2017年7月21日金曜日

息子の自立 ②

 この日がこんなにあっけなく訪れるなんて、思っていませんでした。息子が自分の部屋で、一人で寝る日です。愛情たっぷりに育ててきた息子は突然「今日から、自分の部屋で寝る」と宣言し、クマのぬいぐるみをつかんで、寝室を出ていってしまったのです。

 私は慌てました。「今日は絵本をまだ読んでないよ」とまずは”物”で釣りました。全く潔くありませんが、「そう、一人で寝るの? 偉いわね。おやすみ」などと、やせ我慢はしませんでした。

 「そうだね。じゃあ、これ読んで」とベッドの近くにあった絵本をつかんで私に差し出した息子。いつもの、絵本を読むときの定位置である私の左腕の中にすっぽりと入り、寝るときには必ず一緒のクマのぬいぐるみに鼻をスリスリとしながら絵本に見入りました。私はこの夜も一行一行丁寧に、心を込めて読みました。

 さて、絵本を読み終えると、息子は「じゃあね」と私の腕からするりと抜けてドアへ。私は夫に愚痴ります。
「もう一人で寝るっていうのよ。早過ぎない?」
「ああ、さっき、『おねぇねぇに今日は一人で寝たいから出て行ってって言われたの』と寂しそうにしていたから、自分の部屋で寝たらどうだ?と勧めたんだ」

 息子はその日中1の娘のベッドにもぐりこみ、一緒に寝ていたのです。娘はおそらく、パソコンでメールをチェックするか何かをしたかったのでしょう。息子は、姉に追い出されて仕方なく私たちの寝室に来たらしいのです。夫は何と余計なことをしてくれたのでしょうか? 自立を促す声掛けを息子にするなんて・・・。

 私はのど元まで出掛かった「余計なことを・・・」という言葉を飲み込みます。そして、ここは子離れをするときなのだ自分に言い聞かせます。「それにしても早過ぎない?」と心の中で愚痴りながら。

 いみじくもこの前の週、幼稚園保護者向けの講演会で幼児教育の専門家がこう言っていました。

 「子供とはいつまで寝られるのかと良く聞かれます。大きくなっても一緒に寝ていると親が不安になるようです。そういう不安を抱かれるお母さまには『子供が一人で寝るという日まで大丈夫です』と答えるんです。心配しなくても、子供は時期が来たら離れていきますから」

 その子供の年齢の想定は、小学校高学年・中学生ぐらいのようでした。息子は幼稚園年長。ママ友達幾人に聞けども、皆子供と一緒に寝ています。以前友人が、「息子に突然『今日から一人で寝る』と宣言されて寂しい」と言っていたことを思い出しました。そのときの友人の息子は小学校4年生。それほど長く息子と一緒に寝られた友人は幸せだったのだなあと思います。

 「娘にきょうだいを」と願いながらも、体調が悪くて叶わなかった期間が長く、46歳でようやく授かった子のため、とても可愛がりました。毎日抱き締め、「大好きだよ」と伝えています。一緒に遊びます。公園にも頻繁に連れていきます。絵本も毎日数冊読み聞かせます。「ママ」と呼ばれれば、どんなに忙しくしていても向き合います。しつけは厳しいほうなので、叱ることも多いですが、基本は愛情たっぷりに育てました。そうすると、あっという間にこんなことになってしまったのです。逆に娘は一人目の子供ですので気負いもあって、「早く、早く」とあおるように自立を促した結果、今でも子供扱いを好むのです。なんと、子育ては一筋縄ではいかないものでしょうか。

 さて、翌日夜。私は策を練りました。絵本を5冊準備し、読み聞かせをしている間に息子が寝てしまうーというシナリオを描きました。この策はまんまと成功し、私は息子を抱き締めて寝ることができました。

 息子はまだ5歳。「母の悪あがきは許されるよね」と自分自身に言い訳しながら、”蜜月”がもう少し続くことを祈るのでした。

2017年7月10日月曜日

先輩を送る

 先輩のお葬式に参列してきました。先輩は55歳。私より3つ上です。2年間、子宮がんと闘ってきましたが力尽き、家族や友人らたくさんの人に惜しまれながら、あの世に旅立ちました。

 自宅から斎場までは、電車を乗り継いで1時間。道すがら、先輩のことを思い出しました。くりくりとした目で、「むつみちゃん」と声をかけてくれた先輩。美しく、優しかった先輩。若いころの記憶はどうして、あれほど鮮明なのでしょうか? 先輩の声や表情が鮮やかに蘇りました。

 斎場に着くと、昔一緒に働いた仲間が幾人も来ていました。女性はあまり変わっていませんでしたが、男性は髪に白髪が目立ち、経った年月の長さを感じました。当時は皆20代。あれから30年近く経ったのです。

 斎場の入り口には、22歳と26歳の娘さんが準備をしたという在りし日の先輩の映像が流れていました。映像の中の先輩は昔と全く変わらず、そして幸せそうでした。きちんと整理されたアルバムが何冊もテーブルに並べられていました。先輩が一冊一冊心を込めて整理したであろうアルバムのページをめくると、先輩の笑顔がたくさんありました。涙をこらえながら、母親の最期について語る素直そうな2人の娘さんを見ていると、「先輩は良い子育てをしたんだな」と思うとともに、「先輩は幸せだったんだな」と嬉しく思いました。

 お通夜が終わった後、参列者のために夕食と飲み物が用意されていました。

「妻は生前、自分がしてほしいことについて口にすることはありませんでしたが、唯一『私が死んだら、たくさんのお花に囲まれて家族や友人たちとにぎやかにお話をしたい』とだけ、言っていました。妻の願いを叶えたいと思います」

 喪主である先輩の夫がそう挨拶をした後、皆でお酒を飲みながら、話に花を咲かせました。「亡くなった人が日ごろ会えない人を引き合わせてくれる」とよく言いますが、本当にそうでした。昔話は尽きませんでした。テーブルの横に飾られた先輩の遺影も、まるで会話に参加しているように、楽しそうに嬉しそうに笑っていました。

 アルバムを眺めながら、在りし日の先輩を思い出していると、先輩の夫が礼服のポケットから色あせた白い封筒を取り出しました。

 「秘蔵の写真なんだ」

 にこにこと嬉しそうに、結婚前交際していたころの2人の写真を見せてくれました。写真は美しい景色で有名な、北海道富良野市で撮影した写真でした。どこまでも続くラベンダー畑の真ん中で、先輩がこちらを見て微笑んでいました。先輩の将来の夫への真っ直ぐな愛と信頼、先輩をファインダーを通して見つめる夫の愛情が、浮かび上がるような素敵な写真でした。

「これ、いい写真ですね。額に入れて飾ってください」

皆が口々に言い、紫色の畑にたたずむ、美しい先輩に見入りました。

 食事が終わり、もう一度、お線香を上げに祭壇に行きました。祭壇には紫色のラベンダーがたくさん飾られていました。側を通ると、懐かしい北海道の香りがしました。

「葬儀屋さんにね、頼んだんだ」

 先輩の夫が、そう言いました。ああ、先輩は愛されていたんだ、ととても嬉しく思いました。私たちはそれぞれラベンダーの香りを胸一杯にかぎながら、先輩にさよならをしたのでした。