2017年3月18日土曜日

インターのダンスパーティ ③

 70年代、80年代の「ディスコ」が、学校の体育館で蘇りました。娘の通うインターナショナルスクールで開かれた、ダンスパーティのことです。子供たちのためではありません。保護者と教職員のためのパーティです。今夏、建て替えられる体育館での最後のイベントに集まった”中年たち”が、懐かしの音楽に合わせて歌い、踊りました。

 パーティが開かれたのは2月の土曜日。準備を進めてきた企画メンバーら十数人が前日午後と当日午前、飾り付けのために結集しました。バンドが演奏するステージを即席で設営、壁一面には持ち寄ったクリスマス用のライトを飾り付けました。学校から借りた細長いテーブルは黒い布をかけて「バーコーナー」や「軽食コーナー」に。100円ショップで購入した”キラキラグッズ”を壁に貼り、テーブルには持ち寄ったキャンドルライトを置き、”ディスコらしさ”を演出しました。天井でクルクル・キラキラ回っていたあの「ディスコ・ボール」も取り付けました。フランス人保護者から借りたようです。ホームパーティででも使うのでしょうか。さすが、フランス人。持っているものが違います。

 会場以外も準備万端。オードブルは学校のカフェテリアにオーダー。ビール、ワイン、カクテルなど、アルコール飲料も最寄りの商店街にある酒屋さんから購入しました。「DJ」も「カメラマン」もそれを職業とする保護者に依頼し、プロのシンガーになった卒業生にバンド演奏を頼みました。

 今回のパーティのメインテーマとなった、「仮面」も入り口のテーブルに並べて準備完了。
 
早朝から働いた、ノーメーク・ジーンズ姿の企画メンバーらは「See You ,Tonight!」と口々に言い合い、着替えをするために自宅に戻ったのでした。

 横浜から車で帰宅途中、私が頭を悩ませていたのはどちらのドレスを着て行くか、でした。15年前!の「ヨージ・ヤマモト」の黒のロングドレスか、4年前の「ラルフ・ローレン」の紺色の膝丈ワンピースか。

 ヨージ・ヤマモトはハワイでの結婚式の前夜、双方の両親と食事をしたときに着た思い出のワンピースです。あのころの私はモード系のヨージ・ヤマモトを着られるほどトンガって、若かった。ラルフ・ローレンのワンピースは、娘のバイオリンの発表会に着て行くために買った”コンサバ”な服で、”品の良いマダム”風。後生大事に15年間もクローゼットに仕舞っていた”昔の私”の服を着るか、すっかり現役女性を退いた”今の私”に相応しい服を着るかー。

 何度も脱ぎ着を繰り返しても決められず、12歳の娘に意見を聞きました。まず、ロングドレスを着て見せました。娘は”ふーん”という表情で、言いました。
 「絶対、そのロングドレスがいいよ、ママ。お腹目立たないから」
 着眼点はそこかぁ・・・。
 確かに、そのヨージ・ヤマモトは生地がしっかりとしていて、普段はでっぷりとしているお腹が、目立たない。しかし、です。そのドレスはノースリーブ。鏡で横姿を見ると、二の腕が太くて見苦しい。試しに腕を振ってみると、ぶるぶると”振袖”状態です。

 次に膝丈ワンピースを着ました。いかにも”ミセス”という感じで、ディスコダンスを踊る雰囲気ではありません。私は自信なげに、娘に聞きました。
「ねえ、おばさんっぽいかな?」

娘は真顔で、大きく首を縦に振りました。
「うん。でもさ、おばさんっぽいかどうかは気にしなくてもいいじゃん。おばさんなんだから。素敵に見えるかどうか、痩せて見えるかどうかで決めたほうが良いよ」
 娘の一言は容赦がなく、でも的を射ているのです。

 迷いに迷って結局、ロングドレスを着ていくことにしました。娘には5歳の息子の世話をベビーシッター代500円で頼み(大喜びで引き受けてくれました)、子供たちに夕食とおやつを準備し、久しぶりに夫婦で家を出ました。会場の1時間前に集まった企画メンバーらは、まず、景気付けにスパークリングワインで乾杯。午後7時の会場を待ったのでした。

 この日、私は受付を担当しました。会場と同時に、続々と着飾った保護者や教職員が入ってきました。テーブルに並んだ仮面を見ると、皆の表情が華やぎました。女性用の仮面は赤、緑、ピンク、シルバー、ゴールドなど色とりどりで羽が付いているもの。男性用はシルバー、ゴールド、青、紫などのシンプルな形です。私はピンク、夫はゴールドを選びました。

 音楽が始まりました。早速、フロアに向かったのは、私より年上の人たちでした。「ダンスは苦手だ」と言っていた夫も、気後れする私に「踊ろうよ」とだけ言い、フロアに出ていきました。「夫が参加しないっていうから女子だけで来たわ」と苦笑していたママ友達らも、楽しそうに踊り始めました。

 フロアの中心に踊り出たのは、ロングやミニのドレス姿が魅力的なヨーロッパ人のママたち。蝶ネクタイをした彼女たちの夫も体を揺すっています。セクシーに踊る妻をビデオで撮影している人もいます。きっと、それぞれが、自分たちの若かったころを思い出しているのでしょう。いや、夫にとって妻はいつまでの”あのころのまま”なのかもしれません。

 「ステイン・アライブ」(ビージーズ)、「セプテンバー」(アース・ウインド・アンド・ファイアー」、「ダンシング・クイーン」(アバ)、「I Just Called To Say I Love You」(スティービー・ワンダー)、「YMCA」(ビレッジ・ピープル)・・・。懐かしいそれらの曲がかかると、「そういえば、私が夫と出会ったのも、大学のダンスパーティだったんだ」とすっかり忘れていた思い出も蘇りました。

 しばらくすると、黒人男性がフロアの中心に躍り出ました。お腹がすっかり出てしまった、でも、かつてはディスコで注目を浴びたのであろう彼の踊りに合わせて、アメリカ人もフランス人もイギリス人もスウェーデン人も日本人も韓国人も、仮面の下に気持ちの良い笑顔を浮かべて、歌を口ずさみながら、踊りました。ダンスは10時過ぎ(私と夫はこの時間に帰宅)まで続き、パーティは11時でお開きになったのでした。

 さて、この日のチケットは一人3500円で販売。オードブルとスパークリングワイン一杯が付いていました。その他のアルコールは一杯500円、ソフトドリンクは300円で販売。最寄りの商店街の店から寄付された衣料品や装飾品、レストランの利用券は「オークション」という形で、パーティの中で参加者が購入することに。チケット代とドリンク代、そしてオークションの売上金それらの総額から経費を除いた金額はすべて、新築される体育館の費用として寄付されることになっていました。

 翌朝、ノーメーク・ジーンズ姿の企画メンバーらが再び、体育館に集まりました。”祭りの後”の体育館は寂しげな雰囲気が漂っていました。皆で黙々と壁面に飾られたライトを取り外し、ステージを解体し、テーブルを片付け、余った飲料を倉庫に仕舞いました。前夜、美しく着飾り踊っていた女性たちは、この日は”お掃除おばさん”となりましたが、皆の顔にはすがすがしさが漂っていました。

 作業をすべて終えた後、PTA会長(アメリカ人ママ)が、フロアに座り作業をしていた、中心となって働いたブロンドのPTA副会長(チェコ人ママ)の頭に「サンキュー」とキスをしました。それをたまたま横で見ていた私は、「ああ、このキスで、すべての苦労が報われたんだろうな」と思いました。それほど、そのキスはさりげなくも、素敵だったのでした。

 後日、横浜のイタリアンレストランで、ダンスパーティの打ち上げが開かれました。企画メンバーと校長先生、教職員十数人(全員女性です)がパーティの成功を祝してスパークリングワインで乾杯し、イタリアの家庭料理に舌鼓を打ちました。

 まず、PTA会長が「パーティでの利益は40万円でした!すべて学校に寄付しました」と報告。もう一度、皆でにぎやかに乾杯しました。その後は、パーティ当日近隣住人のクレームに対応した校長先生の話、企画メンバーらの夫との出会いの話、そのグループで一番若い体育教員の恋人の話など、話題は尽きませんでした。私は、ポンポンと飛び交う会話に付いていくのも大変で、ほとんど「貝」のようになっていました。が、仲間に入れてもらえたことを光栄に思いながら、楽しいひとときを過ごしたのでした。

 私にとって、最初で最後の「仮面舞踏会」。古い体育館でのこの思い出は、たぶんずっと心に残るに違いありません。
 

 

 

 


 

2017年3月5日日曜日

ミッフィーの思い出

 「ミッフィー」で知られるオランダの絵本作家ディック・ブルーナさんが2月16日亡くなりました。そのニュースを、とても悲しい思いで受け止めました。

 人生で最も辛い時期、私がすがったのは「ミッフィー」でした。心の穴を埋めるように、グッズを買い求めた日々がずいぶん長く続きました。ミッフィーのぬいぐるみを抱いて泣き、ミッフィーのノートに思いを綴り、ミッフィーの絵ハガキを自宅宛てに送りました。やり場のない悲しみは、その可愛らしい顔を見ることで、少し癒されました。今も、寝室にある4段の飾り棚はすべて、ミッフィーの小物が飾られています。

なぜ、私はミッフィーにすがったのかー。ブログにその理由を書いたり、消したりし、なかなか気持ちが定まらない日々が2週間続きました。そして、今日、真夜中に起き出し、理由を書かないまま、ブログを公開することにしました。

 自宅にはミッフィー柄の皿があります。週末、ホットケーキを食べるときにだけ、その皿を使います。大皿に焼き立てのホットケーキを乗せ、小皿でいただきます。小皿にはそれぞれ「木」「自転車」「雪だるま」「ミッフィー」「ボート」の柄がついており、子供たちがのときの気分で絵柄を選びます。最近は、息子がホットケーキを焼いてくれるようになりました。

 その皿にはそれぞれ、「Dick Bruna」の名前が付いています。昨日の朝、その名前を見ながら、ディック・ブルーナさんのご冥福を祈りました。ブルーナさん、素敵な絵をありがとう。私はあなたの絵に救われました。