2016年11月11日金曜日

残念。アメリカ大統領選

 アメリカ大統領選で、大方の予想に反して、共和党候補のドナルド・トランプ氏が選ばれました。初の女性大統領が生まれることを期待していた私としては、とても残念な結果でした。アメリカ人の夫も私も事前の報道から民主党候補のヒラリー・クリントン氏が勝つと思っていましたので、夫婦でこの結果を驚きを持って受け止めました。


 この日は朝からワクワクしました。まずは午前7時のNHKニュースをしっかりと見るために、家事に集中。子供たちのお弁当作り、洗濯物干し、キッチンの後片付けを猛スピードで終わらせ、娘を学校に送り出し、日課の5分間ジョギングも終えて、入れたてのコーヒーを片手にテレビの前のソファに座りました。

 NHKによると、過去の大統領選ではオハイオ州とフロリダ州を制した候補が勝ってきたので、トランプ氏がこの2州を取れば、勝つ可能性も出てくるとのこと。「なるほど、オハイオ州ね」と夫の叔母が住むこの州の名前を頭にインプット。事前調査ではクリントン氏優勢だが、「クリントン氏支持と答えながら、実際の投票ではトランプ氏に投じる人も少なくない」という面白い解説もあり、「そうか、表立ってはトランプ氏支持と言えないが、投票用紙にはそう書く人もいるんだ」と日本時間の午前8時に始まる開票速報を待ち遠しく思いました。

 午前9時に息子を幼稚園に送り、その足で幼稚園ママたちで活動するハンドベルサークルへ。1時間半の練習の後のお茶の時間でも、ママたちの話題はアメリカ大統領選です。アメリカ国籍の夫を持つママが言います。
 「夫が、投票しに行こうかなって言っていたのよ。こんなこと初めて。よほど関心があったのね」
 「それって、どこで投票できるの? アメリカ大使館?」
 「昨日のニュースで、トランプが最後の雄叫びを上げていた。暴言を吐いて選挙を戦おうとする人が候補になっちゃうなんて、アメリカもよほど人材不足なのね」
 私も朝仕入れた「オハイオ州とフロリダ州」の話をします。

 このように今回のアメリカ大統領選は、地球の反対側にいる日本人ママたちがお茶の席で話題にするほど、注目のニュースだったのです。

 この日幼稚園は午前中で終わるため、息子を迎えに行って帰宅。珍しく自宅で仕事をしていた夫が、パソコンで現地のニュースを見ながら、興奮気味に語ります。
 「トランプが優勢なんだ」
 「ほんとう?」

 ほどなく、注目のオハイオ州をトランプ氏が制したことが判明。ママ友達からも「トランプ氏がオハイオ勝利した~。どうなるんだろうね」とメールが。それからは、画面のアメリカの地図がトランプ氏の赤に染められていき(クリントン氏は青)、多くの人が驚くような流れになっていくのです。

 私は、ヒラリー・クリントン氏をずっと「後に続く女性たちのために、道を切り開いてくれる力強い女性リーダー」として注目してきました。自分の置かれた環境の中で最大限の努力をし、チャンスを生かし、やりがいのある仕事も家庭生活も手に入れた女性。野心やしたたかさなどで、ずいぶん嫌われていましたが、私は「あそこに至るまで、どれほどの努力と忍耐とタフさが必要だったか」とヒラリー(と呼ばせてもらいます)が最終目標を達成し、アメリカンドリームを体現する日を待ち望んでいました。が、それがもう一歩というところで叶わず、とても残念に思いました。

 9日、敗北を認めた支持者前での演説で、ヒラリーは「私たちはいまだに最も高く硬いガラスの天井をくだくことが出来なかったが、私たちが思うより早く誰かが達成するだろう」と後進に女性大統領の夢を託しました。彼女の闘いはたいへんなものでしたが、この後に続く女性たちに道を切り開いてくれたことは、とても大きな意味があったと思います。

 トランプ氏が勝利宣言をした後、私は、本棚の奥にあるヒラリーの自伝「リビング・ヒストリー」を取り出して、ページをめくってみました。奥付を見ると2003年12月31日初版発行とあります。700㌻超の本は、いくつもページが折り込んであり、1か所だけ赤い付箋がついていました。イエール大学のロースクールを修了して弁護士資格を取得したヒラリーが、アーカンソー州にいる恋人のビル・クリントン氏を追っていく場面です。

 「一緒になるなら、どちらかが、譲らなければならない」
とヒラリーは、自分に言い聞かせます。アーカンソー州まで車で送ってくれた友人に道中何度も「本当にこれでいいの?」と聞かれながらも、首都ワシントンでの自分の将来を捨て、自分が愛する男性の元に行くのです。

 「人間として成長しようとするなら、今こそ、エレノア・ルーズベルトの言葉ではないが、”いちばん恐れていることをすべき”なのだ」

 ヒラリーは、尊敬するルーズベルト大統領夫人(アメリカ国連代表・婦人運動家)の言葉を引いて、自身を奮い立たせています。私はこの部分に、傍線を引いています。通読した分厚い本の中で、傍線を引いたのは唯一この部分だけ。私はこのとき、遠い国アメリカの、私とは全く接点のない、二十歳近く年上のヒラリーのこの言葉に背中を押されたのだと思います。

 この本が発行された1カ月前の2003年11月は、私が厳しい抗がん剤治療を終えた月です。新聞記者の仕事に遅れを取るのを恐れて、働きながら治療をしていました。髪の毛がすべて抜け、肌も茶色に変わり、体調も悪い中で、懸命に仕事をしました。その後、体調は徐々に回復し、翌2004年春に妊娠。「仕事と家庭の両立」を目指し、それを記事に書いてもきた自分が、がん治療後の39歳での初めて妊娠という立場になり、逡巡したのです。やりがいのある仕事を続けるべきかどうかーと。そのようなときに、私はこの本を熟読しました。前を突き進む女性の先輩からのアドバイスが欲しかったのだと思います。

 そして、「人間として成長しようとするなら、今こそ、いちばん恐れていること=仕事を辞めること=をすべきなのだ」と、勝手に解釈したのです。まずは無事赤ちゃんを産み育てることを優先しようと。大きな決断を迫られた若き日のヒラリーと、自分を重ね合わせるのはあまりにもおこがましいですが、そうやって私は前を進む女性たちにたくさんの生きるヒントをもらってきたのです。

 その後、私は退職。出産後には体調が悪化していき、いくつもの病気と闘うことになります。そのような中、やはり、ヒラリーの活躍・奮闘は私の励ましとなりました。

 2010年5月、ノートにまた、ヒラリーの記述が出てきます。再々発したがんを抗がん剤と放射線で抑え、ヘモグロビンを自己免疫が叩き壊す自己免疫疾患を薬で抑え、抗がん剤の副作用で悪化した不整脈の手術を終えた後、さらに血小板を自己免疫がたたく新たな自己免疫疾患を発病し、「国立がん研究センター中央病院」=東京都中央区築地=に入院していたときです。病気の連鎖の中でもがき続け、気力を失いかけていました。

 来日したヒラリー・クリントン米国務長官と岡田克也外相の共同記者会見をがん研究センターのベッドに寝ながらNHKニュースで見た後、こうノートにつづっています。
 「弁護士として活躍し、結婚し、子供を産み、国の最重要ポストについている女性。比べる方がおこがましいが、同時代を生きる女性として何という差だろうー」

 ここでは「大統領の妻」という表記がないところが振り返って読んでもおもしろいのですが、このときも私は、大統領選の民主党指名の候補としてはバラク・オバマ氏に負けたが、気持ちを切り替え、再び国務長官として力強く進み続けるヒラリーに「病気ぐらいに負けちゃ駄目よ」というメッセージをもらったのだと思います。

 今回の敗北は本当に残念ですが、ヒラリーのことですから、また、どこかで活躍するに違いありません。69歳のヒラリーの挑戦は、私たちに感動をくれました。ヒラリー、お疲れ様です。私はまた、あなたに励まされました。