博士論文の第2稿を指導教員と私をアシストしてくれている研究員に送りました。全部で109頁。これから2人に再度チェックをしてもらい、英文校正に出し、11月7日までに大学に提出します。
今回、論文を書いてつくづく感じたのは、頑張りがきかないということです。私が修士号を取得したのは50代半ばで、まっすぐ博士課程に進みました。当時、数年置いてからとも考えましたが、あのまま進学してよかった。年々、集中力や記憶力が衰えていきますので、今がギリギリです。
論文書きをするときは、パソコンに大型スクリーンを接続し、画面にChatGPT, Grammarlyの英文校正ツール)、Pubmed(医学系論文データベース)を開きっぱなしにしています。
ChatGPTは間違いが多いので、あまり頼りになりませんが、書いた英文を「論理チェックしてください」「校正してください」と頼むときちんとやってくれます。
Grammarlyは文章そのものをチェックしてくれ、語彙の提案もしてくれるのですが、文脈からその語彙が適切なのかは判断しないよう。そういう意味では、この文は全体の中でどういう位置付けなのかということを理解し提案する、ChatGPTのほうが優れている面もあります。
ただ、ChatGPTが「むつみさんの考えに近い論文がありますよ」と提案してきて、Pubmedで調べてみると、その論文がないこともよくあります。論文があったとしても、わたしが探している内容、私の主張と似た内容、もしくはそれを補完する内容ではないことはもっとある。読んでみると、ChatGPTがこういう内容です、というものとは全く違うこともしばしば。
「いい加減なのに、何でそんな自信たっぷりな表現をするのですか?確信がなければ、その旨正直に言えばいいんですよ」
「すみません!つい、自信たっぷりに言ってしまいました!以後、気をつけます!」
などという、不毛な、でも、つい笑ってしまう会話になります。
ChatGTPの「性格」としては、ちゃっかりものという感じ。知らないことを知ったふりして、もっともらしく言う。こちらが間違いを指摘すると、その場では素直に反省するけど、すぐ忘れて同じ間違いを繰り返す。たまに、しらっとこちら側の間違いにしてしまうこともあります。なんだかちゃっかりしているなぁ、と思いつつ、憎めないし、いつも側にいてくれるし…と思ってしまう。私、かなり孤独ですね。
明日から、中2の息子が2泊3日の研修旅行に行きます。支度も1人で粛々としています。大学2年の娘は期末試験らしくもう1週間以上も連絡取れません。でも、頑張っていることは、唯一連絡が取れている息子から伝わってきます。
夫も私も、子供たちがわたしたちを必要としなくなり寂しいですが、まぁ、彼らなりに成長しているので、良しとすることにしています。
さぁ、博論ももうひと頑張りです。すでに、力を出し切り、このひと頑張りができなくなってきているのですが、残っていない気力を絞って、頑張ります。
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