敷いて座っていたの」

 クリスチャンの娘は、親の言うことは聞かずとも、神様の”言うこと”は聞くのです。こういうとき、宗教が人の心に与える影響の大きさと深さに、ただただ驚きます。私は、心の中で素直に、娘の神様に「ありがとうございます。親が出来なかったことを解決してくださって」と礼を言いました。

 「自分のお尻の形にピッタリと合っている」などと娘は言っていましたが、娘はチャイルドシートを手放すことは子供でいることを手放すことなのだと、思っていたのだと思います。小さいころから背が高く、年齢よりずっと年上に見えてしまい、世間からなかなか子供扱いをしてもらえなかった娘。7歳のときに弟が出来、「早くお姉ちゃんになりなさい」と親に期待され、子供でいる時間を突如奪われてしまった娘。だから、子供でいることのこだわりが誰よりも大きかったのです。私たちもそれを知っていましたので、娘が子供でいられる”物”や”環境”を取り上げることは控えていました。

 娘がほぼ10年間座り続け、ガムが付着したこのチャイルドシートは取りあえず、屋根裏部屋に仕舞いました。
 「これは捨てないよ。しばらく取っておいて、納得したら処分しようね」
娘にそう伝えました。

 さて、チャイルドシートをはずした後に車の座席に座った感想を、娘に聞いてみました。
「なんか、楽になった。足も伸ばせるし。でも、眠るときは、前の椅子は頭を押さえてくれたけど、今は頭のやり場がない」と娘は答えました。
「そうだね、チャイルドシートは頭をしっかり支える作りになっていたよね」と私。

 子供はこうした小さな出来事を積み重ねながら、少しずつ大人に近付いていくものかもしれません。