2016年9月19日月曜日

母娘の成長?

 中学生になった娘がとても嬉しそうな表情で帰宅しました。「セクレタリー(書記)になったの!」と興奮気味に話します。その日はクラスの委員決めの日。勇気を出して立候補したら、クラスメート全員が承認の拍手をしてくれたようなのです。

 娘によると、主な仕事は4つ。
 ①朝一番早く教室に入り、電気とエアコンを付ける。
 ②黒板に、日付とその日の時間割を書く。
 ③クラスメートのバッジをチェックし、忘れた人にはシールをあげて記名してもらう。
 ④先生が忘れたことを、思い出してもらう。

 ④の「先生が忘れたことを、思い出してもらう」には仰天しました。思わず、「それ、出来るの?」と聞いてしまいました。なぜなら、娘は忘れ物が多く、少し前の出来事さえ、きれいさっぱりと忘れる人間だからです。
 地元の小学校に通っていたとき、私が忘れ物を届けたことは数知れず。鍵盤ハーモニカ、書道セット、絵の具セット・・・。いつも私が忘れ物を届けるために、守衛さんに顔を覚えられて、「お疲れさまです!」と明るく声掛けしてもらったぐらいです。その娘が、先生が忘れたことを指摘する役割を担うとは。インターナショナルスクールの太っ腹な教育方針に、心から感謝しました。

 書記に選ばれた翌日から、娘は変わりました。6時半と決めた家を出る時間は絶対に守ります。クラスメートの多くは学校の近くに住んでいますが、娘の通学時間は片道1時間。その娘が一番早く教室に入らなければならないのは、かわいそうな気がしましたが、娘は眠い目をこすっても誰よりも早く教室に入って電気とエアコンを付けることに誇りを持っています。
 ある日、先生が出欠を取ることを忘れたときは、娘は「先生、出欠の確認をお願いします!」と言えたようです。その話を聞かされた日は、ほめる子育てが苦手な私も、「よく、気付いたわね」と自然にほめることが出来ました。

 娘に、書記に立候補した理由について聞いてみました。
 「人の役に立ちたかったの」
 娘は、そうシンプルに答えました。私がいつも娘に言っていた言葉でした。それを、自分の心から出た言葉として言ってくれた娘を、愛おしく思いました。娘は知らないうちに、成長していたのです。

 私は38歳で血液がんを発病後、難病である自己免疫疾患を2つ発病しました。不整脈を患い手術。血液がんは2度再発し、治療中に敗血症ショックで死ぬ目に合いました。いつも何かを治療し、薬の副作用に苦しみ、遠方に住む両親に助けを乞い、家事・育児を手伝ってもらっていました。まったく役立たずの期間が長く、口癖のように「人の役に立ちたい」と娘に言い続けていました。だから、健康を取り戻して昨年度、息子の通う幼稚園の保護者幹事役に手を挙げて、一年間務めることが出来たことは私にとって、何よりも自信になりました。

 娘と話をしながら、4歳年上の先輩の言葉を思い出しました。その先輩は全国企業の地方支社で、秘書の仕事をしています。新人で地方に配属される男性社員を一から育て、その社員が社内で出世をして、彼女より上の肩書で戻ってくる。そして、その人たちに仕える。そのような仕事人生です。男女雇用機会均等法世代の女性にとっては、ある意味、許しがたい職場かもしれません。が、先輩は数年前、私と会ったときにこう言い切りました。

 「私はね、重宝がられる人間でいたいの」、と。
 その言葉を聞いて、私は目頭が熱くなりました。こんな素晴らしい心構えはあるだろうかと。そして、私も先輩のような謙虚な心を持ちたいと願いました。

 娘が書記に立候補したことに刺激を受け、私も、娘のクラスのクラスペアレント(保護者幹事)に手を挙げました。担任の先生とのやり取りや保護者への連絡メールは英語のため、錆びかけた頭を使わなければなりません。気力が入りますが、一年間、また少しでも人の役に立てることを嬉しく思います。

 娘の成長を見守るだけでなく、アラフィフママ自身も成長しなければならないのです。